2014年3月31日月曜日

クリスティ文庫(40)

 『アガサ・クリスティ―自伝』、最初の夫と離婚するまでがほぼ『未完の肖像』と同じ。エピソードが既に読んだものばかりなので、目新しさがないのが残念。
 有名な失踪事件に触れていないが、自伝はアガサ本人の記憶に基づいて書かれているので、本人の記憶にないことを書けないのは当然だ。
 自分のことを最もよく理解してくれていた母親が亡くなり、一人で遺品の整理をしている(同居していた祖母の遺品もある)途中、小切手に自分の名前を書こうとして自分の名前が思いだせない記述がある。そのあたりの記述を読むとうつ病ではないかと思う。ネットでみるとうつ病で記憶障害が起こることもあるらしい。
 夫が愛人をつくったことで記憶喪失になるのかと思っていたが、母親の死が大きかったのではないかと思い、一時的記憶喪失は本当だったのだろうと思う。
 本当のことを言っても信じてもらえず、本当らしい嘘を言った方が信じてもらえそうで、信じてもらえない苦しさから逃れるために、まわりの人間が期待している嘘を言ってしまう。これは、『無実はさいなむ』、『バグダッドの秘密』、『ゼロ時間へ』に出てくる。

2014年3月30日日曜日

別所沼のかいぼり(投網)

 
 3月30日午前中、船二艘で作業をしている。全長7,8メートルくらいの船で公園のボートとは明らかに違う。
 前日と違い竿を使って船を動かしている。竿を持っている人は、はっぴを着ており襟に下荒川の文字が見える。網の使い方も違う。前日は水の中に入れているだけだったが、今日は網を投げ、その網が空中で直径6,7メートルくらいの円を描いて水面に落ちる。その瞬間魚が跳ねるのが見え、シャッターの音が聞こえる。本格的なカメラで撮っている。
 雨が降っていて、見物人は二十人くらいだろうか。
 帰ろうとしたら、「別所沼を守る会」ののぼりを持った人たちが来た。ごみ袋を持ち、長靴をはいた男性が沼に降りてごみ拾いを始めた。
 下の地面が出ているところは少ないので、ごみ拾いもまだ続くのだろう。
 昨日から、どぶ川の臭いではなく海の近くでするような臭いがかすかにする。魚の生臭い臭いだろうか。芳しくはないが、それほど不快でもない。

2014年3月29日土曜日

別所沼のかいぼり(魚捕獲)

 3月29日午前中、ボートに二人乗り、一人が櫂で漕いで、もう一人が網を水中に入れて引き上げている。網の中のものは遠目でわからない。ボートにはタモ網も持ち込んでいる。岸に家庭用のたらいがいくつも置かれている。まだ、捕獲された魚は見えない。ボートの数は二艘だ。
 見物人が十人以上はいるが、魚を見るまで時間がかかりそうなので、帰ることにする。
 網を使っている人が本職の人かはわからない。専門家が何種類も必要な気がする。
 すっかり水を干してもらえば、素人の市民の人海戦術であっという間に終わらせられそうだ。魚も飼育せずに新しく放流したら費用的にも手順的にも楽そうだが、人道上というか、そうもいかないのだろう。
 同日夕方、また様子を見に行く。見物人が増えて五十人以上はいそうだ。ボートは四艘に増えている。ボートから魚をたらいに入れて取り出し、岸に置いてあるもっと大きいたらいに移している。バケツで沼の水をすくって大きいたらいに入れている。籠に移される魚もあり、それは廃棄されるようだ。
 大きな魚ばかりで、体長が一メートルくらいから六、七十センチくらいはありそうだ。もっとも小さい魚は網にひっかからないのかもしれない。
 看板に表示された請負業者の会社名の入った産業廃棄物処理車両があった。会社の業務はネットでみると公共土木、建築となっている。

2014年3月28日金曜日

別所沼のかいぼり(魚類飼育施設)

