『愛の旋律』、推理小説でも冒険ミステリーでもない。推理小説とどれだけ違うのだろうと思ったが、それほど違わないという印象だ。
推理小説でも男女の恋愛や結婚相手の選び方や、夫婦関係について結構書かれているからだと思う。それに金銭問題も。
読み終わって、ポアロものの『ホロー荘の殺人』に似ていると思った。
ただ、今までで一番気に入ったカップル誕生物語は、ミス・マープルものの『動く指』だ。
2014年2月28日金曜日
2014年2月27日木曜日
ダイコン

「市民の森」と「大宮第二公園」の間の見沼緑道の歩道の車止めがダイコンの形をしている。
家の近所の散歩の途中で生のダイコンを見かけた。それまで地面に植わっているダイコンを見たことがなかった。想像では、地上に出ているのは葉っぱの部分だけで、せいぜい緑色をしているダイコンの上の二、三センチだけが、外に姿をさらしているのかと思っていた。

実際は車止めと同じように三分の一から二分の一くらいまでも地面の上に出ている。車止めを見てダイコンを地面に埋めていると思ったが、人為的に埋めているのではなくて自然に育っている状況を表現しただけだったことに気付いた。
これなら土を掘らなくても手で握って引き抜けそうだ。ダイコンの収穫について、ジャガイモ掘りのようなことを考えていた。
2014年2月26日水曜日
クリスティ文庫(22)
『シタフォードの秘密』、近所付き合いで近隣の人たちを招き、ブリッジをしようとしたら、ブリッジをしない人がいたので、降霊会をしようということになる。
解説を読むとイギリスでこの頃結構行われていたそうだ。それで、萩尾望都の『ポーの一族』の短編で降霊会をする話があったのを思い出した。
ゲーム感覚で特別な人を招かずにするところは、子供の頃やっているのを見たことがある「こっくりさん」に似ている。ただ、「こっくりさん」は女の子がやるものというイメージだった。
降霊会で参加者の友人が殺されるというメッセージが出たので、参加者の一人が不安になり、雪が降りそうな悪天候のなか、徒歩で友人宅に向かう。二時間以上も歩いて友人宅についたら友人が殺されていた。発見者にはアリバイがあることになる。
読んでいき最後の方で、殺した友人をかついで被害者の自宅まで運んだらどうなのだろうと思った。殺害時刻直前に被害者の自宅で生きている被害者に会った甥の証言があるが、甥が本当のことを言っているのかどうかわからないと登場人物の一人が繰り返し言う。そして雑談のなかで「殺した後の死体の処理」が話題になる。結局、自分の思いつきは、はずれた。
クリスティは最後の方で読者を間違った推理に向かわせるような記述を次々と出してくるが、自分の考えた間違えた推理も作者がわざとそれを狙ったのだろうか。だとすると、最後の犯人の意外性は少し損なわれるような気もする。
解説を読むとイギリスでこの頃結構行われていたそうだ。それで、萩尾望都の『ポーの一族』の短編で降霊会をする話があったのを思い出した。
ゲーム感覚で特別な人を招かずにするところは、子供の頃やっているのを見たことがある「こっくりさん」に似ている。ただ、「こっくりさん」は女の子がやるものというイメージだった。
降霊会で参加者の友人が殺されるというメッセージが出たので、参加者の一人が不安になり、雪が降りそうな悪天候のなか、徒歩で友人宅に向かう。二時間以上も歩いて友人宅についたら友人が殺されていた。発見者にはアリバイがあることになる。
読んでいき最後の方で、殺した友人をかついで被害者の自宅まで運んだらどうなのだろうと思った。殺害時刻直前に被害者の自宅で生きている被害者に会った甥の証言があるが、甥が本当のことを言っているのかどうかわからないと登場人物の一人が繰り返し言う。そして雑談のなかで「殺した後の死体の処理」が話題になる。結局、自分の思いつきは、はずれた。
クリスティは最後の方で読者を間違った推理に向かわせるような記述を次々と出してくるが、自分の考えた間違えた推理も作者がわざとそれを狙ったのだろうか。だとすると、最後の犯人の意外性は少し損なわれるような気もする。
2014年2月25日火曜日
梅(浦和北公園)

京浜東北線北浦和駅の西口を出ると、北浦和公園が見える。公園の南側は和風になっていて、この部分は浦和北公園になる。北浦和公園は県の管理で浦和北公園は市の管理なので名前が変わるようだ。特に仕切りがないので一つの公園のように見える。
和風の部分に、梅の木がある。梅としては咲くのが遅い方だ。最初に見た時には桜がもう咲いたのかと思った。
子供の頃、梅と桜が別々のものだとわかったのは、花札のおかげかもしれない。一月に梅が咲くことになっているのが不思議だったが、旧暦の一月は新暦の二月なので、最近になって納得した。ただ、北海道では先に梅が咲いてから次に桜が咲くという順番にはなっていない。花は春が来ないと咲かないというのが常識だ。
札幌は雪が解けるまで街に色がなくなる。雪解けが遅いと鬱の気分になる。部屋のカーテンを変えたり、観葉植物を買ってみたりする。
その時の観葉植物は枯れてしまったが、埼玉では外に出ると緑も花も一年中あるので、もう観葉植物は必要なさそうだ。
2014年2月24日月曜日
サボテン
「市民の森」の中の温室にサボテンがある。


サボテンは、温室の外では寒すぎるかと思っていたら、そうでもなかった。京浜東北線の北浦和駅東口から旧中山道に出て、少し北にいったところにある廓信寺の境内にサボテンがあった。廓信寺には、冬に咲く桜もあった。



サボテンは、温室の外では寒すぎるかと思っていたら、そうでもなかった。京浜東北線の北浦和駅東口から旧中山道に出て、少し北にいったところにある廓信寺の境内にサボテンがあった。廓信寺には、冬に咲く桜もあった。


2014年2月23日日曜日
王様ではなかった
別所沼公園で、変わった顔の人間の像を見かけた。威厳がありそうなのでどこかの伝説の王様かと思ったら神様だった。
気を付けて見ると横に説明板がある。メキシコ合衆国メキシコ州から埼玉県に友好親善のために贈られたものだった。メキシコの「風の神」とのこと。
鼻の下が異様に突き出ている以外は普通の男性で、横からではなく正面から見ると結構気品があっていい顔をしている。

公園内には他に女性の像もがある。

女の子の像もある。

「浦和うなこちゃん」、名前から考えて女の子だと思うが、こちらの方が余程人間離れをしている。
浦和駅西口にも大人の人間と同じくらいの身長の「浦和うなこちゃん」の像がある。二頭身の赤ちゃんならかわいいだろうが、二頭身の大人は、かわいいというより少し怖い。

写真で見たら、違いがわからないだろう。
気を付けて見ると横に説明板がある。メキシコ合衆国メキシコ州から埼玉県に友好親善のために贈られたものだった。メキシコの「風の神」とのこと。
鼻の下が異様に突き出ている以外は普通の男性で、横からではなく正面から見ると結構気品があっていい顔をしている。

公園内には他に女性の像もがある。

女の子の像もある。

「浦和うなこちゃん」、名前から考えて女の子だと思うが、こちらの方が余程人間離れをしている。
浦和駅西口にも大人の人間と同じくらいの身長の「浦和うなこちゃん」の像がある。二頭身の赤ちゃんならかわいいだろうが、二頭身の大人は、かわいいというより少し怖い。

