2014年2月6日木曜日

クリスティ文庫(12)

 短編集『死人の鏡』には、4作納められている。2作目「謎の盗難事件」を読み始めてすぐに読んだことがあると思った。設計図が盗まれるのは同じだが、題名が記憶と違う。最後のところを読むと同じ犯人、同じトリックだ。
 2作目を飛ばして3作目を読む。これも読み始めてすぐ「第二のドラ」のようだと思う(早川書房の訳では第二のゴング)。こちらは題名も分量も明らかに違うので、別の作品であることは間違いない。流し読みをして最後の謎ときを読むと、登場人物が少し違っていて、犯人と動機が違うがトリックは同じだ。
 4作目の「砂にかかれた三角形」を読む。ポアロの長編のうちの一作を思い出す。保養地の海岸で若い夫婦のうちの夫の方が、女性的魅力にあふれた既婚の女性に惹かれ、夫に構われなくなった妻が周りの人間に憐れまれて、もっとセンスのいいものを身につけるといいのにと思われる。
 もし、同じトリックならこの同情されている妻の、気弱な性格は演技だろうと思いながら読む。やっぱりだ。ただ、分量が違いすぎるので、一見すると同じトリックの使用とはいえない。ただ、長編では、最後にその妻の正体がわかってすべてに納得がいく。
 何度も読む推理小説はあるので、トリックや犯人がわかっているというだけで、もうその作品を読む価値がなくなるというものでもない。自分はチェスタトンのブラウン神父やアシモフの黒後家蜘蛛の会は何度も読んでいるし、これからも読むと思う。
 ただ、読みながら「これは前に読んだことがあったかなかったか」、とか「違う作品だとしたら違う謎ときになっているのだろうか」と思いながら読んだのでは気が散って楽しめない。
 「バグダッドの大櫃の謎」と「スペイン櫃の秘密」もほぼ同じ内容になっている。ただ、こちらは一方にヘイスティングズが登場しているが、他方には出てこず、ポアロがヘイスティングズのロマンチックな謎ときが聞けなくて残念と言っている。この違いを楽しむために両方読むという選択もある。
 あらかじめ、作品と作品の関係がわかった上で読んだ方がいいと思うが、推理小説の解説や感想は、トリックや犯人を伏せるのがマナーということになっているようだ。自分としては、このマナーは逆に読者に不親切のように思う。

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