 3月28日、広場を囲むフェンスに「魚類飼育施設」の張り紙がしてあった。
 フェンスの中にコンテナのような箱が置かれている。えんじ色の高さ2メートル、縦横3メートル×4メートルくらいのが6個。それより大きめの灰色の箱が2個置かれホースが通っている。(4月4日に見たら全部でえんじ色が14個、灰色が6個、上に網がかぶせてある)不透明な箱でフェンスのために近寄れないので中の魚をみることはできない。
 機械装置の横の箱が「魚類飼育施設」の柵の中のえんじ色の箱と同じなのに気付いた。排水前に水をその箱に通しているようだ。
 近くで数人の男性に一人の男性が市から聞いたと魚の飼育の仕方について説明している。
 別所沼で初めてみる大きなサギと見える鳥が緑のシートの上に一羽止まっている。魚を狙っているのだろうか。
  

2014年3月27日木曜日

モクレン

 桜の開化が気になるが、今はモクレンだ。
 白いモクレンと赤のモクレン、赤と言うよりも濃い赤紫かもしれない。
  
 モクレンより小振りなのがコブシ
 
 木に咲く花でモクレンより大きい花があるのを見たときには驚いた。
 タイサンボク、ただし、今は咲く時期ではない。
 
 

2014年3月26日水曜日

マンション建設

 
 古い社宅が取り壊され、マンションが建設されていたが、今春完成し現在売り出し中だ。
 地図で見ると敷地の一角の下を武蔵野貨物線が通っているらしく、そこは玄関前の庭と通路になったようだ。
 更地にするときに樹木が切り倒されずに残されてよかった。以前から、新しく建物を建てる時に樹木もすっかり撤去する必要があるのか疑問に思っていた。
 写真の右手には桜の木が植わっていて、マンションのチラシにはマンションの建物と満開の桜の木が写っている。チラシには「街並完成予想CG」「外観完成予想CG」の文字が入っている。もう少ししたら予想が実現するだろう。建物が完成するだけでなく、満開の桜がなければ、チラシは嘘になってしまうと思う。

2014年3月25日火曜日

別所沼のかいぼり(どぶ臭)

 3月25日、沼の端の水位の浅いところの底が見えてきた。
 その上を通って吹いてくる風のなかに、どぶ川の臭いが少し混じっている。この臭いは自分にとっては随分昔の記憶に結びついている。
 若い人には、もしかするとこの臭いの経験がない人もいるかもしれない。
 この悪臭は、当然予測できたはずだった。大宮第二公園の調節池に大雨で芝川から水が流入して、その水が引けたあとに残った泥から悪臭がしたのを経験しているからだ。芝生の上の泥が洗い流されると、悪臭はすぐにおさまった。
 簡易な桟橋ができ、ボートが出て作業をしている。櫂でこがずに沼の上に渡したロープを引っ張ってボートを動かしている。沼の中央に青いドラム缶を四個四角につなぎ、ボート上に一人、ドラム缶を足場にして一人いる。ボートで直径15センチくらいの管を岸から引っ張りドラム缶で囲まれた水の中に入れている。
 何のための作業かはわからない。
 大宮第二公園の調節池が湖のようになったところ
 
 水が引けたが、泥が残っている。
 
 通常はひょうたん型の池の周りを芝生が覆っている。
 

2014年3月24日月曜日

クリスティ文庫(39)

 『無実はさいなむ』、無実の人間が、真犯人がわからないことによって、親しいものから犯人と疑われるということが問題になっている。
 同じ問題が別の作品にもあったと思い、クィン氏が出てくる短編だと思いついた。クィン氏の短編の方は、有罪にするだけの証拠がないということで裁判で無罪になった女性が再婚したが、再婚相手の男性がなぜか妻に対して神経過敏になっているという話だった。
 無罪でも無実ではない。無罪と無実と違うのか?無実の反対の言葉は何?とつい考えてしまった。
 

