ゴールしたのは1996年10月19日。パート1の初版がゴール前の10月10日、図書館の本が第21版で発行日が同年の12月15日、パート2の初版が同年の11月23日だ。
ゴール後に、途中、飛行機で移動していたことがわかり問題になったことを覚えている。移動区間までは覚えていなかったが、読んでいるとイラク滞在に空白の数日があるので、この間のことかと思う。
ネットで確認すると、タイからミャンマー、ミャンマーからインド、イランからトルコに入る時に飛行機を利用したようだ。インドからパキスタンに入るときの大変さが書かれており、これ以上の危険が予想されたのだろう。
日記を読んでいた時には、ミャンマー入りとインド入りについて、流れに不自然さを感じなかったが、改めて読んでみると、車に乗せてもらったり、国境を越えたときの状況の記載がない。
有吉さんの方の記載でいくと、5月24日「ついに首都ヤンゴンについた。」、5月28日「ついにインドに来てしまった。」で、経緯の説明がない。トルコ入りの方は、パート2に8月6日「とうとうイランだっしゅつ。トルコだ。」と書かれている。
パート2を読むと「全行程ヒッチハイク」に疑問を持つのはわかるが、パート1で疑問を感じた人は、なかなか鋭い人だと思う。『猿岩石裏日記』を読むと、途中飛行機を使ったことが新聞報道されたのは、パート2の出版前のようだ。きっかけは、『猿岩石日記』パート1の記述内容が疑惑を生んだからではないようだ。
改めて考えて見ると国境越えや関所越えの危険やスリルを書いた小説はたくさんある。国境を超えることに特に注意もしないで読んでしまうのは、日本が平和だからだろう。
2014年4月29日火曜日
2014年4月27日日曜日
猿岩石日記(2)
パート2のまえがきに、以下の記述がある。
ユーラシア大陸横断ヒッチハイクと闘う猿岩石を応援してくれたのならば、日本の芸能界で闘う彼らを是非応援してあげてください。
間違いなくもっと厳しい闘いになるのですから・・・・。
そして、有吉君と森脇君へ
漢字の勉強をしましょう。
誤字に対する態度が明らかに厳しくなっている。パート2を読むうちに同じ気持ちになる。傍点を目にするたびに正しい漢字は何かと考える。そのせいで自分の漢字の知識をたえず試されている緊張感を感じる。漢字クイズがやりたいわけじゃない。いいかげんに誤字をなんとかしろと言いたい。
33頁、上段に「点適」が出てくる。「適」が間違っているのだろうが、正解がすぐに出てこない。下段36頁では「てんてき」とある。間違ってはいない。ただ、記述式試験であやふやな漢字をすべてひらがなで書くわけにはいかない。批判のハン、最小のショウ、非難のヒ、否定のヒ、それぞれ反、少、否、非じゃないかと迷った過去を思い出してしまった。自立と自律でも痛い目にあった。読んでいるうちに「滴」だと気付く。ヘンの間違いは結構ある。
44頁、下段に「有吉、大活殺」とある。その場を大いに活気づけるような殺しか、いったい何を言いたい?意味自体とれない誤字が初めて登場した。同音異義語の間違いは、間違った漢字の意味の方がぴったりくることが多く、書いている人間の心境がわかっておもしろい。わかったうえでのギャグにもなる。しかし、これは?有吉が何をしたのかから考える。「カツヤク」とわかる。「役」のヘンを間違え「殺」になったのだろう。
翌朝、目覚ましが鳴る前に目が覚め、ベットの中で暇なので、いろいろ考えていたら、「カツヤク」の漢字は「活役」ではなく「活躍」じゃないかと気づく。間違ったうえに更に間違える。ある意味、天才だ。それともつい真意が出たのか。確かに役にたつことをしている。真相はわからない
ユーラシア大陸横断ヒッチハイクと闘う猿岩石を応援してくれたのならば、日本の芸能界で闘う彼らを是非応援してあげてください。
間違いなくもっと厳しい闘いになるのですから・・・・。
そして、有吉君と森脇君へ
漢字の勉強をしましょう。
誤字に対する態度が明らかに厳しくなっている。パート2を読むうちに同じ気持ちになる。傍点を目にするたびに正しい漢字は何かと考える。そのせいで自分の漢字の知識をたえず試されている緊張感を感じる。漢字クイズがやりたいわけじゃない。いいかげんに誤字をなんとかしろと言いたい。
33頁、上段に「点適」が出てくる。「適」が間違っているのだろうが、正解がすぐに出てこない。下段36頁では「てんてき」とある。間違ってはいない。ただ、記述式試験であやふやな漢字をすべてひらがなで書くわけにはいかない。批判のハン、最小のショウ、非難のヒ、否定のヒ、それぞれ反、少、否、非じゃないかと迷った過去を思い出してしまった。自立と自律でも痛い目にあった。読んでいるうちに「滴」だと気付く。ヘンの間違いは結構ある。
44頁、下段に「有吉、大活殺」とある。その場を大いに活気づけるような殺しか、いったい何を言いたい?意味自体とれない誤字が初めて登場した。同音異義語の間違いは、間違った漢字の意味の方がぴったりくることが多く、書いている人間の心境がわかっておもしろい。わかったうえでのギャグにもなる。しかし、これは?有吉が何をしたのかから考える。「カツヤク」とわかる。「役」のヘンを間違え「殺」になったのだろう。
翌朝、目覚ましが鳴る前に目が覚め、ベットの中で暇なので、いろいろ考えていたら、「カツヤク」の漢字は「活役」ではなく「活躍」じゃないかと気づく。間違ったうえに更に間違える。ある意味、天才だ。それともつい真意が出たのか。確かに役にたつことをしている。真相はわからない
