『河岸に生きる人びと』を読むと、境河岸から江戸まで乗合夜船が出ていたことがわかる。
境河岸の対岸の関宿河岸でも乗合夜船を出すが、正式な許可を受けていないので、度々船を出した人間が処罰されている。
利根川と江戸川の分流地点の河岸どおしの争いだけかと思っていたら、思わぬところから攻撃を受ける。
文化七年(1810)、日光道中の千住宿から、草加、越ヶ谷、粕壁、杉戸、幸手、栗橋までの七ヶ宿が、境河岸の両問屋および向下河岸(関宿河岸は三つの河岸から成り、そのうちの一つ)の勘兵衛を幕府道中奉行に訴え出た。
結果、境河岸の主張の方が認められたようだ。
今年の正月に、柴又に行き、江戸川の矢切りの渡しを見ていたら、川岸に災害時に船を着岸させるところがあった。今、船も見直されているようだ。
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