2014年3月23日日曜日

別所沼のかいぼり(排水先)

 3月23日、作業をしている人は見かけないが、機械のモーターの音と水音がする。
 近くの排水溝からも水音が聞こえる。
 水の流れる先は鴻沼川だろうと思い、川を見に行った。高沼橋まできたら、水音がする。橋の近くの排水管から水が流れ出して川に落ちている。流れの幅は10センチくらいだろうか。細い流れだが切れ目がない。今日は雨も降っていないので別所沼からの水だと思う。モーターが止まっているときに水が流れているか確かめてみよう。
 3月24日、モーター音がしないので、高沼橋に行ってみた。水は流れているが三分の一くらいの水量だ。もしかしたら、モーターで吸い上げていない時でも少しは流れ出しているのか?と思ったりする。
 
 上の線路が埼京線で下に高沼橋がある。埼京線の下を通っている線路が武蔵野貨物線でこの手前の方で地下に潜る。

 

2014年3月22日土曜日

別所沼のかいぼり(網設置?)

 3月22日、噴水が消えていた。水位は更に少し下がっていた。
 水位が下がって、これまで水面下にあって見えなかった棒が見えるが、新しく地面にさしたらしい棒も数本見える。
 数メートルほど離れた二本の棒の間に長方形の緑色のシートのようなものが見える。そのシートがロープで棒に繋がれている。シートのように見えるものが網でそれで魚を捕まえるのかと推理して見る。
 多分ボートを使って設置したのだろう。その作業を見逃したのは残念だ。いつ何をするのかは全くわからないので、見るべきものが見られるかどうかは、運次第だ。
 

2014年3月21日金曜日

別所沼のかいぼり(柵設置)

 3月21日、柵で別所沼が囲まれた。広場の一部も柵で囲まれている。
 高さ一メートルくらいの柵なので、柵の外から作業を見ることができそうだ。
 もう、魚釣りはできないがジョギングはできる。ジョギングコースと沼の間に柵が設置されたからだ。
 当初、作業が始まるとジョギングもできないと案内されていたように思うが、変更したのだろう。大きい案内板に「ジョギングコースは通行できます」という文章が追加された。通行できるということはジョギングをしてもよいということだろう。実際にジョギングしている人がたくさんいる。
 やりながら考える方針のようだ。経験がないので、そうなるのだろう。失敗しても、取り返しはつきそうなので、それがいい方法のように思う。
 そのうちに、見物人が「あーやったら」とか「こーやったら」と言いだしそうだ。さいたま市民になってから数年しかたたないので、さいたま市民の気風がまだよくわからない。見物人の言動にも注目したい。

2014年3月20日木曜日

クリスティ文庫(38)

 ミス・マープルは、若い時に結婚したいと思った男性がいたが、結婚相手としてふさわしくないと考えた身内に反対されて断念したらしい。
 その後、その男性については、否定的に考えたようなので、身内に止めてもらってよかったと思っているのだろう。もっとも、本音はわからない。何もないより不幸な結婚でも何かあった方がよいと思ったかもしれない。少なくとも結婚当初は幸せだったろうから、その幸せな記憶は残るように思う。
 クリスティの普通の小説は、「結婚相手の選択」というテーマが共通してあるように思う。愛しているが未知数あるいははっきりと条件が悪い男性と好意はあるが愛しているとまではいえない条件のよい男性のどちらと結婚するか。そもそも結婚すべきかとか結婚相手が全く見つからないということは問題にならないらしい。
 結婚した女性の家庭の仕事は、子育てについては子守りと家庭教師と学校の選択の問題で、家事は料理人やメイドを見つけるという問題らしい。

2014年3月19日水曜日

クリスティ文庫(37)