写真で見たら、違いがわからないだろう。
2014年2月22日土曜日
教会ではない

最初に見たときに、教会の建物の一部が遺構として残っているのかと思った。さいたま市庁舎が建っている角地にあり、市庁舎の駐車場の向こう側に今現在教会があるので、その教会と何か関係があるのかとも。
実際は、浦和市とメキシコ合衆国メキシコ州のトルーカ市が姉妹都市になったときに、トルーカ市から浦和市に贈られた三つの鐘を設置するために浦和市が建築したものだった。よく見ると、壁に説明板がついていた。
国道17号線沿いにあり、少し離れた先からも見えるので、方向音痴の自分にとっては、いい目印になっている。

少し離れて、十周年記念に贈られたレリーフ版もある。
2014年2月21日金曜日
クリスティ文庫(21)
『茶色の服の男』を最後まで読み、手記を利用したトリックが仕掛けられていることがわかった。
手記を利用したトリックで超有名なのは『アクロイド殺し』(1926)だ。今まで、このトリックを最初に使ったのは『アクロイド殺し』だと思っていた。どうしてそう思っていたかと言えば、別の作品の後書きを読んだためだ。
後書きでトリックがばれてしまうのは仕方がないとしても、不正確な記述は許せないと思い、そう誤解させた記述を探してみた。
創元推理文庫の『ゴルフ場の殺人』に「クリスティ訪問記」が載っており、その中にクリスティ自身のコメントとして、『アクロイド殺害事件』(創元推理文庫ではこの題名)について「大多数の人に好まれており、あのトリックを上手にいかした最初の作品」とある。
単に最初に使ったとは書いていない、「上手にいかした」という修飾語がついている。ただ、自分としては、『茶色の服の男』も充分によく生かされていると思う。少なくとも、それでだまされた読者で、怒った人はいなかったのだろうと思う。
『アクロイド殺し』を読んでアンフェアと怒った人は、それほどのクリスティファンでは、なかったのだろう。クリスティのそれまでの作品をすべて読んでいたら、不意打ちでもなんでもなかったはずだからだ。これもまたアリということは織り込み済みだったろうと思う。
手記を利用したトリックで超有名なのは『アクロイド殺し』(1926)だ。今まで、このトリックを最初に使ったのは『アクロイド殺し』だと思っていた。どうしてそう思っていたかと言えば、別の作品の後書きを読んだためだ。
後書きでトリックがばれてしまうのは仕方がないとしても、不正確な記述は許せないと思い、そう誤解させた記述を探してみた。
創元推理文庫の『ゴルフ場の殺人』に「クリスティ訪問記」が載っており、その中にクリスティ自身のコメントとして、『アクロイド殺害事件』(創元推理文庫ではこの題名)について「大多数の人に好まれており、あのトリックを上手にいかした最初の作品」とある。
単に最初に使ったとは書いていない、「上手にいかした」という修飾語がついている。ただ、自分としては、『茶色の服の男』も充分によく生かされていると思う。少なくとも、それでだまされた読者で、怒った人はいなかったのだろうと思う。
『アクロイド殺し』を読んでアンフェアと怒った人は、それほどのクリスティファンでは、なかったのだろう。クリスティのそれまでの作品をすべて読んでいたら、不意打ちでもなんでもなかったはずだからだ。これもまたアリということは織り込み済みだったろうと思う。
2014年2月20日木曜日
クリスティ文庫(20)
『茶色の服の男』(1924)、アンという女性の冒険物語、アンが自分の体験談として語っているが、アンが自身で経験していないことは、別の人間の手記が語っている。
作中、わたし(私)を指すのは、それぞれ別の人物ということになる。早川書房では別人の手記の部分は、字体を変えているので、文中の自分が誰なのかわかりやすいが、それでもぼんやりしていると間違えそうになる。
この書き方でコリンズを思いだした。コリンズの『白衣の女』(1860)も『月長石』(1868)も、複数の人間の手記からなっており、しかも作中で筆者が交代するので、今自分は誰なのか読んでいて注意する必要がある。
このコリンズの方式は、もともとあった形なのか、時代の流行なのか、コリンズが編み出したのかは、よくわからない。
クリスティは、コリンズを読んでいると思うが、その影響を受けたのかも不明だ。
全作読んでから自伝を読もうと思っているので、今後解決するかもしれない。
作中、わたし(私)を指すのは、それぞれ別の人物ということになる。早川書房では別人の手記の部分は、字体を変えているので、文中の自分が誰なのかわかりやすいが、それでもぼんやりしていると間違えそうになる。
この書き方でコリンズを思いだした。コリンズの『白衣の女』(1860)も『月長石』(1868)も、複数の人間の手記からなっており、しかも作中で筆者が交代するので、今自分は誰なのか読んでいて注意する必要がある。
このコリンズの方式は、もともとあった形なのか、時代の流行なのか、コリンズが編み出したのかは、よくわからない。
クリスティは、コリンズを読んでいると思うが、その影響を受けたのかも不明だ。
全作読んでから自伝を読もうと思っているので、今後解決するかもしれない。
2014年2月19日水曜日
クリスティ文庫(19)
戯曲『アクナーテン』を読み、戯曲『評決』に似ていると思う(文庫ではブラック・コーヒーの題名の本に収録)。どちらも良いことを考え、実行するが、逆にそれが周りの人間に不幸をもたらす。
『評決』で、登場人物が最後の方で、「極端な理想主義者は、周りの人間を不幸にする点では、極端なエゴイストと変わらない」という意味の事を言う。
今放送中のドラマで、あくまで隠蔽工作に反対する主人公が、友人から家族のことを考えて、筋を曲げて保身に走るように忠告される。
永遠のテーマのように思う。自分は『評決』を気にいったが、興行成績はよくなかったようだ。クリスティ作の題名「評決」から観客が期待するものとは、違った内容だったせいだろう。クリスティは別の題名にしたかったようだが、通らなかったらしい。
読者の求めるものを書かせられる例は、いくつもあるように思う。シャーロック・ホームズは崖から落ちて死んだはずなのに、死んでいなかった。
オズシリーズも一度は終了宣言を出したが、書き続けられた。
スティーブン・キングの『ミザリー』で、作中の小説家は、熱狂的な読者に監禁されて一度死なせた主人公を生き返らせて話を続けるよう強要される。小説の中の現実と小説の中の小説が同時進行する。キングが書いたもので自分の好きな小説三本(か五本)の指の中に入る。
『評決』で、登場人物が最後の方で、「極端な理想主義者は、周りの人間を不幸にする点では、極端なエゴイストと変わらない」という意味の事を言う。
今放送中のドラマで、あくまで隠蔽工作に反対する主人公が、友人から家族のことを考えて、筋を曲げて保身に走るように忠告される。
永遠のテーマのように思う。自分は『評決』を気にいったが、興行成績はよくなかったようだ。クリスティ作の題名「評決」から観客が期待するものとは、違った内容だったせいだろう。クリスティは別の題名にしたかったようだが、通らなかったらしい。
読者の求めるものを書かせられる例は、いくつもあるように思う。シャーロック・ホームズは崖から落ちて死んだはずなのに、死んでいなかった。
オズシリーズも一度は終了宣言を出したが、書き続けられた。
スティーブン・キングの『ミザリー』で、作中の小説家は、熱狂的な読者に監禁されて一度死なせた主人公を生き返らせて話を続けるよう強要される。小説の中の現実と小説の中の小説が同時進行する。キングが書いたもので自分の好きな小説三本(か五本)の指の中に入る。
2014年2月18日火曜日
雪の重み
雪が降った後で散歩中、あちこちで枝が折れているのを見かける。雪の重みで折れたのかと思う。
雪が解ける前に歩いた時には、積雪十センチにもなっていないように思った。北海道生まれの自分には、たいしたことがないように感じる。でも他に原因が思い当たらない。
