ジュリスト4月号の37頁を読んでいて、「しかし、そもそも、労働契約法16条はどこをどうみても「権利濫用法理」として規定されていることが看過されてはならない。」という文章を、ミスプリント?と思ってしまった。
この筆者は、これまでの判例が4要素の検討によって濫用か否かを判断してきたとし、これを批判してもっと濫用を否定し解雇を有効と認めるべきという主張だ。
民法の一般条項(民法1条3項)としての権利濫用は、濫用されてはいけないもので、個々の法律に条文化されたら、濫用と認められるケースは多くなることはあっても少なくなることはないのが常識だと思っていた。
ところが、この文章を読むと労働法に条文化されたことによって、濫用と認められることは以前より減ると言っているように思え、すんなり読めなかった。
続けて読むと「同法理自体、本来すぐれて規範的な概念であり、その点に鑑みれば、事案の特性に応じた柔軟な解釈が行われて当然であり」考慮要素は4要素に限られるものではなく、もっと「事案の特性に応じた柔軟な解釈」をするべきと言っており正論であるが、労働契約法に条文化されたこととの関係が不明だ。
結局、これまでのやり方が、濫用法理に名を借りた実質「解雇には正当事由が必要だ」という判断になっていたことを批判し、これからは、本来解雇は有効、ただし濫用があれば解雇は認められないという、濫用の「本来」の使い方をするべきと言いたいらしい。それで条文がはっきりと「濫用」だと言っていることを見過ごさないようにという趣旨のようだ。そういえば、34頁の注2がついた本文で「事実上、いわゆる正当化事由説に近い運用がされている」と書かれている。
これは、法理論より終身雇用制かどうかが大きいと思う。
自分も新卒で就職したが、向いていないようで転職したかったが、辞めて就職しなおしても特別な才能も資格もなしだと、今の仕事より悪い条件の仕事しか見つからないと思い転職を思いとどまった。
問題は今の仕事を辞めても、今と同等以上の仕事を簡単に見つけられるかどうかだろう。解雇を容易にすることとが転職を容易にするかは不明だ。少なくとも新卒者以外の求職者に対してやさしい世の中になってほしいものだ。
旧司法試験の時代には、特別な才能や商才のない人にとって、弁護士資格をとるということは、新卒でよい就職ができなかった人にとっての敗者復活方の意味があった。
ジュリスト4月号は、編集室メモにも意味がわからない文章がある。「桜の咲かない被災地の入学式」どういう意味だろう。
自分は被災したことはないが、桜が咲いている入学式を経験したことはない。自分にとっては、数年前までは、「桜が咲いているゴールデンウィーク」だった。
言いたくないが、東京が日本ではない。書いている人の常識が思わず現れ、読む人に意味がよく伝わらない点で共通しているように思った。
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