2014年4月26日土曜日
猿岩石日記
あのヒッチハイクについて、最初から最後まで通して知りたくなったので、読んでみる。
更に、最近の有吉さんの活躍を考え、内容だけでなく文章にも期待した。期待を裏切らないおもしろさだ。
上半分が有吉さん、下半分が相方の日記になっている。有吉さんは、ネタとは思うが相方を下に見ている風がある。
辞書も見ずに手書きした日記なので誤字が結構ある。「彼らの感じたことをそのまま表現するために(あるいは誤字が実は彼らの高等ギャグかもしれないし)、訂正は最小限にとどめました。また、誤字であっても意味深長なものについては傍点をふっておきました。」とまえがきにある。
パート1の186頁の有吉さんの日記に「観行」とあり、傍点がふってある。誤字だ。正しい漢字は?と思い、コウの方が間違っているから「興」かしらと思う。なんか違う。相方の方を読むと「観光」とあり、もちろん傍点はない。思わず恥じ入る。と同時に、今有吉さんがえらそうなことを言った時に、この事実を指摘したら、ギャフンと言わせることができるのにと、知り合いでないのを残念に思う。
更に、最近の有吉さんの活躍を考え、内容だけでなく文章にも期待した。期待を裏切らないおもしろさだ。
上半分が有吉さん、下半分が相方の日記になっている。有吉さんは、ネタとは思うが相方を下に見ている風がある。
辞書も見ずに手書きした日記なので誤字が結構ある。「彼らの感じたことをそのまま表現するために(あるいは誤字が実は彼らの高等ギャグかもしれないし)、訂正は最小限にとどめました。また、誤字であっても意味深長なものについては傍点をふっておきました。」とまえがきにある。
パート1の186頁の有吉さんの日記に「観行」とあり、傍点がふってある。誤字だ。正しい漢字は?と思い、コウの方が間違っているから「興」かしらと思う。なんか違う。相方の方を読むと「観光」とあり、もちろん傍点はない。思わず恥じ入る。と同時に、今有吉さんがえらそうなことを言った時に、この事実を指摘したら、ギャフンと言わせることができるのにと、知り合いでないのを残念に思う。
2014年4月25日金曜日
虜囚の恋
スティーヴンソン作、主人公はフランス人の貴族、ナポレオン軍の兵士として戦い、捕虜としてスコットランドに囚われていたが、脱出する。
スコットランドを旅してイングランドの大伯父のところまで行く。主人公は訛りなく英語を話せるので、英国人に成り済ます。主人公は英語を話せなければ冒険を成功させられないように思っている。55頁「異国語を訛りなくあやつる能力に運命を賭けなければならなかったのは、これがはじめてではなかった。」
ここで、ダルタニャンを思い出す。
『三銃士』では、全く英語がわからないのに、英国に行って冒険を成功させる。第二部の『二十年後』でも英国に行く。さすがに、英語の必要性を感じて、少しは話せるようになっているのかと思えば、全く英語を勉強していない。そして、英語がわからなくても冒険を成功させる。外国語を覚える能力がないわけでもなく、生まれたところがスペインに近かったせいか、当時スペインが大国だったせいかスペイン語は話せる。
この英語に対する態度の違いは作者が英国人かフランス人かの違いだろうか。
スコットランドを旅してイングランドの大伯父のところまで行く。主人公は訛りなく英語を話せるので、英国人に成り済ます。主人公は英語を話せなければ冒険を成功させられないように思っている。55頁「異国語を訛りなくあやつる能力に運命を賭けなければならなかったのは、これがはじめてではなかった。」
ここで、ダルタニャンを思い出す。
『三銃士』では、全く英語がわからないのに、英国に行って冒険を成功させる。第二部の『二十年後』でも英国に行く。さすがに、英語の必要性を感じて、少しは話せるようになっているのかと思えば、全く英語を勉強していない。そして、英語がわからなくても冒険を成功させる。外国語を覚える能力がないわけでもなく、生まれたところがスペインに近かったせいか、当時スペインが大国だったせいかスペイン語は話せる。
この英語に対する態度の違いは作者が英国人かフランス人かの違いだろうか。
2014年4月24日木曜日
別所沼のかいぼり(飼育魚)
2014年4月23日水曜日
別所沼のかいぼり(赤潮)
4月23日、ホースで水を沼に注いでいる。まだ、水が残っているところがあるので、その水をホースで排水溝の近くまで運んでいるようだ。
沼の水を排水する排水溝は沼の南西、ヒアシンスハウスの近くにある。まだ、水が残っているのは沼の北東、藤棚の近くだ。正反対の位置になる。
水面に茶色の異物が見える。赤潮だと思う。去年も一昨年も夏の暑い時期に水面が赤茶色になったことがある。その場所が、ちょうど今水が残っている場所と一致する。水深と赤潮の発生と関係があるのかはわからない。
水を抜いた後の作業内容がわからない。見物人が、お金がかかるので底の泥を取り除かずに、天日で乾燥するだけだと話していた。
底の土が出ている場所で、乾燥して地割れしているところがあったが、今は雨で濡れている。作業終了は今年の七月末を予定している。その前に梅雨がくる。終了時期を遅らせても台風がくる。
乾燥させただけで赤潮の発生をなくせるのか、充分に乾燥させられるのかはわからない。
それは、時の経過が教えてくれるのだろう。
ヒアシンスハウス

