2014年4月15日火曜日

利根運河

 『河岸に生きる人びと』を読むと、境河岸は旅客運送だけでなく貨物運送でも競争にさらされている。
 鬼怒川を下ってきた荷物は、鬼怒川の途中で陸路に切り替え、境河岸に運び、そこで船に積み直して江戸川を下って江戸に運ぶ。この陸路を境通りと言う。
 これに対抗して、鬼怒川で利根川まで船で運び、利根川から江戸川まで陸路をとり、江戸川の中流で船に積み直して江戸まで運ぶという運搬方法が出てくる。この方法だと境通りより陸路を短くすることができるという利点がある。どの地点で利根川から江戸川まで運ぶかでも競争があった。
 境通りの宿場は、新ルートの禁止を代官所に願い出たが、訴えの根拠としては、境通りが奥州・日光道中の脇往還になっていて、一般荷物輸送の利益で役儀を勤めているが、利益が出なくなれば、それができなくなるというものだ。訴訟では、新ルートの負けだったが、新ルートの輸送は止まらなかったようだ。
 明治になって、利根川と江戸川をつなぐ運河ができた。
 小樽運河は知っていたが、利根運河の事は初めて知った。
 

0 件のコメント:

コメントを投稿