2014年9月27日土曜日

きもの

 どうやったら夏に着物を着られるのか、興味があったので群ようこ著『きもの365日』を読んでみることにした。ついでに『きものが欲しい』も図書館から借りた。
 『きもの365日』は知らないことが次々に出てきて、自分にとってはよくわからない専門書を読むようなので、先に『きものが欲しい』を読むことにした。
 そこで、″三十分、五百万円お買い上げ事件″の真相を読み、なんだか嫌な気分になって、やっぱり『きもの365日』を読むことにした。
 そうしたら、139頁でその事件のことについて悪意のある書き込みがされたことが書かれていた。どうもその書き込みは妬みから書かれたものらしい。
 自分がいやな気分になったのはうらやましかったからではない。銀行に残高五百万円以上あるから、同じことをしたいと思えば同じことができるし、そもそも同じことがしたいとは全く思わない。
 母親にねだられてことわりきれなかった話で、自慢と言うより災難にあった話だ。全然笑えない災難だからいやな気分になったということもある。
 自分がいやな気分になったのは、「なんだ、全然貧乏じゃないんだな」と思い、なんだか裏切られたようで、がっかりしたからだ。作家として売れたあとだから、若い時と違うのは当然なのだけれど、貧乏好きの貧乏人が本を買った、そのお金が出所なんだなと思ってしまった。
 自分も今は図書館で借りて読んでいるが、森茉莉著『贅沢貧乏』が好きなので、群ようこ著『贅沢貧乏のマリア』を買った。他に『働く女』を買った。
 とはいえ、『きものが欲しい』を最後まで読むと、おしゃれ心を刺激され面白かった。きものの趣味はないが、編み物の趣味があるので、読んでいる途中で何回も自分の編んだものを出して眺めてしまった。
 今回、もうひとつがっかりしたのは、以前読んだ『衣もろもろ』のなかで洋服の数を絞った話がでていて、その枚数を読んで「すごい」と思ったが、これだけの着物を持っているなら、すごくもなんともなかったということだ。確かに着物も持っているからとは書かれていたが、そのときにはこんなに持っているとは思わなかった。こちらが事情がよくわからず、勝手に勘違いしただけではあるが、改めて、着物がこれだけあって、洋服はこんなに少しということに何の意味があるのだろうと思う、結局どういう話なのだろうと、現在少し頭が混乱している。

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