2014年7月27日日曜日

痛いくらい

 沢木耕太郎著『深夜特急」、第二便281頁、イランでペルセポリスの遺跡に行く。
「空は恐ろしいくらいに蒼く、陽差しは痛いくらいに強い。」と読んだところで、「さいたまは実際に日差しが強くて肌に痛みを感じるぞ」と思い、さいたまの方がすごいんじゃないかと思う。
 しかし、陽射しの強さは、痛みを感じる程度だという意味で「痛いくらい」と書いているのなら、実際に痛みを感じているのかと思う。(ひざしと打っても陽差しに変換しない理由はわからない)
 でも「空は恐ろしいくらいに蒼く」のところは、実際に恐ろしく思っているわけではないのは確かだと思う。それに「泣きたいくらい」という場合は、たいてい実際には泣いていないと思う。でも、このくらいの大きさと手で示したら、実際にその大きさだろう(逃がした魚は大きいという場合もあるが)。
 「泣きたいくらいだった」とか「吐きたいくらいだった」と書かれると、実際に泣いたり吐いたりはしておらず、その一歩手前と言う感じを持ち、実際にそういった状況で泣いたり吐いたりしたことのある人間が読むと、筆者の意図とは逆に「なんだ、それくらいのものだったのか」と思ってしまう。それともその違いは状況の程度の違いではなく、その人間の強さの違いだろうか。「死にそうなくらい辛かった」なんて書かれると同情する気持ちより反発する感情が湧くのも、「でも、死ななかったんだよね」と思ってしまうからかもしれない。つまり、結局大したことなかったのを大げさに言っているのか、自分は頑張ったという自慢かと思ってしまうのだろう。
 続いて「二千五百年分の陽光を吸いこんだ巨大な石畳からは、めまいのしそうな熱気が立ち昇ってくる。」を読んで実際にめまいがしたのかしないのかはっきりしろと少しイラッときた。自分は低血圧のせいか自律神経失調症のせいか栄養不良のせいか運動不足のせいかわからないが、身体がふらっとして立っていられず座り込んだり、目の前が真っ暗になって何も見えなくなることが実際にある。
 「二千五百年分の陽光を吸いこんだ」を読み、丸太造(時間が経つと乾燥と荷重によって縮み、下がるので建具の間に隙間を作っておくらしい)やコンクリート造(最初は水分が出るらしい)は新築かどうかで違いがあるらしいが、石と言うのは建築年で陽光の熱の放射について、物理的に違いがあるのだろうかと思う。それに天然石なら新しい建物でも、建物になる前に別の場所で日差しをあびているかもしれないじゃないかと思う。
 結論として「二千五百年分の陽光を吸いこんだ」は状況を客観的に正しく伝えるための修飾ではなく(二千五百年前に建てられたらしいという情報は得られるが)、筆者の感傷を含んだ文学的修辞だと思う。
 それが悪いというのではなく、なんだか「らしくない」と感じた。
 『旅する力 深夜特急ノート」の44頁に「ボクサーがトレーナーからシャープでストレートなジャブを打てと言われつづけるように、私も太田氏にセンテンスを短くしろと言われつづけた。過剰な修飾語を排せ。修飾したければ修飾語でなく前後のセンテンスで説明しろ」と書いている。
 同感だ。
 改めて読むと、「二千五百年分の陽光を吸いこんだ」は「巨大な石畳」を修飾しているだけで、それが発する熱気の強さと客観的に関係があるとまでは言っていないのかもしれないと思う。だったら一つの文章にせず、二つに分けた方がいいんじゃないかと思う。
 
 