藤棚
沼の水を排水する排水溝は沼の南西、ヒアシンスハウスの近くにある。まだ、水が残っているのは沼の北東、藤棚の近くだ。正反対の位置になる。
水面に茶色の異物が見える。赤潮だと思う。去年も一昨年も夏の暑い時期に水面が赤茶色になったことがある。その場所が、ちょうど今水が残っている場所と一致する。水深と赤潮の発生と関係があるのかはわからない。
水を抜いた後の作業内容がわからない。見物人が、お金がかかるので底の泥を取り除かずに、天日で乾燥するだけだと話していた。
底の土が出ている場所で、乾燥して地割れしているところがあったが、今は雨で濡れている。作業終了は今年の七月末を予定している。その前に梅雨がくる。終了時期を遅らせても台風がくる。
乾燥させただけで赤潮の発生をなくせるのか、充分に乾燥させられるのかはわからない。
それは、時の経過が教えてくれるのだろう。
ヒアシンスハウス

藤棚

2014年4月22日火曜日
コレストロール(2)
テレビで、悪玉コレストロール÷善玉コレストロールの比率が問題だと言っていた。
自分の健康診断の数値では、比率は問題ない。健康診断で悪玉コレストロールが高い数値を示しても、治療の話が出ないのは、善玉コレストロールも高いためらしい。
高齢の場合は、コレストロール値が低い方が問題ともいうし、もうあまり気にしなくてもいいような気がしてきた。
ただ、野菜をちゃんと食べるようになったら、歯ぐきの腫れがなくなり、たくさん歩くようになったら、腰痛がなくなり、膝を曲げたときにギシギシ言わなくなった。
結局、コレストロールのことはよくわからないが、野菜の力と運動の効能はよくわかった。
自分の健康診断の数値では、比率は問題ない。健康診断で悪玉コレストロールが高い数値を示しても、治療の話が出ないのは、善玉コレストロールも高いためらしい。
高齢の場合は、コレストロール値が低い方が問題ともいうし、もうあまり気にしなくてもいいような気がしてきた。
ただ、野菜をちゃんと食べるようになったら、歯ぐきの腫れがなくなり、たくさん歩くようになったら、腰痛がなくなり、膝を曲げたときにギシギシ言わなくなった。
結局、コレストロールのことはよくわからないが、野菜の力と運動の効能はよくわかった。
2014年4月20日日曜日
天保水滸伝
利根川の河岸の話と言うと『天保水滸伝』ということになるらしい。平手造酒の名前は知っていたが、それはNHKのドラマ「天下堂々」の登場人物だったからだ。
山口瞳が書いた『巷説天保水滸伝』を読んだ。これは、有名な二人の人物が大人になり出会って、争いを始めるところで終わっている。
河岸には宿場と同様に賭場があり、その賭場の縄張り争いの話が『天保水滸伝』ということになるらしい。
残念ながら、天保水滸伝の話では、利根川や江戸川を船で行き来して生きていた人の生活の様子はわからない。
2014年4月19日土曜日
ハナミズキ
桜の花に変わって、ハナミズキのピンクと白の花が目につくようになった。
歩道の脇に小休止できるベンチが置いてあって、ベンチの後ろにあったハナミズキの木が久しぶりに通りかかったらなくなっていた。休憩場所の木かと思ったら、隣家の庭の木だったらしい。隣にあった家がなくなり空き地になっていた。

街灯の後ろの木も何の木かわかる前に、なくなっていた。
歩道の脇に小休止できるベンチが置いてあって、ベンチの後ろにあったハナミズキの木が久しぶりに通りかかったらなくなっていた。休憩場所の木かと思ったら、隣家の庭の木だったらしい。隣にあった家がなくなり空き地になっていた。


街灯の後ろの木も何の木かわかる前に、なくなっていた。
2014年4月18日金曜日
シェークスピア名台詞(3)
どういう状況で誰から誰に言った言葉か、白水uブックスの小田島雄志訳で確認した。
『ロミオとジュリエット』 71頁第二幕第二場
ロミオ 満たされぬぼくをこのままに行かれるのか?
ジュリエット どんな満足をいま手にすることができまして?
ロミオ あなたの愛の誓約を、ぼくの誓いとひきかえに。
ジュリエット それはお求めになる前にさしあげたわ、できることなら返していただきたいとは思うけど。
ロミオ 返していただきたいですって?なんのために?
ジュリエット 気前よくあなたにもう一度さしあげるために。でもそれは、自分がもっているものをほしがることね。「私、気前のよさははてしないこと海のよう、恋の深さも。」いくらさしあげてもそれだけ私も受けとるわけですもの。「どちらもきりがないわ。」
日本語としては別の表現になっているが「」で囲まれた部分がブロックに表示されている。
海の水は循環している。蒸発して雲になり雨になって地上に降り川を流れて海に注ぐ。ジュリエットの台詞も「いくらさしあげてもそれだけ私も受けとるわけですもの。」の部分が重要に思う。
両想いの場合の台詞で、愛されない場合については何も語っていないと見るべきだろう。
『ロミオとジュリエット』 71頁第二幕第二場
ロミオ 満たされぬぼくをこのままに行かれるのか?
ジュリエット どんな満足をいま手にすることができまして?
ロミオ あなたの愛の誓約を、ぼくの誓いとひきかえに。
ジュリエット それはお求めになる前にさしあげたわ、できることなら返していただきたいとは思うけど。
ロミオ 返していただきたいですって?なんのために?
ジュリエット 気前よくあなたにもう一度さしあげるために。でもそれは、自分がもっているものをほしがることね。「私、気前のよさははてしないこと海のよう、恋の深さも。」いくらさしあげてもそれだけ私も受けとるわけですもの。「どちらもきりがないわ。」
日本語としては別の表現になっているが「」で囲まれた部分がブロックに表示されている。
海の水は循環している。蒸発して雲になり雨になって地上に降り川を流れて海に注ぐ。ジュリエットの台詞も「いくらさしあげてもそれだけ私も受けとるわけですもの。」の部分が重要に思う。
両想いの場合の台詞で、愛されない場合については何も語っていないと見るべきだろう。
2014年4月17日木曜日
シェークスピア名台詞(2)
もう一度見に行くと、反対側の歩道にも、台詞付きのブロックが敷いてある。
探していたのと同じ意味のものが中間ぐらいの位置にあった。具体的な言葉は覚えていないので断言できないが、場所を動かしたようだ。
最初に見た台詞の意味は、愛する場合は、やりすぎずにほどほどにしておくようにというものだった。今、一番劇場に近い場所にあるのは、海が汲みども尽きぬように愛もどこまでも湧いてくるといったような意味だ。
台詞覚えが悪く正確に再現できない。
意図的に配置しなおしたのだとすると、現実生活にとって役立ちそうな格言よりも劇を見に来る人の気持ちに沿ったものに変えたのだろうと思う。
良薬は口に苦しというけれど、人間性と人生についての真実はとかく皮肉に満ちているような気がする。
探していたのと同じ意味のものが中間ぐらいの位置にあった。具体的な言葉は覚えていないので断言できないが、場所を動かしたようだ。
最初に見た台詞の意味は、愛する場合は、やりすぎずにほどほどにしておくようにというものだった。今、一番劇場に近い場所にあるのは、海が汲みども尽きぬように愛もどこまでも湧いてくるといったような意味だ。
台詞覚えが悪く正確に再現できない。
意図的に配置しなおしたのだとすると、現実生活にとって役立ちそうな格言よりも劇を見に来る人の気持ちに沿ったものに変えたのだろうと思う。
良薬は口に苦しというけれど、人間性と人生についての真実はとかく皮肉に満ちているような気がする。
2014年4月16日水曜日
シェークスピア名台詞
埼京線与野本町駅からさいたま芸術劇場に行く途中に、シェークスピア劇に出演した俳優の手形が並んでいる。