常盤緑道の道路脇にかなりの大きさの枝が置いてある。この枝も折れたようだ。見ると枝にたくさん蕾がついている。時期的に梅の花だろう。何年も前を通っているのに、どんな花が咲いていたか記憶にないのが、不甲斐ない。
「もったいない、この蕾は咲くのだろうか、咲くのなら小枝をちぎって持って帰りたい」と思う。薔薇の切り花なら蕾が咲いたのを見たことはない。
咲くのかな、咲かないのかな、もうしばらく枝を片付けないで、このまま置いておいてほしい。
家に帰って、気付いたが、雪が多い地域に植えられている樹木は雪に強い樹種で、埼玉の樹木は雪に弱い樹種なのかもしれない。人間でよかった。日本中どこの気候にも対応可能だと思う。
後日、折れずに残った枝の蕾がなかなか開かないので、よく幹を見ると横に縞があるので桜の樹のようだった。
5月11日、実がなっているのに気付いた。梅の実だと思う。少なくともサクランボではない。それとも桃だろうか。
6月29日、実が大きくなりピンクに色づいている。最終結論として桃の木だと思う。
雪が解ける前に歩いた時には、積雪十センチにもなっていないように思った。北海道生まれの自分には、たいしたことがないように感じる。でも他に原因が思い当たらない。
常盤緑道の道路脇にかなりの大きさの枝が置いてある。この枝も折れたようだ。見ると枝にたくさん蕾がついている。時期的に梅の花だろう。何年も前を通っているのに、どんな花が咲いていたか記憶にないのが、不甲斐ない。
「もったいない、この蕾は咲くのだろうか、咲くのなら小枝をちぎって持って帰りたい」と思う。薔薇の切り花なら蕾が咲いたのを見たことはない。
咲くのかな、咲かないのかな、もうしばらく枝を片付けないで、このまま置いておいてほしい。
家に帰って、気付いたが、雪が多い地域に植えられている樹木は雪に強い樹種で、埼玉の樹木は雪に弱い樹種なのかもしれない。人間でよかった。日本中どこの気候にも対応可能だと思う。
後日、折れずに残った枝の蕾がなかなか開かないので、よく幹を見ると横に縞があるので桜の樹のようだった。
5月11日、実がなっているのに気付いた。梅の実だと思う。少なくともサクランボではない。それとも桃だろうか。
6月29日、実が大きくなりピンクに色づいている。最終結論として桃の木だと思う。
2014年2月17日月曜日
クリスティ文庫(18)
戯曲『招かれざる客』、最後まで読んだが、犯人が誰かわからない。わからないという結論が正しいのかもわからない。
人は嘘をつく場合もあり、確からしい事実だけから判断するとしたら、犯人は登場人物以外にいる可能性もあると思う。これだけは確かといえそうな事実は、誰でも外から入ってきて、被害者を銃で撃ち、去って行くことが可能だった、被害者は家族の知らない誰かに恨みを買っている可能性が高いということだ。
推理小説やドラマを見ていると、犯人はどうしてそういう余計な小細工をするのだろうと思うことがある。その小細工が見破られたら言い逃れできなくなる。余計なことをしなければ、たとえ疑われたとしても有罪とできるだけの証拠を警察が手に入れることはできなかっただろうにと思う。
作者の都合とも思うが、クリスティは他の小説で「犯人のうぬぼれ」と説明している。また、ポアロを見くびって、ポアロをわざわざ引きいれて偽の証拠の証人にしたてている場合もある。名探偵が見くびられることもないように思うのだが、年を取って老いぼれたと思われ、その名声だけを利用しようとしたらしい。
人は嘘をつく場合もあり、確からしい事実だけから判断するとしたら、犯人は登場人物以外にいる可能性もあると思う。これだけは確かといえそうな事実は、誰でも外から入ってきて、被害者を銃で撃ち、去って行くことが可能だった、被害者は家族の知らない誰かに恨みを買っている可能性が高いということだ。
推理小説やドラマを見ていると、犯人はどうしてそういう余計な小細工をするのだろうと思うことがある。その小細工が見破られたら言い逃れできなくなる。余計なことをしなければ、たとえ疑われたとしても有罪とできるだけの証拠を警察が手に入れることはできなかっただろうにと思う。
作者の都合とも思うが、クリスティは他の小説で「犯人のうぬぼれ」と説明している。また、ポアロを見くびって、ポアロをわざわざ引きいれて偽の証拠の証人にしたてている場合もある。名探偵が見くびられることもないように思うのだが、年を取って老いぼれたと思われ、その名声だけを利用しようとしたらしい。
2014年2月16日日曜日
クリスティ文庫(17)
「トミーとタペンス」というよりは、「タペンスとトミーそしてアルバート」という方がぴったりのように思う。
『運命の裏木戸』では、飼い犬のハンニバルも大活躍をし、登場人物一覧表に加えられている。他に重要な役割を果たす犬が登場するのは、ポアロの長編では『もの言えぬ証人』、短編集の『ヘラクレスの冒険』、短編集『マン島の黄金』の中の『愛犬の死』だ。
これだけで、イギリス人は特に犬好きとは言いきれない。自分が散歩中に、飼い犬を散歩させている人達の様子を見た限りでは、日本人も同じくらいに犬好きのように思えるからだ。
作者のクリスティについても犬好きかどうかは、わからない。『サーバーのイヌ・いぬ・犬』の作者は、この本ではっきりと犬好きと言える。
『運命の裏木戸』では、飼い犬のハンニバルも大活躍をし、登場人物一覧表に加えられている。他に重要な役割を果たす犬が登場するのは、ポアロの長編では『もの言えぬ証人』、短編集の『ヘラクレスの冒険』、短編集『マン島の黄金』の中の『愛犬の死』だ。
これだけで、イギリス人は特に犬好きとは言いきれない。自分が散歩中に、飼い犬を散歩させている人達の様子を見た限りでは、日本人も同じくらいに犬好きのように思えるからだ。
作者のクリスティについても犬好きかどうかは、わからない。『サーバーのイヌ・いぬ・犬』の作者は、この本ではっきりと犬好きと言える。
2014年2月15日土曜日
まゆ玉
また、雪が降った。
この前と違うところは、梅の開花が進んでいたこと。
しだれの枝に扇状にピンクの梅の花が満開になっているのを見たばかりだ。
その梅の花の上に白い雪が積もっている。上半分が白で下半分が紅色。まゆ玉のようだ。それともまゆ玉の方が真似ているのか。
まゆは繭だから、やっぱり雪を被った梅の花がまゆ玉に似ているのだろう。
この前と違うところは、梅の開花が進んでいたこと。
しだれの枝に扇状にピンクの梅の花が満開になっているのを見たばかりだ。
その梅の花の上に白い雪が積もっている。上半分が白で下半分が紅色。まゆ玉のようだ。それともまゆ玉の方が真似ているのか。
まゆは繭だから、やっぱり雪を被った梅の花がまゆ玉に似ているのだろう。
2014年2月14日金曜日
クリスティ文庫(16)
トミーとタペンスの長編四作目『運命の裏木戸』、二人は田舎に家を買う。家の前の持ち主から本も一緒に譲り受ける。本を整理中、子供の頃読んだ本が懐かしくて、読みながら整理しているので、はかどらない。
そのうちに、本の中に引かれている赤線をつなげると、謎の文章ができることに気づく。タペンスは今度は、この謎ときに夢中になる。
子供のころに読んだ本でも挿絵が変わってしまうと同じ本とは思えなくなる気持ちには同感だ。もう一度読もうと思っても、同じ話の本は見つかっても、自分が読んだ本と同じ本が見つからないのは残念だ。
問題のメッセージがある本は、スティーヴンスンの『黒い矢』だ。『宝島』と『ジキル博士とハイド氏』は有名だが、『黒い矢』は聞いたことがない。ただ、もしかして、薔薇戦争の時代を舞台にした冒険小説ではないかと思った。子供の頃家にあり誰が買ったのかわからない古い本で一部分読んだ記憶がある。一部分というのは、頁が一部分とれてなくなっていたからだ。ネットで調べたら思った通りだった。自分は、『宝島』は世間で言われているほどおもしろい気はしなかったが、『自殺クラブ』はおもしろかった。『黒い矢』も是が非でも全部読みたいとは思わなかったが、記憶に残っているのは、さすがにスティーヴンスンだと思う。
与野本町駅西口の白薔薇