2014年7月24日木曜日

深夜特急

 沢木耕太郎著『深夜特急』第一便第六章「海の向こうに」のなかで、一日で会社を辞めた理由を考え、偶然始めたルポルタージュを書くという仕事が意外なほど面白かったと書いている。
 そこでアメリカのハードボイルドの小説に出てくる私立探偵の言葉を引用している。
 「私は、人々の生活の中に入り込み、また出て行くのが好きなのです。一定の場所で一定の人間たちと生活するのに、退屈を覚えるのです」
 著者が会社に残ったとしても、「一定の場所で一定の人間たちと」仕事をしたり遊んだりする生活を送ることはできなかっただろうと思う。家族とずっと生活することができたかも疑問だ。大きな組織には転勤もあれば人事異動もある。会社を辞めなくても異動によってガラッと仕事の内容が変わることもある。転勤先で知っている人間が一人もいないことも珍しいことではないだろう。むしろ個人事業主の方が、一定の場所で一定の人間とずっと関わっていられ、同じ種類の仕事をし続けることになるのではないかと思う。
 そして、普通の人は、一時的に別の人生を体験したいと思って小説を読んだり映画を見たりするのだろう。ところが、小説の中の設定が自分の人生より退屈でつまらない場合がある。今の日本を生きる主人公の場合はたいていそうだ。プロの小説家は社会人生活もなしに小説家になることが多いのだから、特別な職種の普通の人が知らない生活を知っているわけがないので、あたりまえかと思う。
 その点、昔の外国の小説は、普通の人の普通の人の生活を書いていても、知らないことだらけで刺激的だ。ただ、当然読者が知っているだろうことはわざわざ書かないが、こっちは、それを知らないので、よく理解できないところも出てくる。この点は、いろいろ推理したり推測する楽しさがある。

2014年7月23日水曜日

住宅カプセル

 平成26年7月、北浦和公園の横を歩いていて、住宅カプセルの壁が殺風景な白一色なのを見て違和感を感じた。
 外壁に絵があったように思ったが、反対側だけだったろうかと思い、公園の中に入り反対側も見た。こちらも白一色だ。
 初めて見た時に仮設トイレを設置したのかと思ったが、外壁が白一色になると更にその感が強まる。
 どうして、白く塗りつぶしたのかはわからない。以前に撮った写真を探してみた。公園の側の壁が映っているものしか、見当たらなかったが、反対側がどうなっていたか思い出せない。建物が取り壊された空き地を見て、どんな建物が建っていたのか思い出せないのと一緒だ。
 実家に帰って、久しぶりに見る町はどんどん変わっている。故郷に拘る人がいるが、何に拘っているのだろうと思う時がある。自分の子供のころと違う町に住んでいるという点では、よそに移っても程度の違いにすぎないように思うからだ。
 同窓会には出ない主義だ。昔あんなに親しかった人が、今はそうではなくなったのを感じるのがいやだからだ。思い出を下手に変えたくないという気持ちだ。
 将来もずっと会い続けたいと思う人とは、変化をあまり感じずにすむように、合わないまでも近況を伝えあうくらいの関係は続けていたいと思う。
 平成24年5月に撮影した写真

2014年7月22日火曜日

丁か半か

 沢木耕太郎著『旅する力』に、「丁も半も、無限に繰り返していけば、出る確率は五分五分になってしまう。」(215P)という記述がある。
 これを読んで、最近、丁より半が出る確率の方が低いと書かれた小説を読んだのを思い出した。
 自分はずっと丁か半か五分五分と思っていたが、半が出る確率が低いというのを読んだ時は、それなりに納得させられてしまった。
 それで、ちゃんと確率の問題として考えて見た。結果、五分五分が正しいと確信した。
 人を惑わした小説は、山口瞳著『巷説天保水滸伝』(124P)、
「そんなに半にばかり張るやつがあるかよう。いいかね」
「彼の言うのは、ふたつの賽が両方とも奇数だったら、結果は丁(偶数)である。また両方とも偶数だったとしても、丁である。すなわち、奇数に奇数を加えても偶数であるし、偶数に偶数を加えても偶数(丁)である。これに反して、半(奇数)は偶数の目と奇数の目が出たときにかぎられている。」
「それは留吉のいう通りであった。ふたつの賽をふって出る目の種類は二十一通りである。このうち十二通りが丁であり、九通りが半である。つまり、四対三の比率で丁となるから、丁に賭けた方が有利なのである。」
 二十一通りがそれぞれ同じ確率で出るのなら、その通りだ。この二十一通りと言うのは、一と二が出た場合と二と一が出た場合を同じ種類と考ええる考え方だ。ちょっと考えると、この組み合わせが出る確率と一と一が出る確率が同じではないことがすぐわかる。
 確率の問題として考えるなら、三十六通りの出方があり、丁と半の出方は、ともに十八通りあるので、丁と半が出る比率は同じとなる。
 山口瞳本人が勘違いしていたのか、文学表現として、登場人物が勘違いしていることを示したかっただけなのかは、断定できない。
 小説は、登場人物が考えていることか、作者が考えていることかよくわからない場合がある。普通は、作者が考えている部分で正しい答えがあることについて、わざと間違えたことを書くとは思わない。でも作者がどこまで取材して書いているかはわからないので、書いてあることをうのみにして受け売りで他人に話すのは要注意だろう。