 冒険ミステリー小説の主人公の女性は、だいたいタペンスのような感じだ。
 普通の小説の主人公も同じタイプかと思ったら全然違う。
 空想の世界に浸るタイプが度々出てくる。クリスティ本人は、むしろこちらの方のタイプではないかと思う。
 『愛の重さ』、34頁、主人公のローラは空想したことが現実に起こったような錯覚をいだく。よくわかる。自分も空想が現実であるように話してしまいそうになり、現実を正しく認識するように自分に言い聞かせることがある。
 ローラは、歩きながら想像上の会話を繰り返し、あまり深くそれに没入していたので、知り合いがやってきたのに気付かずやりすごすところだった。これもまたよくわかる。自分も歩きながら頭の中の会話に熱中して知り合いに気付かずに、後からそれを指摘されたことがある。
 看板や木の枝に頭をぶつけたこともある。
 クリスティの小説に飽きがこないのは、作者と非常に気が合うせいではないかと思う。

2014年3月18日火曜日

別所沼のかいぼり(ボート出現)

 3月18日昼前、沼の水面の高さは、ほとんど変わっていない。
 機械装置の横を通るとモーターの音とホースから排水溝に流れ込む水音が聞こえる。
 そして、小型のボートが一艘水面につながれている。(遊園地の貸しボートくらい)
 どのくらいの時間で水がなくなるのかわからないが、ボートでの作業は水が残っている間にするのだろう。魚の捕獲か?まさか一人で網ですくうのじゃないだろうね?
 これは、うっかり目を離せなくなってきたようだ。

2014年3月17日月曜日

クリスティ文庫(36)

 『娘は娘』、読み終わってから、主人公が友人に「自分を知ったからといって何の役にたつのか、どうせ自分を変えることはできないのだし」と言ったのを思いだし、友人が何と答えていたか気になってその部分を読み直してみた(86頁)。
 返事は、「・・少なくとも、自分がこれこれの場合にどんな行動をとるか、なぜ、そうするかーこの方がいっそう大切なことだけどーというヒントを与えてくれるでしょうねえ」というものだ。あまり参考にならない、というか、何を言いたいのかよくわからない。主人公もあまりピンとこない。
 その後の主人公の言動を考えあわせて、主人公に対してよい助言になっていたことがわかった。が、自分にはあまり役に立たない。
 自分は失言が多いが、あらかじめ話すことを考えておいて話したときに「まずいことを言ってしまった」というのではなく、止める暇もなく話してしまった場合にまずいことを言ってしまうからだ。これでは事前に自分がどういう人間かわかっていても、対処法としては、他人と会話しないということになってしまう。
 

2014年3月16日日曜日

クリスティ文庫(35)

 『バグダッドの秘密』、主人公が遺跡の発掘調査の一行に加わって、出土品から当時の普通の人の日常の暮らしを思い描くのが好きだと語る。
 自分は、常盤緑道を散歩中、小学校の校庭の廃タイヤを利用した遊具を見て、地球文明が滅びた後でやってきた宇宙人が遺跡調査でこれを発掘したらどういう推理をするのだろうと考えた。
 
 実用品だと思ったら、用途が思いつかないだろう。普通の輪投げの遊具を見つけてそれとの連想から遊具だと考えるかもしれない。
 タイヤを投げて棒に入れて遊べる人間の大きさを推計したら巨人がいることになる。
 『ガリバー旅行記』を見つけた人が文字は読めないが、絵を見て巨人族がいるという仮説をたてる。しかし、巨人族の居住の痕跡はない。
 『ゴジラ』の映画を見つけて、巨人族が外からやってきて地球征服を試みたが失敗したという仮説をたてる。地球征服の戦闘中に輪投げで遊ぶのか?というもっともな疑問が出ると同時に、地球征服の失敗の理由を詮索する。
 『宇宙戦争』の映画を見て、未知の細菌にやられたという仮説が出る。言葉がわからずにそこまで読みとれるかは疑問だが。
 一時は巨人族が優勢だったが、恐竜が滅びたように、巨人族が滅びて遺跡の遊具だけが残されたという仮説もたてられる。恐竜のことはわからないかもしれないが。
 そこで、だれかが、「紙に描かれたものや映像は二次資料だ、直接証拠から推論を試みるべきだ」とか言い出して、科学的実証についての方法論の議論になる。
 意外と犯罪の証明と自然科学は関係が深いかもしれない。

