2015年6月8日月曜日

親戚たち

 テレビドラマ「親戚たち」の脚本の本を持っている。市川森一が書いている。原作はなくオリジナルで、あとがきによると諫早は作者の故郷ということだ。ドラマは1985年(昭和60年)制作なので、諫早湾には干潟が広がっている。
 主人公は、この干潟を干拓した地元では有名な名家の出身だが、今その名家は没落している。
 干潟の土地の所有権は持っているが、土地の価値はなく、リゾート開発の話が起きている。
 この後、国の干拓事業が始まり、現在水門を開ける、開けないの相反する判決が出て混乱しているわけだけれど、ドラマの中の干潟の風景は、もう見ることができないのだろう。
 論極ジュリスト2015年春号に諫早湾の排水門の開閉を巡る裁判についての記事が出ている。
 いままで、干拓してできた農地と有明海の漁業のどちらの利益を守るかの争いかと思っていたが、川の氾濫による水害予防が問題になっているようだ。
 満潮時に河口の水面が上昇し、川の水が排水されずに水害が起こるのを防ぐため、大雨の時に排水門を閉じて川の水を調整池にため、干潮時に排水門を開けて溜まった水を海に排出するという仕組みだ。
 大雨の時に排水門を閉じて河口からの水の流入を防ぎ、一時的に排水門の手前に上流から流れてきた水を溜めるということなら、さいたま市内でも鴻沼川、鴨川、荒川の水門で同様の仕組みになっている。
 埼玉にくるまでは大きな排水門を見たことがなく、普段水門が開いているのを見て、いつ閉めるのか不思議だった。大雨が降って川の水を海に出す必要があるときに、逆に排水門を閉じて川の水を溜めるということが不思議だった。他の大きな河川や海からの逆流を防ぐためと言われるとなるほどと思った。
 ジュリストの解説を読むと、開門の判決が出た後の事情の変更として、河川の治水工事の進行による水害防止のための排水門の必要性の高まりを考慮すべきとしているが、河川の治水工事が進んだらむしろ逆ではないかと思ったが、これは河川の治水工事により上中流で川から水が溢れることが少なくなり、以前より多くの水が河口まで運ばれるようになるからということらしい。
 河口だけでなく上中域にも調整池を設けるようにしたらよかったのにと思うが、適当な土地がなかったのだろう。
 結局、諫早湾の排水門の問題は水害の点では、いつ閉めていつ開けるかの問題でしかないように思う。
 今まで、諫早湾の問題は、農地の干拓問題がない地域には無縁の話かと思ったが、水害防止と水の流れを止めることによる水質悪化、環境破壊の問題なら、関東地域でも同じような問題はたくさんあるのだろうと思う。
 荒川流域で桜草が自生するには、定期的に川の水が溢れることが必要なようだが、今の治水状況からいって、それは無理のように思う。
 人口が減少していくようだから、無理やりコンクリートで自然を改変するより、条件の悪い場所には住まないようにしていけばよいのにと思う。

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