2014年7月18日金曜日

佐々木マキと村上春樹(3)

 『図書館奇譚』を読んでいたら、「とても深くてうす暗い地下室で、ドアを開けたらそのままブラジルにでも出てしまいそうな気がする。」という文章に出会った。(文庫版201頁)
 「ブラジルの人、聞こえますか?」は、笑えるが、春樹のこの文章に笑いは感じない。なんだか残念な人のような気がする。多分マジで書いたのだと思う。こういう文章表現が出てくるところが、村上春樹の評価を難しくさせるのだと思う。
 『ふしぎな図書館』の羊男の絵と『羊男のクリスマス』の羊男の絵は、同じ絵だ。文章も『ふしぎな図書館』は『図書館奇譚』を子供向けに手直ししたという感じだ。
 『ふしぎな図書館』の方は、「ぼくはあきらめて階段をおりた。長い階段だった。そのままブラジルまでとどきそうな階段だった。」(22頁)となっている。
 主人公は図書館の地下で老人に会い、老人に連れられて更に下に降りて羊男に会う。
 『図書館奇譚』では、最初に地下に降りて、ドアを開けるところでブラジルの表現が使われ(川端康成の『雪国』の「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」からの連想だろうか?)、『ふしぎな図書館』では、老人に連れられ更に下に降りる階段でブラジルの表現が使われている。『図書館奇譚』で、この階段のところは「僕はあきらめて階段を下りつづけた。おそろしく長い階段だった。まるでインカの井戸みたいだ。」と表現されている。
 なぜ、深い井戸ではなく、「インカの井戸」なのだろうか?オシャレなカタカナで普通の人は「それ知らないだろう?」という言葉で修飾されているのが村上春樹の文体だ。そして、どこか有名な文学を真似たように感じられるところがある。
 

佐々木マキと村上春樹(2)

 『カンガルー日和』には挿絵があり、一連の村上春樹の長編の表紙と同じ雰囲気の絵になっている。
 絵本作家ではなく、イラストレーターが書いたような絵だ。絵を見ただけでは、『やっぱりおおかみ』を書いたのと同じ人間とは想像もつかない。
 最初の短編『カンガルー日和』と最後の『図書館奇譚』を読んだだけだが、挿絵を見て、それから感じる自分のイメージを楽しんだ方がいいように思う。
 作者もあとがきで「お気に入られなかったところは佐々木マキさんの素敵な絵をじっと眺めて、それで許してください。」と書いている。
 AとBは気が合って、BとCは気が合っても、AとCが気が合うとは限らない、そんな感じだ。
 『やっぱりおおかみ』は大人になってから本屋でみかけて買った本だが、気にいったのは、おおかみが「け」というところ。
 村上春樹の小説で、主人公が「け」というようなものがあるのか期待したが、ちょっと違うようだ。村上春樹の主人公が孤独でちょっとクールで、日本の小説にありがちな貧乏くさく妙にじめじめとしたところがないのは、いいのだが、「け」から感じる力強さがないように思う。そして、どこか精神を病んでいるような、病気までいかない、その一歩手前のような人間が決まって出てくるが、それも、また自己主張が弱く他人に遠慮しすぎで気がめいるだけだ。