2014年3月15日土曜日

コレストロール

 ここ数年、健康診断の血液検査で悪玉コレストロールが基準値を超え、正常値の範囲内にするのに苦労している。善玉コレストロールは以前から多い。
 やせぎみなので、お医者さんには「痩せるように」ではなく、「運動をするように」と言われる。
 スポーツ好きではないので食事でなんとかならないかと思う。動物性油脂を極力取らないようにしているが、コレストロールは体内でつくることができるらしいので、なかなか効果がでない。
 昨日ドラマの録画を流していたら、闇金の事務所で焼き肉をしていて「社長は野菜は食べない。体内でビタミンを作れるのは社長くらい」という会話が聞こえた。
 肉食獣のイメージで社長の性格を伝えようとした文学的表現で科学的根拠はないだろう。
 外から補充しなくても身体の中でコレストロールをドンドンつくる体質の方がエネルギッシュで生命力に強いイメージじゃあるまいかと思った。科学的根拠もある。

2014年3月14日金曜日

クリスティ文庫(34)

 『未完の肖像』を読み、子供のころの空想一人遊びを思い出した。
 畳の部屋の真ん中の畳に座り、海を漂流中で、座っている畳が筏で、その畳の周りが海だと空想する。畳から出ると海に落ちて溺れてしまうので畳の外には出られない。
 そう思って海に落ちないように緊張していたら、突然母親が畳んだ洗濯物を手にして部屋に入ってきた。
 海の上を溺れもせずにズカズカ歩いてきたので、非常に気分を害した。
 おそらく「黙ってさっさと出ていって」と顔に出ていたのだろう、母親は何か言いかけたのを止めて、自分の用事を済まして黙って出て行った。
 子供の頃、『赤毛のアン』が好きだったことも思いだし、今度の朝のテレビ小説は見てみようかと思う。

2014年3月13日木曜日

クリスティ文庫(33)

 『暗い抱擁』、戦争中の勇敢な行動によって勲章を授与され、保守党から立候補して議員に当選して、なお生まれのいい人間に対して劣等感を持つというのがよくわからない。自分に対してどこまで要求したら気が済むのかと思う。
 似た者どおしで結婚するのがよいのかは一概には言えない。自分にないものを相手に補ってもらうのがよい場合もあるかもしれない。
 ただ、住む世界の違う人間というのは、いつの世でもいるように思う。あるいは世界観が違うとも言えそうだ。住む世界が違う人間とはやっぱり縁がなくなるように思う。
 自分にとっては、他人にうらやましがられるようなところをたくさん持っていながら、劣等感に悩んでいる人間とは住む世界が違うと思う。
 ほかに、酒を飲みすぎて仕事を疎かにし暴力を振るう夫とぐずぐずと一緒にいる女性というのも理解できない。
 

2014年3月12日水曜日

別所沼のかいぼり(日程変更)

 別所沼のかいぼりは、1月から3月28日までが実施予定日だったが、3月20日から7月上旬に変更になったようだ。案内板の当初の予定日の上に紙をはって訂正している。
 1月に地質調査が行われていて、何日か前から沼岸に機械装置が設置されたほかは、めだった動きもなかったので、納得の日程変更だ。
 かいぼり作業は見たことがなく話に聞いたこともないので、どうやるのかという興味と、沼の底がどうなっているのかが知りたくて、見逃さないようほぼ毎日見に行っている。
 新しい日程からすると何日かで終わるような作業ではないようなので、そうそう見逃すおそれはないようだ。
 どうして日程が変更になったのかいろいろ考えてみる。
 3月12日夕方に行ってみたら、杭の様子から見て水位が20センチくらい下がったようだ。機械を使ってホースを通して水を排出しているようだ。

