2014年4月29日火曜日

猿岩石日記(3)

 ゴールしたのは1996年10月19日。パート1の初版がゴール前の10月10日、図書館の本が第21版で発行日が同年の12月15日、パート2の初版が同年の11月23日だ。
 ゴール後に、途中、飛行機で移動していたことがわかり問題になったことを覚えている。移動区間までは覚えていなかったが、読んでいるとイラク滞在に空白の数日があるので、この間のことかと思う。
 ネットで確認すると、タイからミャンマー、ミャンマーからインド、イランからトルコに入る時に飛行機を利用したようだ。インドからパキスタンに入るときの大変さが書かれており、これ以上の危険が予想されたのだろう。
 日記を読んでいた時には、ミャンマー入りとインド入りについて、流れに不自然さを感じなかったが、改めて読んでみると、車に乗せてもらったり、国境を越えたときの状況の記載がない。
 有吉さんの方の記載でいくと、5月24日「ついに首都ヤンゴンについた。」、5月28日「ついにインドに来てしまった。」で、経緯の説明がない。トルコ入りの方は、パート2に8月6日「とうとうイランだっしゅつ。トルコだ。」と書かれている。
 パート2を読むと「全行程ヒッチハイク」に疑問を持つのはわかるが、パート1で疑問を感じた人は、なかなか鋭い人だと思う。『猿岩石裏日記』を読むと、途中飛行機を使ったことが新聞報道されたのは、パート2の出版前のようだ。きっかけは、『猿岩石日記』パート1の記述内容が疑惑を生んだからではないようだ。
 改めて考えて見ると国境越えや関所越えの危険やスリルを書いた小説はたくさんある。国境を超えることに特に注意もしないで読んでしまうのは、日本が平和だからだろう。

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