最近その前を通ったら、シェークスピアの劇の台詞が読める歩道のブロックが増えていた。
今年の一月には一つだけだったのが、今見ると与野本町駅の横の交差点から劇場前の交差点まで間をおいて続いていた。夜になると明かりがつき足元を照らすようになっている。
最初に見た言葉をもう一度読もうと思ったが見当たらない。気になる。
与野本町駅の横の交差点

最近その前を通ったら、シェークスピアの劇の台詞が読める歩道のブロックが増えていた。
今年の一月には一つだけだったのが、今見ると与野本町駅の横の交差点から劇場前の交差点まで間をおいて続いていた。夜になると明かりがつき足元を照らすようになっている。
最初に見た言葉をもう一度読もうと思ったが見当たらない。気になる。
与野本町駅の横の交差点

2014年4月15日火曜日
利根運河
『河岸に生きる人びと』を読むと、境河岸は旅客運送だけでなく貨物運送でも競争にさらされている。
鬼怒川を下ってきた荷物は、鬼怒川の途中で陸路に切り替え、境河岸に運び、そこで船に積み直して江戸川を下って江戸に運ぶ。この陸路を境通りと言う。
これに対抗して、鬼怒川で利根川まで船で運び、利根川から江戸川まで陸路をとり、江戸川の中流で船に積み直して江戸まで運ぶという運搬方法が出てくる。この方法だと境通りより陸路を短くすることができるという利点がある。どの地点で利根川から江戸川まで運ぶかでも競争があった。
境通りの宿場は、新ルートの禁止を代官所に願い出たが、訴えの根拠としては、境通りが奥州・日光道中の脇往還になっていて、一般荷物輸送の利益で役儀を勤めているが、利益が出なくなれば、それができなくなるというものだ。訴訟では、新ルートの負けだったが、新ルートの輸送は止まらなかったようだ。
明治になって、利根川と江戸川をつなぐ運河ができた。
小樽運河は知っていたが、利根運河の事は初めて知った。
鬼怒川を下ってきた荷物は、鬼怒川の途中で陸路に切り替え、境河岸に運び、そこで船に積み直して江戸川を下って江戸に運ぶ。この陸路を境通りと言う。
これに対抗して、鬼怒川で利根川まで船で運び、利根川から江戸川まで陸路をとり、江戸川の中流で船に積み直して江戸まで運ぶという運搬方法が出てくる。この方法だと境通りより陸路を短くすることができるという利点がある。どの地点で利根川から江戸川まで運ぶかでも競争があった。
境通りの宿場は、新ルートの禁止を代官所に願い出たが、訴えの根拠としては、境通りが奥州・日光道中の脇往還になっていて、一般荷物輸送の利益で役儀を勤めているが、利益が出なくなれば、それができなくなるというものだ。訴訟では、新ルートの負けだったが、新ルートの輸送は止まらなかったようだ。
明治になって、利根川と江戸川をつなぐ運河ができた。
小樽運河は知っていたが、利根運河の事は初めて知った。
2014年4月14日月曜日
びんの悪魔
スティーブンソン作、おもしろかった。
不死以外の望みは、なんでもかなえてくれる小瓶がある。ただし死ぬまで小瓶を持っていると死んだあと地獄に行く。地獄行きを免れるには、自分が買ったのよりも安い値段で小瓶を誰かに売らなければならない。
主人公は小瓶を買って望みの家を手に入れ、友人に小瓶を売る。ところが結婚目前に伝染病にかかる。もう一度小瓶を買い病気を治し結婚するが、自分が買った値段より安く売ることができない。
妻の助けで小瓶を売って、「二人はずっと幸せに暮らしている」で物語は終わる。どうやって難問を解決したかは、推理小説の結末を話すのと同様タブーだろう。
結末を知って「皮肉だな」と思う。コロンブスの卵のようだとも思う。
不死以外の望みは、なんでもかなえてくれる小瓶がある。ただし死ぬまで小瓶を持っていると死んだあと地獄に行く。地獄行きを免れるには、自分が買ったのよりも安い値段で小瓶を誰かに売らなければならない。
主人公は小瓶を買って望みの家を手に入れ、友人に小瓶を売る。ところが結婚目前に伝染病にかかる。もう一度小瓶を買い病気を治し結婚するが、自分が買った値段より安く売ることができない。
妻の助けで小瓶を売って、「二人はずっと幸せに暮らしている」で物語は終わる。どうやって難問を解決したかは、推理小説の結末を話すのと同様タブーだろう。
結末を知って「皮肉だな」と思う。コロンブスの卵のようだとも思う。
2014年4月13日日曜日
伊能忠敬
『河岸に生きる人びと』の副題は「利根川水運の社会史」となっている。歴史上の有名人は出てこないと思っていたら、伊能忠敬が出てきた。
幕府が河岸を公認し、河岸問屋から運上金を払わせようとする。伊能忠敬のいた佐原は、運上金の支払いを避けるため、佐原に河岸はなく問屋はいないと幕府に回答する。すると役人から、今後は隣河岸問屋の送状で運送するようにと言われる。
それでは困るということで、やっぱり河岸問屋はいると答えたら証拠を出せと言われ、伊能忠敬が自宅の蔵を調べると、三代前の当主が整理した記録が出てきた。その記録のおかげで佐原河岸が幕府に認められることになった。
その記録は隠居後の約五年の間になされたもので、伊能忠敬は隠居後でも大事業ができるという驚きと衝撃を受ける。
伊能忠敬の測量が隠居後の仕事だとは知っていたが、こういう逸話があるのは知らなかった。佐原の人だということも知らず、なんとなく水戸と関係がある気がしていた。水戸黄門からの連想だと思う。
幕府が河岸を公認し、河岸問屋から運上金を払わせようとする。伊能忠敬のいた佐原は、運上金の支払いを避けるため、佐原に河岸はなく問屋はいないと幕府に回答する。すると役人から、今後は隣河岸問屋の送状で運送するようにと言われる。
それでは困るということで、やっぱり河岸問屋はいると答えたら証拠を出せと言われ、伊能忠敬が自宅の蔵を調べると、三代前の当主が整理した記録が出てきた。その記録のおかげで佐原河岸が幕府に認められることになった。
その記録は隠居後の約五年の間になされたもので、伊能忠敬は隠居後でも大事業ができるという驚きと衝撃を受ける。
伊能忠敬の測量が隠居後の仕事だとは知っていたが、こういう逸話があるのは知らなかった。佐原の人だということも知らず、なんとなく水戸と関係がある気がしていた。水戸黄門からの連想だと思う。
2014年4月12日土曜日
夜船
『河岸に生きる人びと』を読むと、境河岸から江戸まで乗合夜船が出ていたことがわかる。
境河岸の対岸の関宿河岸でも乗合夜船を出すが、正式な許可を受けていないので、度々船を出した人間が処罰されている。
利根川と江戸川の分流地点の河岸どおしの争いだけかと思っていたら、思わぬところから攻撃を受ける。
文化七年(1810)、日光道中の千住宿から、草加、越ヶ谷、粕壁、杉戸、幸手、栗橋までの七ヶ宿が、境河岸の両問屋および向下河岸(関宿河岸は三つの河岸から成り、そのうちの一つ)の勘兵衛を幕府道中奉行に訴え出た。
結果、境河岸の主張の方が認められたようだ。
今年の正月に、柴又に行き、江戸川の矢切りの渡しを見ていたら、川岸に災害時に船を着岸させるところがあった。今、船も見直されているようだ。
境河岸の対岸の関宿河岸でも乗合夜船を出すが、正式な許可を受けていないので、度々船を出した人間が処罰されている。
利根川と江戸川の分流地点の河岸どおしの争いだけかと思っていたら、思わぬところから攻撃を受ける。
文化七年(1810)、日光道中の千住宿から、草加、越ヶ谷、粕壁、杉戸、幸手、栗橋までの七ヶ宿が、境河岸の両問屋および向下河岸(関宿河岸は三つの河岸から成り、そのうちの一つ)の勘兵衛を幕府道中奉行に訴え出た。
結果、境河岸の主張の方が認められたようだ。
今年の正月に、柴又に行き、江戸川の矢切りの渡しを見ていたら、川岸に災害時に船を着岸させるところがあった。今、船も見直されているようだ。
2014年4月11日金曜日
大山
『河岸に生きる人びと』で、寛政四年(1792)、境河岸で船持81人が河岸問屋を訴えた事件を読んだ。
大山の石尊様に参詣する客の争奪戦が背景にあったらしい。大山といえば、旧中山道から少し入ったところにある庚申塔の側面にこの文字が刻まれていたのを思い出した。
訴状は関宿藩の役所に提出された。境河岸は利根川と江戸川が分かれるところの利根川の左岸にある。
大山の石尊様に参詣する客の争奪戦が背景にあったらしい。大山といえば、旧中山道から少し入ったところにある庚申塔の側面にこの文字が刻まれていたのを思い出した。
訴状は関宿藩の役所に提出された。境河岸は利根川と江戸川が分かれるところの利根川の左岸にある。