2014年3月11日火曜日

クリスティ文庫(32)

 『さあ、あなたの暮らしぶりを話して』、クリスティが考古学者の夫の発掘調査に同行した時の見聞録。
 現地で雇った人達との風習や考え方の違いについての記述がおもしろい。
 大概はクリスティの方に共感するが、自分はイギリス人ではないので、クリスティ側の風習に疑問を持つ側に共感する場合もある。
 身の回りの世話をする少年が、食事のときにナイフで切らなければならないものが食卓に出ていないときにもナイフを求められることに疑問を持つ。
 もっともな疑問だと思い、子供の頃ナイフとフォークでバナナを食べるのが洋食の際のマナーだと知った時に「バカバカしい」と思ったのを思い出した。
 そして、今でも西欧ではそうやって食べるのだろうかと思い、今バナナが皮ごと一本お皿に載せて出されたらギャグだろうと思う。果物を盛った大皿からとって食べる場合はどうやって自分の皿にバナナを取り分けるのかと思う。ナイフとフォークで取ったら滑稽だし、手でつかんで皿に載せてからナイフとフォークを使うのも妙だ。
 ネットで検索してみたら、日本でバナナが高級品だった時代に、テーブルマナーの勉強でバナナが使われたのであって、外国人が本国で実際にバナナをナイフとフォークで食べているのを見て真似たのではないようだ。
 外国人の友人がいたら、是非実際のところを聞いてみたいものだ。
 

2014年3月10日月曜日

クリスティ文庫(31)

 『忘られぬ死』、レストランで会食中に女性が亡くなる。その会食前に被害者の女性が主催者である夫に男性が一人欠席することになったので男女の数を会わせるために、男性を一人追加で招待するように電話する。
 日本では、合コンでもなければ男女同数にこだわることもない。結局、穴は埋められずに、主催者の夫婦に主催者の夫の秘書、主催者の妻の妹と妻の男性の友人と友人夫婦(夫の方が友人)の七名で会食をする。
 男女同数にする意味があるのかと思ったら、ちゃんとあった。食事中にダンスをするが、女性が一人余るので、みんながダンスをしている間に一人で席に残っていることになる。
 一年後に、被害者の夫が事件の再現をしようとする。この時は男女同数で全員がテーブルを離れる時がある。これが重要なトリックになっている。
 トリックのために男女同数を強調したのか、これがイギリスの普通の習慣なのかはわからない。それに既婚の女性が男性の友人と遊び歩くのを夫が非難して止めさせることができないことも普通のことかは不明だ。

2014年3月9日日曜日

ベンチ

 市民の森のベンチが立派なので驚いたが、かなり古い。
 
 ほぼ同じタイプのものを氷川神社の参道で見つけた。こちらの方は、人が座っているので写すチャンスがなかった。
 
 いろいろなデザインのベンチを見るのもおもしろい。
 秋ヶ瀬緑道沿いの木の輪切りのベンチは、最初に見た時は塗料がピカピカしていて、ベンチと気付かずテーブルかと思ったが、最近は塗料も割れて剥がれて、最初の頃より気軽に腰かけやすくなった気がする。
 
 このベンチのそばの桜は早咲きの品種で、秋ヶ瀬緑道沿いでは最初に開花する。

2014年3月8日土曜日

クリスティ文庫(30)