佐々木マキと村上春樹

 図書館の新書コーナーに置いてある本の表紙の絵を一目見て、自分が持っている絵本『やっぱりおおかみ』の主人公のオオカミと同じ絵だと気づいた。
 本の題名が『佐々木マキ』で、その絵本の作者について書かれた本だとわかり、読んでみることにした。
 本を読み、佐々木マキが村上春樹の本の表紙の絵も書いていると知り驚く。村上春樹が佐々木マキの絵を望んだとのこと。これで、村上春樹に対する評価が変わった。
 本を読むと、村上春樹が文章を書き、佐々木マキが挿絵を担当して、『ふしぎな図書館』と『羊男のクリスマス』をつくり、『ふしぎな図書館』は、『カンガルー日和』に入っている『図書館奇譚』に手を入れたものだとわかった。
 『ふしぎな図書館』と『羊男のクリスマス』と『カンガルー日和』を借り、村上春樹にとって羊男とは何なのかと思い、『羊をめぐる冒険』も一緒に借りた。

2014年7月14日月曜日

田山花袋

 田山花袋の書いた「東京とその近郊」を読んだ。東京の近郊を東西南北に分けてその特徴を書いている。
 西は武蔵野だ。武蔵野は荒川と多摩川に挟まれた地域だ。今でも川沿いに整備された緑道を歩くとその雰囲気を味わえるように感じる。
 東は川が特徴だ。川が多いのは今も変わっていないが、白帆はもう見られない。田山花袋が知っているのは、汽車と蒸気船と高瀬舟が同時に存在する時代だ。
 田山花袋は、こう書いている。

 白帆は東郊の特色だ。荒川にも中川にも墨田川にもある。しかし小利根ほど白帆の多いところはなかった。
 『どうだ!あの帆!』
 『川がすべて帆だ』
 『皆な上流に登って行くんだね』
 『とにかく奇観だ』
 汽車の窓からこんなことを言ったことがあったのを私は覚えている。
―略―
 この川を往来する汽船通運丸のことも此処に書きたいと思う。

 田山花袋の書いている小利根は江戸川のことだ。花袋の『布団』は読んだことはないが、この「東京とその近郊」はおもしろかった。

別所沼のかいぼり(噴水復帰)

 7月14日、別所沼に噴水が戻っていた。かいぼりの作業もこれで終わったのだろう。効果のほうは、期待通りだったのかはよくわからない。水質はあまり変わっていないように思う。別所沼は湧水ではなく、川から水を引いているのだろうから、沼の水質も川の水質次第なのだろうと思う。川の水質は、かいぼり作業の前後で変化はないので、かいぼり後でそんなに変わり映えがしないように感じるのもあたりまえかもしれない。
 7月15日、昨日噴水が傾いていたような気がしたが、今日見たら、気のせいではなかった。水深が以前より低いのが関係あるのかないのか?
 写真を見ると「おっとっと」としか言いようがない。
 自分のHPのありし日の噴水

 ところで、写真の中央に映っているマンションは別所沼公園の景観にマッチしているだろうか。今、このマンションの向かって左手に葬祭場が建設されようとしている。葬祭場の建設に反対する署名活動が別所沼公園内で行われていた。なぜ、ダメなのか理解できないので署名は断った。マンションに「別所沼の環境にふさわしい施設を!」と書かれた幕が張られている。このマンションを別所沼の環境にふさわしいと感じている人たちがしている運動なら、あまり期待できない。
 「毎日、葬式」と書かれた幟が出ていたのも見た。(その後撤去された)マンション住民は住環境を考えているのかもしれないが、公園利用者の利害とは必ずしも一致しない。
 自分は、むしろ葬祭場なら、良い方ではないかと思う。民間業者が経営するのでも、施設の性質からして公共的な建物だ。別所沼の景観は、たまたま接する土地の所有権を取得した者だけが、享受するものではないように思う。
 7月16日、噴水の傾きが直ったかと思ったら、ますます傾いている。地盤の不等沈下を連想した。もしかしたら、ゴミ(あのあたりに古いボートがあったように思う)を取り除いたために、足場を固めていたものが無くなったせいかとも思う。
 7月19日、とうとう噴水が岸に揚げられていた。もともと噴水は二基あったようだ。公園内の新しい案内板が一基になっているので、二基に戻ることはないと思うが、このまま噴水無しに終わるのだろうか?
 8月26日朝、噴水が戻っていた。ちゃんと水平に水を噴き出している。前日設置したようだ。予感はしていた。昨日の朝、岸に置かれていた噴水の円盤の部分がいったん姿を消した後、戻っていたからだ。不具合を調整していたのだろう。地盤のせいではなかったのか?
 緑のシートはそのままで、浮島のかわりになっている。時々その上で鳥が羽を休めている。
 あとは、水深が戻れば以前と同じだ。これからの台風による大雨でなんとかなるだろう。
 もっとも、全部以前と同じではかいぼりをした意味がない。今はアオコが見えるようだ。色が緑なので、以前の茶色よりはましだが、水質が改善されたとはいえないようだ。もっとも、かいぼりといっても、肝心の底の土を掻きだしていないので、かいぼりをしても意味がなかったのかは、わからない。
 