与野公園の赤薔薇

ヨーク家とランカスター家、どっちが白薔薇でどっちが赤薔薇か調べないとわからない。歴史がわからないと読むのは大変じゃないかと思う。現代のイギリスの子供にも読まれているのか気になるところだ。
『親指のうずき』には、ランカスター夫人という人物が出てくる。そしてヨーク夫人も。
そのうちに、本の中に引かれている赤線をつなげると、謎の文章ができることに気づく。タペンスは今度は、この謎ときに夢中になる。
子供のころに読んだ本でも挿絵が変わってしまうと同じ本とは思えなくなる気持ちには同感だ。もう一度読もうと思っても、同じ話の本は見つかっても、自分が読んだ本と同じ本が見つからないのは残念だ。
問題のメッセージがある本は、スティーヴンスンの『黒い矢』だ。『宝島』と『ジキル博士とハイド氏』は有名だが、『黒い矢』は聞いたことがない。ただ、もしかして、薔薇戦争の時代を舞台にした冒険小説ではないかと思った。子供の頃家にあり誰が買ったのかわからない古い本で一部分読んだ記憶がある。一部分というのは、頁が一部分とれてなくなっていたからだ。ネットで調べたら思った通りだった。自分は、『宝島』は世間で言われているほどおもしろい気はしなかったが、『自殺クラブ』はおもしろかった。『黒い矢』も是が非でも全部読みたいとは思わなかったが、記憶に残っているのは、さすがにスティーヴンスンだと思う。
与野本町駅西口の白薔薇

与野公園の赤薔薇

ヨーク家とランカスター家、どっちが白薔薇でどっちが赤薔薇か調べないとわからない。歴史がわからないと読むのは大変じゃないかと思う。現代のイギリスの子供にも読まれているのか気になるところだ。
『親指のうずき』には、ランカスター夫人という人物が出てくる。そしてヨーク夫人も。
2014年2月13日木曜日
クリスティ文庫(15)
トミーとタペンスの長編三作目『親指のうずき』、トミーの叔母が高齢者施設で亡くなり、二人で遺品を受け取りに行く。遺品の中に、運河沿いに建つ家を描いた風景画があり、タペンスはその家を見たことがあると思う。
少し経ってから列車の窓から見たことを思い出す。その家を見たときに、後で近くでよく見ようと思い、最寄りの駅を覚えようとしたが、田舎の小駅がどんどん廃止されていた頃で、その家を見てから最初の駅に止まるまでの時間が三十分ほどだった。運河も今では使われていない。
その風景画は、同じ施設の入居者から叔母がもらったものだったが、その入居者は、タペンスに謎の言葉を残し、行方不明。唯一の手掛かりとなった絵に描かれている家を探し出すことにする。
自動車で探すことにするが、幹線道路から外れており、田舎の道の整備もなおざりにされているので、地図であたりをつけた場所になかなか行きつくことができない。
自動車の時代になって、田舎の鉄道が縮小されたり、内陸の船舶輸送が廃止されるのは日本と変わらない。
「大宮花の丘農林公苑」内の水路に跳ね橋がかかっている。遺構ではなく、雰囲気を出すための飾りなのだと思う。

船の運航の遺構は、見沼通船堀にある。

農業用水路が船の運航にも使われているところがヨーロッパと違うところだろう。農業用水路と排水路の役目をする川との水位を調節するための関だ。現在は年に一度当時の再現のために使用される。
少し経ってから列車の窓から見たことを思い出す。その家を見たときに、後で近くでよく見ようと思い、最寄りの駅を覚えようとしたが、田舎の小駅がどんどん廃止されていた頃で、その家を見てから最初の駅に止まるまでの時間が三十分ほどだった。運河も今では使われていない。
その風景画は、同じ施設の入居者から叔母がもらったものだったが、その入居者は、タペンスに謎の言葉を残し、行方不明。唯一の手掛かりとなった絵に描かれている家を探し出すことにする。
自動車で探すことにするが、幹線道路から外れており、田舎の道の整備もなおざりにされているので、地図であたりをつけた場所になかなか行きつくことができない。
自動車の時代になって、田舎の鉄道が縮小されたり、内陸の船舶輸送が廃止されるのは日本と変わらない。
「大宮花の丘農林公苑」内の水路に跳ね橋がかかっている。遺構ではなく、雰囲気を出すための飾りなのだと思う。

船の運航の遺構は、見沼通船堀にある。

農業用水路が船の運航にも使われているところがヨーロッパと違うところだろう。農業用水路と排水路の役目をする川との水位を調節するための関だ。現在は年に一度当時の再現のために使用される。
2014年2月12日水曜日
マテ茶
テレビで、世界で一番お茶の消費量が多い国で飲まれているお茶は、マテ茶だと言っていた。そういえば最近マテ茶のコマーシャルをよく見かける。
どんなお茶か興味が湧いてスーパーで茶葉を買った。
袋を開けると匂いがドクダミ茶に似ている。飲んでみると味も似ている。
同じ種類の植物かと思ったが、特に関連はないようだ。よくわからない。
さいたま市内で歩道に設けられている花壇の中に雑草のようにたくさん咲いている黄色い芯で四枚の十字形の白い花が何かと思ったらドクダミだった。春にあちこちに見られる。つつじがドクダミに圧倒されそうなところもある。ちなみに白い花弁と思ったのは花弁ではないそうだ。

埼玉に来るまでは見たことがなかった。ドクダミの名前は清涼飲料水のコマーシャルで良く聞いていたので、これが有名なドクダミかと思った。
これはこれで綺麗だが、つつじがドクダミに呑み込まれているようなのを見ると、いいのかなぁと思う。
どんなお茶か興味が湧いてスーパーで茶葉を買った。
袋を開けると匂いがドクダミ茶に似ている。飲んでみると味も似ている。
同じ種類の植物かと思ったが、特に関連はないようだ。よくわからない。
さいたま市内で歩道に設けられている花壇の中に雑草のようにたくさん咲いている黄色い芯で四枚の十字形の白い花が何かと思ったらドクダミだった。春にあちこちに見られる。つつじがドクダミに圧倒されそうなところもある。ちなみに白い花弁と思ったのは花弁ではないそうだ。