 『死が最後にやってくる』、犯人は正体を現す少し前にわかった。
 最後の最後までわからなかったのは、主人公の女性が二人の男性のどちらかを選ぶかだ。
 どうやら正解を選んだようだが、再婚で判断力が増したおかげらしい。
 クリスティの小説を読むと作者の最初の結婚の失敗がかなり影響しているように思うが、よくある話なので、作者が生涯独身だったとしても、最初の結婚相手と破局しなかったとしても同じだったようにも思う。
 ただ、最初の結婚がなければクリスティという名前の小説家が存在しなかったのは確かだ。別の名前になっていただろう。
 最初の夫がペンネームというプレゼントを残したのは皮肉にも思える。
 

2014年3月7日金曜日

クリスティ文庫(29)

 『春にして君を離れ』、非常におもしろかった。主人公と同じタイプの孤独な人間でないとおもしろくないのではないかと思ったが、そうでもないらしい。
 主人公は他人に好かれない理由や他人にどう思われているかについて自覚がなかったようだが、自覚があってもなかなか自分を変えられるものではない。自覚のない人間に対しては「可哀そうに」というよりは「幸せな人だなぁ」という人のほうが多いと思う。もちろん、かなりの皮肉まじりだが。
 人が殺されたり、盗難事件がおきなくても、「あれはどういうことだったのだろう」とか、「あの人はあの時どう思っていたのだろう」と疑問に思い、真相が知りたいことはたくさんある。
 主人公が真相を導き出すやり方が推理小説の場合と同じなのは、さすがクリスティだ。ただ、人の会話や行動から推理しても、その結論が自分の思いすごしかどうか確認するには証拠が必要だ。真実と証明するためには証拠が必要なのは殺人事件と変わりがない。
 推理小説で証拠が貧弱だと、犯人と対決して犯人の自白を引きだしたりするが、この小説の結末は推理小説とは違う。
 結末を明かさないのが、推理小説の感想を書くときのマナーだとすると、この小説も結末を書くのはマナー違反になるようだ。

2014年3月6日木曜日

クリスティ文庫(28)

 『殺人は容易だ』、犯行の機会と犯人の意外性から途中で犯人について確信を持ったが、動機がわからなかった。
 最初は、町の浄化という考えに取りつかれたのかと思い、次に特定の人間に対する愛情から、その人間に対して酷いことをした人間に対して報復したのかと思った。どっちにしても精神に異常をきたしているのだろうと思った。
 最後の犯行の状況は、自分の考えた動機では説明できないと思ったら、実際違っていた。
 ずいぶんとロマンチックなことを考えていたものだと苦笑する。
 『ゼロ時間へ』、アリバイクくずしのトリックがわかったところで犯人はわかったが、動機がわからない。
 別れた妻が経済的に困窮し、自分からはお金を受取ろうとしないので、遺産を受け取らせてあげようとしたのかと思った。つい、そこまで愛情が深かったのかと思ったら、これもまた大外れ。
 今度もまた、ロマンチックなことを考えてしまった。
 これだから、最近のストーカー事件は、なんだかわけがわからない。
 久しぶりに萩尾望都の『ポーの一族』の短編『はるかな国の花や小鳥』を出して読んでみた。やっぱりこっちの方が好きだ。
 

2014年3月5日水曜日

クリスティ文庫(27)

 『殺人は容易だ』の容疑者は、田舎の小さい村の誰かだ。そうは言ってもこれだけでは、まだかなりの人数になる。
 ところが、犯人は犯罪の告発者と同じ階級の人間らしいということで数人に絞られる。登場人物一覧表に載せられる人数だ。
 クリスティの小説には「階級」という言葉が良く出てくる。貴族かどうかの違いではないようなので身分と言うのとも違うようだ。
 日本でいうところの「いいところのお嬢さん、お坊ちゃん」という感じで使うようだ。「育ちがいい」のにも近いのかもしれない。
 「イギリスはいまだに階級社会だ」と聞くこともあるが、十九世紀のフランスやロシアの小説を読んでもイギリスの階級と同じものはないように感じる。
 一般の小説だとイギリスの小説よりフランスやロシアの小説の方が気にいるのは、どうも自分の階級が、イギリスで主人公と対等の人間扱いされる階級より下のような気がするからかもしれない。
 身分違いの恋というのはあっても、階級違いの恋というのはないように思われる。