2014年4月10日木曜日
与野中央公園整備(高沼用水路)
与野中央公園の公園予定地内に最後に残っていた家も撤去され、公園整備の工事が始められるようだ。
予定地の西端に高沼用水路西縁が流れている。水の流れを止めて護岸工事をしていたと思ったら、両脇が舗装されていた。公園側が幅二メートル、反対側が幅一メートルくらいの遊歩道ができた。
鴻沼川沿いの桜並木と公園予定地

予定地の西端に高沼用水路西縁が流れている。水の流れを止めて護岸工事をしていたと思ったら、両脇が舗装されていた。公園側が幅二メートル、反対側が幅一メートルくらいの遊歩道ができた。
鴻沼川沿いの桜並木と公園予定地

2014年4月9日水曜日
別所沼のかいぼり(水の流れ道)
水が引けた底は、ほぼ平らで起伏が感じられない。
平らななかに、細い筋が走っている。この筋の入った感じが、見たことがあるような気がする。
春の雪解け水だ。平らな地面や凍った湖や川の水面に、こういう筋を見たことがある。
原理は同じなのだろう。水は低いところを流れる。平らに見えるところも高低差はあるのだろう。水はそういう低いところを求めて水平移動するものらしい。
平らななかに、細い筋が走っている。この筋の入った感じが、見たことがあるような気がする。
春の雪解け水だ。平らな地面や凍った湖や川の水面に、こういう筋を見たことがある。
原理は同じなのだろう。水は低いところを流れる。平らに見えるところも高低差はあるのだろう。水はそういう低いところを求めて水平移動するものらしい。
2014年4月8日火曜日
人口増
十数年くらい前に、本屋でSFの文庫を選んでいて、興味を持ったが買うのを止めた本をやっぱり読んでみたいと思うが題名も作者もわからない。
人口増のため、全員一週間のうちの特定の曜日だけ活動し、残りの六日間はカプセルの中で寝て過ごす。七分の一の人間が暮らしているのと同じことになる計算だ。七つの世界が同時進行しているが、それぞれ別の世界の人間と会うことはできない。
異次元の世界が存在するSFや時間旅行をするSFがある。何かの関係で自分が生きている世界とは別の世界、時間に生きている人間と知り合っても、自分の世界に戻ると、相手が死んだわけでなくても、もう会うことはできない。
何かの関係で別の曜日に生きている人間と知り合っても、やっぱり、相手が死んだわけでなくても、自分が生きている曜日に戻ったらもう二度と会うことはできない。
設定を読んだだけで中身を知らないが、面白い設定だと思う。
創元推理文庫のネットの図書目録で、J・G・バラードの短編集『時間都市』の中に「人口増加と居住スペースの話」があるのを知り図書館で借りた。結果、はずれだった。
その短編集の中に、ノートに他人が死ぬことを書いたら、そのとおりに死んだ、という話があった。「最後の秒読み」だ。ネットの感想に「デス・ノート」の「ある意味元ネタ」の話があるとあったが、この作品のことかと思う。バラードの方は、ノートに力があるのではなく、書く人間に力がある。
主人公はこの力を、自分の利益になるように使うことができない。邪魔者を消すことができても、その空いた席に自分が座ることができないからだ。ノートに書いたとおりに他人を死なせることができるという案は、誰が最初に使ったか問題になるほどの案でもないし、これだけなら誰が使っても問題ないように思う。
推理小説で、連続殺人事件で犯人は襲われたが怪我をしただけですんだ人間だというアイデアはよく使われる。自分が最初に読んだのはヴァン・ダインで次にエラリークイーンの「Yの悲劇」でクリスティも何度も使っている。このアイデアは誰が最初に使ったかは重要でもないし、誰が使ってもよいものだと思う。
自由に他人を死なせることができる力で自分の利益になることができるかを考えてみる。誰かを脅迫して自分の利益になることをやらせる。自分の正体を知られたら、こっそり暗殺されておしまいのような気がする。自分の力を誰かに信じさせ、かつ、自分の正体を知らせないようにすることができるか。「デス・ノート」ってどんな話だったっけと思う。
人口増のため、全員一週間のうちの特定の曜日だけ活動し、残りの六日間はカプセルの中で寝て過ごす。七分の一の人間が暮らしているのと同じことになる計算だ。七つの世界が同時進行しているが、それぞれ別の世界の人間と会うことはできない。
異次元の世界が存在するSFや時間旅行をするSFがある。何かの関係で自分が生きている世界とは別の世界、時間に生きている人間と知り合っても、自分の世界に戻ると、相手が死んだわけでなくても、もう会うことはできない。
何かの関係で別の曜日に生きている人間と知り合っても、やっぱり、相手が死んだわけでなくても、自分が生きている曜日に戻ったらもう二度と会うことはできない。
設定を読んだだけで中身を知らないが、面白い設定だと思う。
創元推理文庫のネットの図書目録で、J・G・バラードの短編集『時間都市』の中に「人口増加と居住スペースの話」があるのを知り図書館で借りた。結果、はずれだった。
その短編集の中に、ノートに他人が死ぬことを書いたら、そのとおりに死んだ、という話があった。「最後の秒読み」だ。ネットの感想に「デス・ノート」の「ある意味元ネタ」の話があるとあったが、この作品のことかと思う。バラードの方は、ノートに力があるのではなく、書く人間に力がある。
主人公はこの力を、自分の利益になるように使うことができない。邪魔者を消すことができても、その空いた席に自分が座ることができないからだ。ノートに書いたとおりに他人を死なせることができるという案は、誰が最初に使ったか問題になるほどの案でもないし、これだけなら誰が使っても問題ないように思う。
推理小説で、連続殺人事件で犯人は襲われたが怪我をしただけですんだ人間だというアイデアはよく使われる。自分が最初に読んだのはヴァン・ダインで次にエラリークイーンの「Yの悲劇」でクリスティも何度も使っている。このアイデアは誰が最初に使ったかは重要でもないし、誰が使ってもよいものだと思う。
自由に他人を死なせることができる力で自分の利益になることができるかを考えてみる。誰かを脅迫して自分の利益になることをやらせる。自分の正体を知られたら、こっそり暗殺されておしまいのような気がする。自分の力を誰かに信じさせ、かつ、自分の正体を知らせないようにすることができるか。「デス・ノート」ってどんな話だったっけと思う。
2014年4月7日月曜日
桜並木道(秋ヶ瀬公園)
並木というときには、道や川の両側に木が並んでいないとダメなのか、片側だけでもよいのか迷う。
桜並木は、両側に並んでいて花びらのトンネルのようになっているのがいい。
川の場合は、橋の上なら両側から桜の花が重なるのを眺められるが、車が通る道だと道の真ん中には、そうそういられない。
秋ヶ瀬公園内の桜並木はゆっくり見ていられるのがよい。

桜並木は、両側に並んでいて花びらのトンネルのようになっているのがいい。
川の場合は、橋の上なら両側から桜の花が重なるのを眺められるが、車が通る道だと道の真ん中には、そうそういられない。
秋ヶ瀬公園内の桜並木はゆっくり見ていられるのがよい。