埼玉に来るまでは見たことがなかった。ドクダミの名前は清涼飲料水のコマーシャルで良く聞いていたので、これが有名なドクダミかと思った。
これはこれで綺麗だが、つつじがドクダミに呑み込まれているようなのを見ると、いいのかなぁと思う。

2014年2月11日火曜日
クリスティ文庫(14)
短編集『ヘラクレスの冒険』を読んで、ポアロがフランス人と思われるのは、フランス名前のせいだと気付いた。山田太郎という名前を聞いたら日本人とわかるようなものだろう。
トミーとタペンスのタペンスが本名ではなく愛称だということを『秘密機関』を読んで知った。ただ、プルーデンスの本名からどうしてタペンスの愛称になるのかがわからない。本名からではなく本人の性格からきたものかもしれない。
タペンスの意味を調べると「2ペンス硬貨」だった。プルーデンスの方は「慎重に行動する」ということになるようだ。本人の性格とは真反対の名前だ。イギリス人なら本名を聞いてくすっと笑うところだろう。タペンスからイギリス人がどういう印象の人間を考えるのかは、わからない。推測すると2ペンスは小銭だから、そのへんによくあって、頻繁にやりとりされることから「庶民的」、「敏捷、すばしっこい(流通速度が早そうなお金から足が速いを連想)」というイメージだろうか。日本語を習いたての外国人は、逆にお金を御足ということがわからないかもしれない。
『秘密機関』の肝心の謎ときは、タペンスが2(ツー)ペンスであることを当然すぎるくらいに知っていることが前提になっている。
ポアロが英語の常套句を間違える記述は、注つきになるので、ダジャレを説明される様なもので、笑えない。日本語に訳しきれないところを説明しすぎるとネタばらしになってしまう場合は、訳者も大変だなと思う。
トミーとタペンスのタペンスが本名ではなく愛称だということを『秘密機関』を読んで知った。ただ、プルーデンスの本名からどうしてタペンスの愛称になるのかがわからない。本名からではなく本人の性格からきたものかもしれない。
タペンスの意味を調べると「2ペンス硬貨」だった。プルーデンスの方は「慎重に行動する」ということになるようだ。本人の性格とは真反対の名前だ。イギリス人なら本名を聞いてくすっと笑うところだろう。タペンスからイギリス人がどういう印象の人間を考えるのかは、わからない。推測すると2ペンスは小銭だから、そのへんによくあって、頻繁にやりとりされることから「庶民的」、「敏捷、すばしっこい(流通速度が早そうなお金から足が速いを連想)」というイメージだろうか。日本語を習いたての外国人は、逆にお金を御足ということがわからないかもしれない。
『秘密機関』の肝心の謎ときは、タペンスが2(ツー)ペンスであることを当然すぎるくらいに知っていることが前提になっている。
ポアロが英語の常套句を間違える記述は、注つきになるので、ダジャレを説明される様なもので、笑えない。日本語に訳しきれないところを説明しすぎるとネタばらしになってしまう場合は、訳者も大変だなと思う。
2014年2月10日月曜日
クリスティ文庫(13)
短編集『マン島の黄金』、クリスティの死後、出された。雑誌に発表された後、どの短編集にも載らなかったものが多く納められているということで、一つの性格でくくれないものが集まった。
その中で、「孤独な神さま」が一番気に入った。大人のおとぎ話のようだ。涙がじわっと出てきたところがあって、クリスティは泣かせる話も書けるのだと少し驚いた。笑わせることができることには気づいていたが、この話も最後の部分はユーモアで終わっている。
「夢の家」も結構気に入った。推理小説以外の長編にも期待が持てる。
その中で、「孤独な神さま」が一番気に入った。大人のおとぎ話のようだ。涙がじわっと出てきたところがあって、クリスティは泣かせる話も書けるのだと少し驚いた。笑わせることができることには気づいていたが、この話も最後の部分はユーモアで終わっている。
「夢の家」も結構気に入った。推理小説以外の長編にも期待が持てる。
2014年2月9日日曜日
雪かき
朝、窓から外を見ると歩道が雪で覆われている。10時ごろ、外で雪かきをする音が聞こえる。雪が全部溶けるまで家に籠っているわけにもいかないので、外に出てみた。
歩いていると、あちこちで雪かきをしているが、雪かきをしても雪が消えてなくなるわけではない。ただ、その位置が動くだけだ。どこの場所の雪を取り除いて、どこに雪を集めるか。見ていると、各自の判断に従っているようで、取り決めのようなものは、なさそうだ。
たいていはスコップやプラスチック製の雪かきを使っているが、ちりとりを使っている人もいる。雪がとけてみぞれ状態なので、ちりとりも結構役にたっているようだ。今晩解けた雪が凍ると、明日の朝はプラスチック製のちりとりでは、歯がたたないだろう。
踏むと崩れるみぞれ状の雪の上を歩くのは、砂浜の上を歩くのに似ている。
別所沼公園は、いつもの日曜日よりも人が少ない。本格的なカメラを構えている人が、何人もいるのは、撮る機会の少ない雪景色を期待してのことだろう。二年前に撮った下の写真よりも雪が多い。
歩いていると、あちこちで雪かきをしているが、雪かきをしても雪が消えてなくなるわけではない。ただ、その位置が動くだけだ。どこの場所の雪を取り除いて、どこに雪を集めるか。見ていると、各自の判断に従っているようで、取り決めのようなものは、なさそうだ。
たいていはスコップやプラスチック製の雪かきを使っているが、ちりとりを使っている人もいる。雪がとけてみぞれ状態なので、ちりとりも結構役にたっているようだ。今晩解けた雪が凍ると、明日の朝はプラスチック製のちりとりでは、歯がたたないだろう。
踏むと崩れるみぞれ状の雪の上を歩くのは、砂浜の上を歩くのに似ている。
別所沼公園は、いつもの日曜日よりも人が少ない。本格的なカメラを構えている人が、何人もいるのは、撮る機会の少ない雪景色を期待してのことだろう。二年前に撮った下の写真よりも雪が多い。

2014年2月8日土曜日
本町通りの庚申塔
与野公園に行く途中、本町通りの交差点で信号待ちをしている時に、円乗院のなかの工事中の幕がなくなっているのに気付いた。
工事中、近づけなかった庚申塔を間近に見られるかと思い、中に入った。近くから見ることができるが写真撮影ができない。
さいたま市ホームページの「指定文化財の紹介(有形民俗文化財)」の頁で写真を見ることができる。三猿のみで、青面金剛像がない江戸時代の初めころによく見られるタイプだ。
市が写真を撮った後で設置場所が変わっている。今は、門を入り向かって左側にある。

円乗院
工事中、近づけなかった庚申塔を間近に見られるかと思い、中に入った。近くから見ることができるが写真撮影ができない。
さいたま市ホームページの「指定文化財の紹介(有形民俗文化財)」の頁で写真を見ることができる。三猿のみで、青面金剛像がない江戸時代の初めころによく見られるタイプだ。
市が写真を撮った後で設置場所が変わっている。今は、門を入り向かって左側にある。