2014年3月4日火曜日

クリスティ文庫(26)

 『なぜ、エヴァンズに頼まなかったのか?』、題名をみて『九マイルは遠すぎる』を連想した。
 九マイルの方は、この言葉から謎ときをするが、エヴァンズの方はその地方ではありふれた名前だったので手掛かりにならず、最後の方でほとんど謎が解けてからエヴァンズの正体がわかる。
 推理小説の感想で犯人やトリックを書くのはタブーだが、この作品ではエヴァンズの正体をばらすのがタブーだろう。
 クリスティの作品はユーモアがあって笑わせてくれる場合が多いが、この作品で最後に笑いたかったら、エヴァンズの正体を当てようとしない方がいいだろう。自分もまだ推理する手掛かりがないと思って何も考えずに問題の個所を読んだので、とても楽しめた。

2014年3月3日月曜日

山燈籠

 大宮第二公園から市民の森に行く途中で、自然石を利用した燈籠を見かけた。高さ二メートルはある。初めて見たので特別な由来でもあるのかと思い案内板を探したがない。
 
 そのあとで常盤公園でも似たものを見つけた。お寺の庭や石材店の石材置き場や近所の庭でも小型のものを見かけたので、単に燈籠の一種だとわかった。山燈籠と一般的に言うらしい。
 
 歴史的にも民俗学的にも宗教的にも美術的にも特に保存するようなものではないようで、区画整理の工事中に行った時には撤去されていた。
 情緒的にはとても残念だ。

2014年3月2日日曜日

クリスティ文庫(25)

 『未完の肖像』、主人公の母親が、娘が現実の厳しさを知らずに不幸せな結婚をしてしまうのを心配してバルザックを読ませる。
 主人公は結婚してから、お伽噺は結婚して幸せに暮らしましたで終わるが、現実の生活はその後も続くと思う。
 ゾラを読んだらどうだろう。『夢』は現実に主人公が夢に描いたとおりの幸せな結婚をするが、主人公は結婚式当日に死んでしまう。不幸せな結婚生活を経験することはない。『パスカル博士』は好きな人と結婚して一時は経済的に行き詰まるかに思えたが、夫は病死し、残された子供と親子二人で暮らせるだけの財産が残っていることがわかる。結婚生活は短くして終わる。『ボヌール・デ・ダーム百貨店』は幸せな結婚生活を送るが、『ごった煮』に描かれる夫の結婚前の生活は、性道徳が全くないかのようだ。
 幸せな結婚が一番だろうが、結婚して不幸になる危険を冒すのと、結婚せずに特に幸せにも不幸せにもならないのとどちらがよいと思うかは人それぞれだろう。
 

2014年3月1日土曜日

クリスティ文庫(24)

 
 『未完の肖像』51、52頁に、「黄色い絨毯を敷きつめたように一面に桜草が咲き乱れている雑木林」という記述がある。
 前に読んだ短編にも黄色い桜草が出てきた。黄色の桜草は、日本の桜草とはちがう種類だろう。
 黄色の桜草を桜草と訳してよいのかは疑問だ。黄色かったら桜にはちっとも似ていないと思う。
 
 荒川沿いの桜草公園の田島ヶ原サクラソウ自生地の桜草
 
 黄色に見えるのは、ノウルシという別の植物だ。
 彩湖側の公園内にも桜草が咲いているところがある。
 
 荒川沿いの自転車道を走っていて、初めて桜草自生地の看板を見た時は、荒川沿い一帯に咲くのかと思ったが、今わかる範囲では、その看板がある一角と桜草公園と彩湖の横の公園にしか咲いていないようだ。
 それと鉢に植えられているのは、さいたま市内で時々見る。