高沼用水導水路(水草)

 新都心を過ぎて国道17号線の下を横断する手前の高沼用水導水路の水中で水草がかなり育っていた。
 水草が見られるようになったのは最近のことだ。鴻沼川や高沼用水路にも、ところによって水草が見られるようになった。これからだんだんと綺麗な川になっていくのだろう。

けやき広場の円テーブル

 けやき広場に変化があった。けやきの樹木の根元を囲むように木のテーブルが設置されていた。
 赤、青、黄色、原色系に色が塗られていてカラフルだ。ちょっと食べたり飲んだりするのに便利で、おしゃれだ。
 ただ、気になるのは、樹木が成長して幹がテーブルの真ん中の穴よりも太くなったらどうするのだろうということ。まだ、先のことだ。今心配することではない、というよりも自分が心配することではない。
 過去の事を思い煩ったり、将来の心配をしたりしていたら、心が休まる暇がない。座禅でもした方がよいかもしれない。超高速で編み物をしていて一定のリズムができるときの感覚が、座禅しているときの感覚に似ているのじゃないかと思う。


 

2014年7月9日水曜日

夏祭り

 道を歩いていて、提灯が下がっているのを見て、夏祭りの季節だと思う。提灯に近所の飲食店や病院の名前が書かれている。その名前がなじみのものになって、自分も住民になったと感じる。
 国道17号線沿いに新しく提灯が増えていた。島忠の入り口のところだ。開店して初めての夏だ。

2014年7月5日土曜日

トリトマ

 ヤブカンゾウを見に、見沼代用水西縁に行ってみた。最盛期直前という感じだった。
 帰りに、用水路脇をそれて、畑の中の道を歩いていたら、橙色の派手な花を見かけた。初めて見る。これは、かなり珍しいのじゃないかと思う。
 帰って調べてみたら、トリトマというユリ科の花のようだ。思ったほど珍しくもないようだ。橙色の房状の花で調べたらアロエの花がヒットした。よく似ていて、葉の形は知っていたが、こんな花だったのかと思う。

2014年7月3日木曜日

社会と理科

 最近、関東の河川についての本で、利根川はもともと東京湾に注いでいたが、それを江戸時代に銚子で海に注ぐようにしたというのを読んだ。これは、今初めて知ったことではなく、子供の頃何かで読むか学校で習って知ったかすかな記憶がある。
 地理か歴史かと思い、小学校時代なら、社会科として勉強したのだろうと思う。
 扇状地や川の蛇行について読み、これは地学だなと思い、川の流速やその力について読むと物理の話かとも思う。地学も物理も理科だが、社会科と理科を相互に関連付けて学ぶ機会はなかったなと思う。
 学生時代は、傾向として、歴史と物理はおもしろく、地理と地学は退屈という感じがした。前者は「どうしてそうなるのか、なったのか」という物語があるのに対して、後者は単に暗記するだけのことが多かったからだ。
 地理と地学が本当はおもしろいのだと気付いたのは、大人になって、旅行先のことを自分でいろいろ調べるようになってからだ。見どころや特産物を調べると、自然に歴史や地理を知り、更に掘り下げると地質や気候の話にまでなる。
 一枚の地図が小説を読むより面白いことがある。