円乗院

2014年2月7日金曜日
グリーンベルト
散歩していたら、いきなり「グーンベルトの上を歩きなさい。」という厳しい声がした。
風で帽子が飛ばないよう下を向いて歩いていたので、びっくりして顔を上げた。向かい側から歩いてきた30代くらいの母親が道路中央側に走って飛び出している小学生の男の子達に注意した声のようだ。
細い裏道で、アスファルトの道路の両端が一メートル幅くらいに緑色に着色されていて境目に白線が引かれている。着色されていない真ん中部分は自動車一台が通れるくらいの幅だ。緑色の部分が歩道ということだろう。意味としては「歩道の上を歩きなさい」ということだ。
埼玉県に来て、歩道を示すために道路が緑色に着色されているのを初めて見た。県内ではさいたま市以外にも見られる。
この緑色の部分を「グリーンベルト」と言うのを聞くのは初めてだ。「なんか、かっこいい、子供に戦隊ヒーローごっこをさせているみたいだ」と思い、「グリーンベレー」という単語が頭に浮かんだ。「グリーンベレー」からの連想と厳しく指示する口調が結びついて「かっこいい」と感じたのだろう。
このグリーンベルトは正式な名称なのか、埼玉県以外でもやっているのかと思い検索したら、グリーンベルトは一般的には都市の緑地帯を指す。そういえば、札幌にいたときには、幅の広い車道の中央分離帯が緑地になっている場合に、そこをグリーンベルトと言っていた。
風で帽子が飛ばないよう下を向いて歩いていたので、びっくりして顔を上げた。向かい側から歩いてきた30代くらいの母親が道路中央側に走って飛び出している小学生の男の子達に注意した声のようだ。
細い裏道で、アスファルトの道路の両端が一メートル幅くらいに緑色に着色されていて境目に白線が引かれている。着色されていない真ん中部分は自動車一台が通れるくらいの幅だ。緑色の部分が歩道ということだろう。意味としては「歩道の上を歩きなさい」ということだ。
埼玉県に来て、歩道を示すために道路が緑色に着色されているのを初めて見た。県内ではさいたま市以外にも見られる。
この緑色の部分を「グリーンベルト」と言うのを聞くのは初めてだ。「なんか、かっこいい、子供に戦隊ヒーローごっこをさせているみたいだ」と思い、「グリーンベレー」という単語が頭に浮かんだ。「グリーンベレー」からの連想と厳しく指示する口調が結びついて「かっこいい」と感じたのだろう。
このグリーンベルトは正式な名称なのか、埼玉県以外でもやっているのかと思い検索したら、グリーンベルトは一般的には都市の緑地帯を指す。そういえば、札幌にいたときには、幅の広い車道の中央分離帯が緑地になっている場合に、そこをグリーンベルトと言っていた。
2014年2月6日木曜日
クリスティ文庫(12)
短編集『死人の鏡』には、4作納められている。2作目「謎の盗難事件」を読み始めてすぐに読んだことがあると思った。設計図が盗まれるのは同じだが、題名が記憶と違う。最後のところを読むと同じ犯人、同じトリックだ。
2作目を飛ばして3作目を読む。これも読み始めてすぐ「第二のドラ」のようだと思う(早川書房の訳では第二のゴング)。こちらは題名も分量も明らかに違うので、別の作品であることは間違いない。流し読みをして最後の謎ときを読むと、登場人物が少し違っていて、犯人と動機が違うがトリックは同じだ。
4作目の「砂にかかれた三角形」を読む。ポアロの長編のうちの一作を思い出す。保養地の海岸で若い夫婦のうちの夫の方が、女性的魅力にあふれた既婚の女性に惹かれ、夫に構われなくなった妻が周りの人間に憐れまれて、もっとセンスのいいものを身につけるといいのにと思われる。
もし、同じトリックならこの同情されている妻の、気弱な性格は演技だろうと思いながら読む。やっぱりだ。ただ、分量が違いすぎるので、一見すると同じトリックの使用とはいえない。ただ、長編では、最後にその妻の正体がわかってすべてに納得がいく。
何度も読む推理小説はあるので、トリックや犯人がわかっているというだけで、もうその作品を読む価値がなくなるというものでもない。自分はチェスタトンのブラウン神父やアシモフの黒後家蜘蛛の会は何度も読んでいるし、これからも読むと思う。
ただ、読みながら「これは前に読んだことがあったかなかったか」、とか「違う作品だとしたら違う謎ときになっているのだろうか」と思いながら読んだのでは気が散って楽しめない。
「バグダッドの大櫃の謎」と「スペイン櫃の秘密」もほぼ同じ内容になっている。ただ、こちらは一方にヘイスティングズが登場しているが、他方には出てこず、ポアロがヘイスティングズのロマンチックな謎ときが聞けなくて残念と言っている。この違いを楽しむために両方読むという選択もある。
あらかじめ、作品と作品の関係がわかった上で読んだ方がいいと思うが、推理小説の解説や感想は、トリックや犯人を伏せるのがマナーということになっているようだ。自分としては、このマナーは逆に読者に不親切のように思う。
2作目を飛ばして3作目を読む。これも読み始めてすぐ「第二のドラ」のようだと思う(早川書房の訳では第二のゴング)。こちらは題名も分量も明らかに違うので、別の作品であることは間違いない。流し読みをして最後の謎ときを読むと、登場人物が少し違っていて、犯人と動機が違うがトリックは同じだ。
4作目の「砂にかかれた三角形」を読む。ポアロの長編のうちの一作を思い出す。保養地の海岸で若い夫婦のうちの夫の方が、女性的魅力にあふれた既婚の女性に惹かれ、夫に構われなくなった妻が周りの人間に憐れまれて、もっとセンスのいいものを身につけるといいのにと思われる。
もし、同じトリックならこの同情されている妻の、気弱な性格は演技だろうと思いながら読む。やっぱりだ。ただ、分量が違いすぎるので、一見すると同じトリックの使用とはいえない。ただ、長編では、最後にその妻の正体がわかってすべてに納得がいく。
何度も読む推理小説はあるので、トリックや犯人がわかっているというだけで、もうその作品を読む価値がなくなるというものでもない。自分はチェスタトンのブラウン神父やアシモフの黒後家蜘蛛の会は何度も読んでいるし、これからも読むと思う。
ただ、読みながら「これは前に読んだことがあったかなかったか」、とか「違う作品だとしたら違う謎ときになっているのだろうか」と思いながら読んだのでは気が散って楽しめない。
「バグダッドの大櫃の謎」と「スペイン櫃の秘密」もほぼ同じ内容になっている。ただ、こちらは一方にヘイスティングズが登場しているが、他方には出てこず、ポアロがヘイスティングズのロマンチックな謎ときが聞けなくて残念と言っている。この違いを楽しむために両方読むという選択もある。
あらかじめ、作品と作品の関係がわかった上で読んだ方がいいと思うが、推理小説の解説や感想は、トリックや犯人を伏せるのがマナーということになっているようだ。自分としては、このマナーは逆に読者に不親切のように思う。
2014年2月5日水曜日
知らずに法律違反をした?
公園や道路の屋外に設置されている美術品を写真に撮ってブログにのせてもいいのか気になったので、著作権法をみた。
条文を眺めているうちに、コンビニのコピー機を使ってコピーをすると私的使用でも違法になることに気付いて、思わずぎょっとした。(30条1項1号)
条文の後ろについている判例を見ると企業その他の団体において、内部的に業務上利用するのもアウトらしい。
以前勤めていた時に、同じ職場内の打ち合わせで説明用に書籍の一部をコピーして配ったり、出張先で見るために本の一部をコピーして持っていったことがあったが、それも違法だったらしい。
さっき法律雑誌を見ていたら、今のところ経過措置としてコンビニ設置のコピー機での複製はOKだとわかった。(法附則5条の2)今のところといっても昭和59年に改正されてから30年近くもそれが続いている。
