2014年4月8日火曜日

人口増

 十数年くらい前に、本屋でSFの文庫を選んでいて、興味を持ったが買うのを止めた本をやっぱり読んでみたいと思うが題名も作者もわからない。
 人口増のため、全員一週間のうちの特定の曜日だけ活動し、残りの六日間はカプセルの中で寝て過ごす。七分の一の人間が暮らしているのと同じことになる計算だ。七つの世界が同時進行しているが、それぞれ別の世界の人間と会うことはできない。
 異次元の世界が存在するSFや時間旅行をするSFがある。何かの関係で自分が生きている世界とは別の世界、時間に生きている人間と知り合っても、自分の世界に戻ると、相手が死んだわけでなくても、もう会うことはできない。
 何かの関係で別の曜日に生きている人間と知り合っても、やっぱり、相手が死んだわけでなくても、自分が生きている曜日に戻ったらもう二度と会うことはできない。
 設定を読んだだけで中身を知らないが、面白い設定だと思う。
 創元推理文庫のネットの図書目録で、J・G・バラードの短編集『時間都市』の中に「人口増加と居住スペースの話」があるのを知り図書館で借りた。結果、はずれだった。
 その短編集の中に、ノートに他人が死ぬことを書いたら、そのとおりに死んだ、という話があった。「最後の秒読み」だ。ネットの感想に「デス・ノート」の「ある意味元ネタ」の話があるとあったが、この作品のことかと思う。バラードの方は、ノートに力があるのではなく、書く人間に力がある。
 主人公はこの力を、自分の利益になるように使うことができない。邪魔者を消すことができても、その空いた席に自分が座ることができないからだ。ノートに書いたとおりに他人を死なせることができるという案は、誰が最初に使ったか問題になるほどの案でもないし、これだけなら誰が使っても問題ないように思う。
 推理小説で、連続殺人事件で犯人は襲われたが怪我をしただけですんだ人間だというアイデアはよく使われる。自分が最初に読んだのはヴァン・ダインで次にエラリークイーンの「Yの悲劇」でクリスティも何度も使っている。このアイデアは誰が最初に使ったかは重要でもないし、誰が使ってもよいものだと思う。
 自由に他人を死なせることができる力で自分の利益になることができるかを考えてみる。誰かを脅迫して自分の利益になることをやらせる。自分の正体を知られたら、こっそり暗殺されておしまいのような気がする。自分の力を誰かに信じさせ、かつ、自分の正体を知らせないようにすることができるか。「デス・ノート」ってどんな話だったっけと思う。

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