2014年4月6日日曜日
スキップ
図書館に本を返しに行った。入り口前で小学校低学年くらいの女の子に追い越された。女の子はスキップをしていた。
本を返して反対側の入り口から外に出た。小学校入学前くらいの男の子が図書館の自転車置き場の横をスキップしていた。
子供って元気だな、と思う。大人になったら、無駄に同じ場所で二度跳ねたいとは思わない。
子供の時のスキップしたくなる気持ちを思いだそうとして、心の中でスキップして見た。なんか気持ちが明るく浮き立つような感じだ。
大人になったらスキップしなくなるのは、体力の問題より気持ちの問題だろうか。もしかしたら、宝くじで一億円あたって換金して家に帰るときにスキップしたくなるかも。
少し前に公民館で映画を見た後、帰るときに階段でスキップしながら降りていく女の子に追い越された。すごい、自分が子供の時でもそんなことはしたことがない。これは、運動神経の問題だ。ただ、子供の頃、平地でもスキップがうまくできない男の子がいたのを思い出した。どういうわけか女の子でそういう不器用な子はいなかったように思う。
本を返して反対側の入り口から外に出た。小学校入学前くらいの男の子が図書館の自転車置き場の横をスキップしていた。
子供って元気だな、と思う。大人になったら、無駄に同じ場所で二度跳ねたいとは思わない。
子供の時のスキップしたくなる気持ちを思いだそうとして、心の中でスキップして見た。なんか気持ちが明るく浮き立つような感じだ。
大人になったらスキップしなくなるのは、体力の問題より気持ちの問題だろうか。もしかしたら、宝くじで一億円あたって換金して家に帰るときにスキップしたくなるかも。
少し前に公民館で映画を見た後、帰るときに階段でスキップしながら降りていく女の子に追い越された。すごい、自分が子供の時でもそんなことはしたことがない。これは、運動神経の問題だ。ただ、子供の頃、平地でもスキップがうまくできない男の子がいたのを思い出した。どういうわけか女の子でそういう不器用な子はいなかったように思う。
2014年4月5日土曜日
別所沼のかいぼり(サギ飛翔)
4月4日、サギがきている。羽が灰色の大型のサギが二、三羽、純白の小型のサギも見える。
シラサギの方は、用水路、川、田で度々見かける。ただ、別所沼では、あまり見掛けなかった。灰色のサギの方は、かいぼりを始めてからの別所沼で見るのが初めてだ。どこから来たのだろう。
二羽のサギが羽を広げて沼の上を縦に飛んでいる。羽を広げると幅1.5メートルくらいはありそうだ。別所沼がせまく感じる。
空は晴れているところと黒雲が入り混じり、沼は泥色、葉の落ちた大木、その中を灰色サギが窮屈そうに飛びまわっているのだから、少し怖い。
空の様子もあやしいので早々に帰ることにする。武蔵野貨物線の上を通ると空がゴロゴロいっているのが聞こえる。かみなりかと思ったら、列車の通る音だ。と思ったらやっぱりかみなりだ。家に帰りついたところで雨が降ってきた。
4月5日、青空に白い雲が少しかかっている。サギがまたきているか、もっとよく見ようと行ってみる。いつもいた水鳥が二羽ほどいるばかりだ。魚類飼育施設の横で花見客がシートを広げている。人が多くて鳥も恐れをなしたのかもしれない。
シラサギの方は、用水路、川、田で度々見かける。ただ、別所沼では、あまり見掛けなかった。灰色のサギの方は、かいぼりを始めてからの別所沼で見るのが初めてだ。どこから来たのだろう。
二羽のサギが羽を広げて沼の上を縦に飛んでいる。羽を広げると幅1.5メートルくらいはありそうだ。別所沼がせまく感じる。
空は晴れているところと黒雲が入り混じり、沼は泥色、葉の落ちた大木、その中を灰色サギが窮屈そうに飛びまわっているのだから、少し怖い。
空の様子もあやしいので早々に帰ることにする。武蔵野貨物線の上を通ると空がゴロゴロいっているのが聞こえる。かみなりかと思ったら、列車の通る音だ。と思ったらやっぱりかみなりだ。家に帰りついたところで雨が降ってきた。
4月5日、青空に白い雲が少しかかっている。サギがまたきているか、もっとよく見ようと行ってみる。いつもいた水鳥が二羽ほどいるばかりだ。魚類飼育施設の横で花見客がシートを広げている。人が多くて鳥も恐れをなしたのかもしれない。
2014年4月4日金曜日
解雇権濫用法理と正当事由
ジュリスト4月号の37頁を読んでいて、「しかし、そもそも、労働契約法16条はどこをどうみても「権利濫用法理」として規定されていることが看過されてはならない。」という文章を、ミスプリント?と思ってしまった。
この筆者は、これまでの判例が4要素の検討によって濫用か否かを判断してきたとし、これを批判してもっと濫用を否定し解雇を有効と認めるべきという主張だ。
民法の一般条項(民法1条3項)としての権利濫用は、濫用されてはいけないもので、個々の法律に条文化されたら、濫用と認められるケースは多くなることはあっても少なくなることはないのが常識だと思っていた。
ところが、この文章を読むと労働法に条文化されたことによって、濫用と認められることは以前より減ると言っているように思え、すんなり読めなかった。
続けて読むと「同法理自体、本来すぐれて規範的な概念であり、その点に鑑みれば、事案の特性に応じた柔軟な解釈が行われて当然であり」考慮要素は4要素に限られるものではなく、もっと「事案の特性に応じた柔軟な解釈」をするべきと言っており正論であるが、労働契約法に条文化されたこととの関係が不明だ。