図書館では一人一部までコピーできるが、一人で五人のためにコピーしようとしても拒絶される。アマゾンで中古の本しか手に入れられないような本でもそうだ。どこがどういうふうに著作権の保護になっているのかは理解できない。
大学生の時、生協で他人のノートをコピーしたことがある。昭和59年の改正前のことだ。昭和59年の頃はもう社会人だった。結局すぐには禁止されないにしても、将来禁止される行為になるということが話題になった記憶が全然ない。多分、禁止されるようになったら、コピー機のところに注意書きでものるのだろう。
それにしても、中途半端に条文を読むと全然読まないより害がありそうなのは恐ろしい。六法の条文の末尾に参照条文がつくが、附則については載らないので、注意しなければならないことは知っていたが、改めて「怖いなー」と思う。
条文を眺めているうちに、コンビニのコピー機を使ってコピーをすると私的使用でも違法になることに気付いて、思わずぎょっとした。(30条1項1号)
条文の後ろについている判例を見ると企業その他の団体において、内部的に業務上利用するのもアウトらしい。
以前勤めていた時に、同じ職場内の打ち合わせで説明用に書籍の一部をコピーして配ったり、出張先で見るために本の一部をコピーして持っていったことがあったが、それも違法だったらしい。
さっき法律雑誌を見ていたら、今のところ経過措置としてコンビニ設置のコピー機での複製はOKだとわかった。(法附則5条の2)今のところといっても昭和59年に改正されてから30年近くもそれが続いている。
図書館では一人一部までコピーできるが、一人で五人のためにコピーしようとしても拒絶される。アマゾンで中古の本しか手に入れられないような本でもそうだ。どこがどういうふうに著作権の保護になっているのかは理解できない。
大学生の時、生協で他人のノートをコピーしたことがある。昭和59年の改正前のことだ。昭和59年の頃はもう社会人だった。結局すぐには禁止されないにしても、将来禁止される行為になるということが話題になった記憶が全然ない。多分、禁止されるようになったら、コピー機のところに注意書きでものるのだろう。
それにしても、中途半端に条文を読むと全然読まないより害がありそうなのは恐ろしい。六法の条文の末尾に参照条文がつくが、附則については載らないので、注意しなければならないことは知っていたが、改めて「怖いなー」と思う。
2014年2月4日火曜日
クリスティ文庫(11)
短編集『リスタデール卿の謎』も初めて読むはずだが、どれもこれも読んだことがあるような気がする。これは、早川書房以外から別の名前で出されている短編集があり、それを読んだのだろうと思い、検索してみた。
やはり、創元推理文庫に『クリスチィ短編全集』というのがあった。埼玉県立図書館に1から5まであり、それぞれの収録作品を見ると1が『死の猟犬』で、2が『リスタデール卿の謎』だ。多分、長姉が買ったのを借りて読んだのだろう。記憶している程度と今読んでおもしろいと思う程度はだいだい一致するようだ。
短編集『リスタデール卿の謎』の方がクリスティらしいように思う。特にその中の「六ペンスのうた」が、クリスティらしい。関係者に話を聞いただけで謎を解き、真実はわかったが証拠はなく、罠をかけてその証拠を得る、最後にちょっとしゃれたことを書いて終わる。
やはり、創元推理文庫に『クリスチィ短編全集』というのがあった。埼玉県立図書館に1から5まであり、それぞれの収録作品を見ると1が『死の猟犬』で、2が『リスタデール卿の謎』だ。多分、長姉が買ったのを借りて読んだのだろう。記憶している程度と今読んでおもしろいと思う程度はだいだい一致するようだ。
短編集『リスタデール卿の謎』の方がクリスティらしいように思う。特にその中の「六ペンスのうた」が、クリスティらしい。関係者に話を聞いただけで謎を解き、真実はわかったが証拠はなく、罠をかけてその証拠を得る、最後にちょっとしゃれたことを書いて終わる。
2014年2月3日月曜日
クリスティ文庫(10)
短編集『死の猟犬』、怪奇的小説が集められている。「検察側の証人」は例外だ。本当に超常現象が起こったというものと、トリックでそう見せかけただけのものがある。
この短編集は初めて読むが、以前に読んだ話もある。多分、父親が買った雑誌「宝石」の中に載っていたのを子供のころに読んだのだと思う。
「ラジオ」は、もう一度読みたいと思いながら、作者も題名もどの本で読んだかも覚えておらず、読めずにいたものだったので、今回、クリスティ文庫を読破することにしてよかったと思う。
どこが、心に残ったかと言えば、度々ラジオから亡くなった夫の声が聞こえ、予告通りその夫が迎えに来るというその夜に、もう病気による死を覚悟しており、幽霊とはいえ自分の夫だから、恐れていないはずだったのに、いざとなったら恐怖を感じ、その恐怖の理由が、夫はもう随分前に亡くなっており、自分にとっては見知らぬ他人になってしまったことに気付いたから、というところだ。
そして、この幽霊の声は何かのトリックで、結局皮肉な結果に終わったことは覚えていた。
夫でも何十年も会わないと見知らぬ他人になるというところが、どういうふうに表現されていたかということと、どういうトリックでどこが失敗したのかを確認したかった。
他に記憶していた短編は、「青い壺の謎」と「最後の降霊会」と「S・O・S」だ。(検索したところ、「青い壺の謎」と「最後の降霊会」は「宝石」で間違いないようだ。)
怪奇的小説にも関わらずユーモア(あるいは皮肉)が感じられるところが、クリスティらしいと思う。
100冊もあるので、人それぞれのベストテンがあると思うが、推理小説やミステリーはトリックやオチに着目してのそれが多いと思う。あるいは、登場人物の魅力に注目する人もいるだろう。自分なら「ユーモア」を基準にして選ぶんじゃないかと思う。
この短編集は初めて読むが、以前に読んだ話もある。多分、父親が買った雑誌「宝石」の中に載っていたのを子供のころに読んだのだと思う。
「ラジオ」は、もう一度読みたいと思いながら、作者も題名もどの本で読んだかも覚えておらず、読めずにいたものだったので、今回、クリスティ文庫を読破することにしてよかったと思う。
どこが、心に残ったかと言えば、度々ラジオから亡くなった夫の声が聞こえ、予告通りその夫が迎えに来るというその夜に、もう病気による死を覚悟しており、幽霊とはいえ自分の夫だから、恐れていないはずだったのに、いざとなったら恐怖を感じ、その恐怖の理由が、夫はもう随分前に亡くなっており、自分にとっては見知らぬ他人になってしまったことに気付いたから、というところだ。
そして、この幽霊の声は何かのトリックで、結局皮肉な結果に終わったことは覚えていた。
夫でも何十年も会わないと見知らぬ他人になるというところが、どういうふうに表現されていたかということと、どういうトリックでどこが失敗したのかを確認したかった。
他に記憶していた短編は、「青い壺の謎」と「最後の降霊会」と「S・O・S」だ。(検索したところ、「青い壺の謎」と「最後の降霊会」は「宝石」で間違いないようだ。)
怪奇的小説にも関わらずユーモア(あるいは皮肉)が感じられるところが、クリスティらしいと思う。
100冊もあるので、人それぞれのベストテンがあると思うが、推理小説やミステリーはトリックやオチに着目してのそれが多いと思う。あるいは、登場人物の魅力に注目する人もいるだろう。自分なら「ユーモア」を基準にして選ぶんじゃないかと思う。
2014年2月2日日曜日
別所沼公園
散歩コースの一つに常盤緑道を通り別所沼公園に入り沼の周りを一周して帰るというのがある。このコースの利用が一番多い。

