2014年3月16日日曜日

クリスティ文庫(35)

 『バグダッドの秘密』、主人公が遺跡の発掘調査の一行に加わって、出土品から当時の普通の人の日常の暮らしを思い描くのが好きだと語る。
 自分は、常盤緑道を散歩中、小学校の校庭の廃タイヤを利用した遊具を見て、地球文明が滅びた後でやってきた宇宙人が遺跡調査でこれを発掘したらどういう推理をするのだろうと考えた。
 
 実用品だと思ったら、用途が思いつかないだろう。普通の輪投げの遊具を見つけてそれとの連想から遊具だと考えるかもしれない。
 タイヤを投げて棒に入れて遊べる人間の大きさを推計したら巨人がいることになる。
 『ガリバー旅行記』を見つけた人が文字は読めないが、絵を見て巨人族がいるという仮説をたてる。しかし、巨人族の居住の痕跡はない。
 『ゴジラ』の映画を見つけて、巨人族が外からやってきて地球征服を試みたが失敗したという仮説をたてる。地球征服の戦闘中に輪投げで遊ぶのか?というもっともな疑問が出ると同時に、地球征服の失敗の理由を詮索する。
 『宇宙戦争』の映画を見て、未知の細菌にやられたという仮説が出る。言葉がわからずにそこまで読みとれるかは疑問だが。
 一時は巨人族が優勢だったが、恐竜が滅びたように、巨人族が滅びて遺跡の遊具だけが残されたという仮説もたてられる。恐竜のことはわからないかもしれないが。
 そこで、だれかが、「紙に描かれたものや映像は二次資料だ、直接証拠から推論を試みるべきだ」とか言い出して、科学的実証についての方法論の議論になる。
 意外と犯罪の証明と自然科学は関係が深いかもしれない。

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