結局、これまでのやり方が、濫用法理に名を借りた実質「解雇には正当事由が必要だ」という判断になっていたことを批判し、これからは、本来解雇は有効、ただし濫用があれば解雇は認められないという、濫用の「本来」の使い方をするべきと言いたいらしい。それで条文がはっきりと「濫用」だと言っていることを見過ごさないようにという趣旨のようだ。そういえば、34頁の注2がついた本文で「事実上、いわゆる正当化事由説に近い運用がされている」と書かれている。
これは、法理論より終身雇用制かどうかが大きいと思う。
自分も新卒で就職したが、向いていないようで転職したかったが、辞めて就職しなおしても特別な才能も資格もなしだと、今の仕事より悪い条件の仕事しか見つからないと思い転職を思いとどまった。
問題は今の仕事を辞めても、今と同等以上の仕事を簡単に見つけられるかどうかだろう。解雇を容易にすることとが転職を容易にするかは不明だ。少なくとも新卒者以外の求職者に対してやさしい世の中になってほしいものだ。
旧司法試験の時代には、特別な才能や商才のない人にとって、弁護士資格をとるということは、新卒でよい就職ができなかった人にとっての敗者復活方の意味があった。
ジュリスト4月号は、編集室メモにも意味がわからない文章がある。「桜の咲かない被災地の入学式」どういう意味だろう。
自分は被災したことはないが、桜が咲いている入学式を経験したことはない。自分にとっては、数年前までは、「桜が咲いているゴールデンウィーク」だった。
言いたくないが、東京が日本ではない。書いている人の常識が思わず現れ、読む人に意味がよく伝わらない点で共通しているように思った。
この筆者は、これまでの判例が4要素の検討によって濫用か否かを判断してきたとし、これを批判してもっと濫用を否定し解雇を有効と認めるべきという主張だ。
民法の一般条項(民法1条3項)としての権利濫用は、濫用されてはいけないもので、個々の法律に条文化されたら、濫用と認められるケースは多くなることはあっても少なくなることはないのが常識だと思っていた。
ところが、この文章を読むと労働法に条文化されたことによって、濫用と認められることは以前より減ると言っているように思え、すんなり読めなかった。
続けて読むと「同法理自体、本来すぐれて規範的な概念であり、その点に鑑みれば、事案の特性に応じた柔軟な解釈が行われて当然であり」考慮要素は4要素に限られるものではなく、もっと「事案の特性に応じた柔軟な解釈」をするべきと言っており正論であるが、労働契約法に条文化されたこととの関係が不明だ。
結局、これまでのやり方が、濫用法理に名を借りた実質「解雇には正当事由が必要だ」という判断になっていたことを批判し、これからは、本来解雇は有効、ただし濫用があれば解雇は認められないという、濫用の「本来」の使い方をするべきと言いたいらしい。それで条文がはっきりと「濫用」だと言っていることを見過ごさないようにという趣旨のようだ。そういえば、34頁の注2がついた本文で「事実上、いわゆる正当化事由説に近い運用がされている」と書かれている。
これは、法理論より終身雇用制かどうかが大きいと思う。
自分も新卒で就職したが、向いていないようで転職したかったが、辞めて就職しなおしても特別な才能も資格もなしだと、今の仕事より悪い条件の仕事しか見つからないと思い転職を思いとどまった。
問題は今の仕事を辞めても、今と同等以上の仕事を簡単に見つけられるかどうかだろう。解雇を容易にすることとが転職を容易にするかは不明だ。少なくとも新卒者以外の求職者に対してやさしい世の中になってほしいものだ。
旧司法試験の時代には、特別な才能や商才のない人にとって、弁護士資格をとるということは、新卒でよい就職ができなかった人にとっての敗者復活方の意味があった。
ジュリスト4月号は、編集室メモにも意味がわからない文章がある。「桜の咲かない被災地の入学式」どういう意味だろう。
自分は被災したことはないが、桜が咲いている入学式を経験したことはない。自分にとっては、数年前までは、「桜が咲いているゴールデンウィーク」だった。
言いたくないが、東京が日本ではない。書いている人の常識が思わず現れ、読む人に意味がよく伝わらない点で共通しているように思った。
2014年4月3日木曜日
別所沼のかいぼり(廃船)
4月3日、雨、最後に残った魚の捕獲が続けられている。見物人は一人、二人になっている。
水が引けて朽ちたボートが一艘沈んでいたのが姿を現した。沈んだ時の状況は想像がつかない。
傘が一本柄を真上に向けて開いたまま沈んでいた。こちらの方は状況の想像がつく。雨の日に傘をさして通りかかったら、強風に傘を飛ばされる。沼に落ちた傘の内側に水が溜まって沈み姿が見えなくなる。どのくらいの時間で沈んだのかはわからない。通行人は傘を諦めて濡れながら帰る。もしくは、信号を渡ってコンビニで新しい傘を買う。ちなみにコンビニの建物は現在店を閉めたままだ。
水が引けても土が濡れているので、鏡のように樹木の姿を映している。水に映っているときと違い、色がなく暗い。
今、桜は満開。桜の花びらが散って濡れた土を覆うところを想像してみる。
別所沼公園の桜の様子
水が引けて朽ちたボートが一艘沈んでいたのが姿を現した。沈んだ時の状況は想像がつかない。
傘が一本柄を真上に向けて開いたまま沈んでいた。こちらの方は状況の想像がつく。雨の日に傘をさして通りかかったら、強風に傘を飛ばされる。沼に落ちた傘の内側に水が溜まって沈み姿が見えなくなる。どのくらいの時間で沈んだのかはわからない。通行人は傘を諦めて濡れながら帰る。もしくは、信号を渡ってコンビニで新しい傘を買う。ちなみにコンビニの建物は現在店を閉めたままだ。
水が引けても土が濡れているので、鏡のように樹木の姿を映している。水に映っているときと違い、色がなく暗い。
今、桜は満開。桜の花びらが散って濡れた土を覆うところを想像してみる。
別所沼公園の桜の様子