(常盤緑道)

(常盤緑道から別所沼公園に入る)
別所沼の周りを半周し、歩道橋に近づいたところで、歩道橋の先の建物の屋上に赤い鳥居があることに気付いた。
鳥居の奥に祠もある。新しい建物ではないので、前からあったが気付かなかっただけだろう。約五年もの間気付かなかったことになる。

(横断歩道橋を振り返って)
公園を出て常盤緑道に入るところに横断歩道がある。狭い道路の割に交通量が多い。最近信号がついたが、ボタンを押さないと赤信号のままだ。ボタンを押すことに気付かずに待っている人がたまにいる。
公園を出ようとして、横断歩道の手前に男性が一人立っているのに気付いたが、念のためにボタンを押しているかどうか見てみると押していない。その男性は、携帯電話の操作に熱中している。
自分でボタンを押して渡り、少し歩いてから振り向いて見たら、まだ渡らずに立っていて、信号はもう赤に変わっている。あるいは、信号待ちではなく携帯を見るために立っていただけかと思ったが、もう携帯の方は見ていないようだ。気になったので、振り返りながら歩く。車道に向かってずっと立ったままだ。道路を渡るつもりで、まだボタンを押すことに気づいていないとしたら、大丈夫だろうかと思う。

(別所沼公園を振り返ったところ、ただし、信号機の設置前)
常盤緑道を横切って武蔵野貨物線が通っている。線路はコンクリートで覆われていて、その上を越す階段がある。階段の途中で向かい側から、ジャージ姿の男性が一人歩いてきた。別所沼公園に散歩に行く途中なのだろう。この男性が横断歩道を渡るときに、さっきの男性も救われるだろうと思う。
階段を降りたところの緑道に、茶色のソフトクリーム状の糞があった。また糞を片付けない不心得者がいると思い、それとも猫かもしれないと思う。そのあたりでよく猫を見かける。ノラなのか、飼いネコかはわからない。

(武蔵野貨物線を超える階段)
この散歩コースはストレスが溜まりそうだから、別のコースを開拓しようかと思ったが、ストレスを感じるのは自分の性格のせいだろう。
細かいことが気にならない人が、本当にうらやましい。

(常盤緑道)

(常盤緑道から別所沼公園に入る)
別所沼の周りを半周し、歩道橋に近づいたところで、歩道橋の先の建物の屋上に赤い鳥居があることに気付いた。
鳥居の奥に祠もある。新しい建物ではないので、前からあったが気付かなかっただけだろう。約五年もの間気付かなかったことになる。

(横断歩道橋を振り返って)
公園を出て常盤緑道に入るところに横断歩道がある。狭い道路の割に交通量が多い。最近信号がついたが、ボタンを押さないと赤信号のままだ。ボタンを押すことに気付かずに待っている人がたまにいる。
公園を出ようとして、横断歩道の手前に男性が一人立っているのに気付いたが、念のためにボタンを押しているかどうか見てみると押していない。その男性は、携帯電話の操作に熱中している。
自分でボタンを押して渡り、少し歩いてから振り向いて見たら、まだ渡らずに立っていて、信号はもう赤に変わっている。あるいは、信号待ちではなく携帯を見るために立っていただけかと思ったが、もう携帯の方は見ていないようだ。気になったので、振り返りながら歩く。車道に向かってずっと立ったままだ。道路を渡るつもりで、まだボタンを押すことに気づいていないとしたら、大丈夫だろうかと思う。

(別所沼公園を振り返ったところ、ただし、信号機の設置前)
常盤緑道を横切って武蔵野貨物線が通っている。線路はコンクリートで覆われていて、その上を越す階段がある。階段の途中で向かい側から、ジャージ姿の男性が一人歩いてきた。別所沼公園に散歩に行く途中なのだろう。この男性が横断歩道を渡るときに、さっきの男性も救われるだろうと思う。
階段を降りたところの緑道に、茶色のソフトクリーム状の糞があった。また糞を片付けない不心得者がいると思い、それとも猫かもしれないと思う。そのあたりでよく猫を見かける。ノラなのか、飼いネコかはわからない。

(武蔵野貨物線を超える階段)
この散歩コースはストレスが溜まりそうだから、別のコースを開拓しようかと思ったが、ストレスを感じるのは自分の性格のせいだろう。
細かいことが気にならない人が、本当にうらやましい。
2014年2月1日土曜日
クリスティ文庫(9)
ミス・マープルがどうして多くの殺人事件に関われるのか不思議だった。
ポアロも探偵業を引退してから多くの事件に関わるので、やっぱり不思議だ。
ただ、ポアロの方は引退してからの方が依頼人に報酬を払ってもらうという問題がなくなるので、逆に多彩な事件に関われるようになったとも言える。
この問題は、小説の中の出来事が現実に起こり得ることかどうかに拘るから問題になる。
作者がどんなに工夫しても、現実にはこれほどの偶然は起こり得ないと思う。
『謎のクィン氏』は、その正体が最後まで謎で、なぜ解決すべき事件に毎度丁度よく現れるのかの現実的な説明は、完全に放棄されている。こんな方法もあったかと思う。
もともと、小説はフィクション、現実と違っていても問題ないはずだ。というか、大人なら現実が小説のとおりではないことは、充分承知している。
ただ、最近のテレビドラマは、ドラマはドラマ、現実は現実、所詮別物という考えは、通用しないらしい。
それから、自分が子供のころは夜10時台のドラマは大人が見るもので子供が見るものではなかったと思うが、今は違うようだ。
ポアロも探偵業を引退してから多くの事件に関わるので、やっぱり不思議だ。
ただ、ポアロの方は引退してからの方が依頼人に報酬を払ってもらうという問題がなくなるので、逆に多彩な事件に関われるようになったとも言える。
この問題は、小説の中の出来事が現実に起こり得ることかどうかに拘るから問題になる。
作者がどんなに工夫しても、現実にはこれほどの偶然は起こり得ないと思う。
『謎のクィン氏』は、その正体が最後まで謎で、なぜ解決すべき事件に毎度丁度よく現れるのかの現実的な説明は、完全に放棄されている。こんな方法もあったかと思う。
もともと、小説はフィクション、現実と違っていても問題ないはずだ。というか、大人なら現実が小説のとおりではないことは、充分承知している。
ただ、最近のテレビドラマは、ドラマはドラマ、現実は現実、所詮別物という考えは、通用しないらしい。
それから、自分が子供のころは夜10時台のドラマは大人が見るもので子供が見るものではなかったと思うが、今は違うようだ。
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