渡辺貢二、『利根川高瀬舟』、利根川高瀬舟に実際に乗っていた人から直接話を聞いている。
昭和五十年代なら、まだ明治三十年代生まれの人に話を聞くことができた。見沼代用水路に昭和五年まで船が行き来していたのを知ったときは、自分の母親が昭和五年生まれなので、自分が地元出身なら、子供のころに祖父母からどんな様子だったか話を聞けたのに残念だと思ったのを思い出した。
利根川の高瀬舟は薄い板で作られ一言で言うと「華奢な船」ということになるようだ。どうしてかというと水深が浅いところを通るので、なるべく沈まないように軽くするのだそうだ。
水深が浅いので櫂を使えず、水底の障害物に気を付けなければならないので、帆を使える場所も限られる。そこで竿で水底を押して動かすので、船を走らせるのではなく「歩かせる」という言い方になる。
国の方針が抵水対策から高水対策に変わり河川法が制定されたというのを読んでも今までピンとこなかった。船の交通のためには一定の水量を維持しなければならないので、抵水(渇水)になる場合の対策が必要になるが、洪水被害対策の場合は、水量が増量する場合、つまり水位が高くなる場合の対策が必要になってくるという意味だとわかり、ようやくピンときた。
自分の子供のころは、既に船の交通を考える必要がなくなった時期で、河川対策といったら川の水が溢れて被害がでないようにすることしかないと自分でも気がつかずに思い込んでいたようだ。
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