2014年4月2日水曜日
別所沼のかいぼり(深み)
4月2日、一部を残し、全体的に底の土が現れた。だいたいが深さ一メートルくらいで思ったより浅かったという印象だ。
四個のドラム缶も上に引き上げられていた。ドラム缶の近くの岸にあった機械装置が北東の角の水が残っているところに移されて稼働している。
雨も降っていないのに、残された水面の表面にさざ波がたっているのは、魚が泳いでいるせいだろう。最後に残った魚を網ですくっている。体長20センチくらいの小さい魚だ。
魚類飼育施設の塀に外来種と保存種の写真が貼ってある。自分が実際に見たのは大小のコイのようだ。
高沼用水路と鴻沼川で見かけるのもコイのようだ。高沼用水路は底が浅いので、用水路脇を歩いていると、魚がたてる水音にびっくりさせられることがよくある。
四個のドラム缶も上に引き上げられていた。ドラム缶の近くの岸にあった機械装置が北東の角の水が残っているところに移されて稼働している。
雨も降っていないのに、残された水面の表面にさざ波がたっているのは、魚が泳いでいるせいだろう。最後に残った魚を網ですくっている。体長20センチくらいの小さい魚だ。
魚類飼育施設の塀に外来種と保存種の写真が貼ってある。自分が実際に見たのは大小のコイのようだ。
高沼用水路と鴻沼川で見かけるのもコイのようだ。高沼用水路は底が浅いので、用水路脇を歩いていると、魚がたてる水音にびっくりさせられることがよくある。
2014年4月1日火曜日
桜(鴻沼川)
4月1日、鴻沼川沿いの桜が満開になった。
里見橋のところで下流をみたところ。

里見橋の南隣の大榧橋で、上流をみたところ。正面に新都心ビル群が見える。

大榧橋から下流をみたところ。正面に埼京線の線路の送電線が見える。

大榧橋の別の見どころ。サザエさん、オバケのQ太郎、キン肉マン、ドラえもんの絵のタイル。



里見橋のところで下流をみたところ。

里見橋の南隣の大榧橋で、上流をみたところ。正面に新都心ビル群が見える。

大榧橋から下流をみたところ。正面に埼京線の線路の送電線が見える。

大榧橋の別の見どころ。サザエさん、オバケのQ太郎、キン肉マン、ドラえもんの絵のタイル。




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