短編集『マン島の黄金』、クリスティの死後、出された。雑誌に発表された後、どの短編集にも載らなかったものが多く納められているということで、一つの性格でくくれないものが集まった。
その中で、「孤独な神さま」が一番気に入った。大人のおとぎ話のようだ。涙がじわっと出てきたところがあって、クリスティは泣かせる話も書けるのだと少し驚いた。笑わせることができることには気づいていたが、この話も最後の部分はユーモアで終わっている。
「夢の家」も結構気に入った。推理小説以外の長編にも期待が持てる。
2014年2月10日月曜日
2014年2月9日日曜日
雪かき
朝、窓から外を見ると歩道が雪で覆われている。10時ごろ、外で雪かきをする音が聞こえる。雪が全部溶けるまで家に籠っているわけにもいかないので、外に出てみた。
歩いていると、あちこちで雪かきをしているが、雪かきをしても雪が消えてなくなるわけではない。ただ、その位置が動くだけだ。どこの場所の雪を取り除いて、どこに雪を集めるか。見ていると、各自の判断に従っているようで、取り決めのようなものは、なさそうだ。
たいていはスコップやプラスチック製の雪かきを使っているが、ちりとりを使っている人もいる。雪がとけてみぞれ状態なので、ちりとりも結構役にたっているようだ。今晩解けた雪が凍ると、明日の朝はプラスチック製のちりとりでは、歯がたたないだろう。
踏むと崩れるみぞれ状の雪の上を歩くのは、砂浜の上を歩くのに似ている。
別所沼公園は、いつもの日曜日よりも人が少ない。本格的なカメラを構えている人が、何人もいるのは、撮る機会の少ない雪景色を期待してのことだろう。二年前に撮った下の写真よりも雪が多い。
歩いていると、あちこちで雪かきをしているが、雪かきをしても雪が消えてなくなるわけではない。ただ、その位置が動くだけだ。どこの場所の雪を取り除いて、どこに雪を集めるか。見ていると、各自の判断に従っているようで、取り決めのようなものは、なさそうだ。
たいていはスコップやプラスチック製の雪かきを使っているが、ちりとりを使っている人もいる。雪がとけてみぞれ状態なので、ちりとりも結構役にたっているようだ。今晩解けた雪が凍ると、明日の朝はプラスチック製のちりとりでは、歯がたたないだろう。
踏むと崩れるみぞれ状の雪の上を歩くのは、砂浜の上を歩くのに似ている。
別所沼公園は、いつもの日曜日よりも人が少ない。本格的なカメラを構えている人が、何人もいるのは、撮る機会の少ない雪景色を期待してのことだろう。二年前に撮った下の写真よりも雪が多い。
2014年2月8日土曜日
本町通りの庚申塔
与野公園に行く途中、本町通りの交差点で信号待ちをしている時に、円乗院のなかの工事中の幕がなくなっているのに気付いた。
工事中、近づけなかった庚申塔を間近に見られるかと思い、中に入った。近くから見ることができるが写真撮影ができない。
さいたま市ホームページの「指定文化財の紹介(有形民俗文化財)」の頁で写真を見ることができる。三猿のみで、青面金剛像がない江戸時代の初めころによく見られるタイプだ。
市が写真を撮った後で設置場所が変わっている。今は、門を入り向かって左側にある。

円乗院
工事中、近づけなかった庚申塔を間近に見られるかと思い、中に入った。近くから見ることができるが写真撮影ができない。
さいたま市ホームページの「指定文化財の紹介(有形民俗文化財)」の頁で写真を見ることができる。三猿のみで、青面金剛像がない江戸時代の初めころによく見られるタイプだ。
市が写真を撮った後で設置場所が変わっている。今は、門を入り向かって左側にある。
円乗院
2014年2月7日金曜日
グリーンベルト
散歩していたら、いきなり「グーンベルトの上を歩きなさい。」という厳しい声がした。
風で帽子が飛ばないよう下を向いて歩いていたので、びっくりして顔を上げた。向かい側から歩いてきた30代くらいの母親が道路中央側に走って飛び出している小学生の男の子達に注意した声のようだ。
細い裏道で、アスファルトの道路の両端が一メートル幅くらいに緑色に着色されていて境目に白線が引かれている。着色されていない真ん中部分は自動車一台が通れるくらいの幅だ。緑色の部分が歩道ということだろう。意味としては「歩道の上を歩きなさい」ということだ。
埼玉県に来て、歩道を示すために道路が緑色に着色されているのを初めて見た。県内ではさいたま市以外にも見られる。
この緑色の部分を「グリーンベルト」と言うのを聞くのは初めてだ。「なんか、かっこいい、子供に戦隊ヒーローごっこをさせているみたいだ」と思い、「グリーンベレー」という単語が頭に浮かんだ。「グリーンベレー」からの連想と厳しく指示する口調が結びついて「かっこいい」と感じたのだろう。
このグリーンベルトは正式な名称なのか、埼玉県以外でもやっているのかと思い検索したら、グリーンベルトは一般的には都市の緑地帯を指す。そういえば、札幌にいたときには、幅の広い車道の中央分離帯が緑地になっている場合に、そこをグリーンベルトと言っていた。
風で帽子が飛ばないよう下を向いて歩いていたので、びっくりして顔を上げた。向かい側から歩いてきた30代くらいの母親が道路中央側に走って飛び出している小学生の男の子達に注意した声のようだ。
細い裏道で、アスファルトの道路の両端が一メートル幅くらいに緑色に着色されていて境目に白線が引かれている。着色されていない真ん中部分は自動車一台が通れるくらいの幅だ。緑色の部分が歩道ということだろう。意味としては「歩道の上を歩きなさい」ということだ。
埼玉県に来て、歩道を示すために道路が緑色に着色されているのを初めて見た。県内ではさいたま市以外にも見られる。
この緑色の部分を「グリーンベルト」と言うのを聞くのは初めてだ。「なんか、かっこいい、子供に戦隊ヒーローごっこをさせているみたいだ」と思い、「グリーンベレー」という単語が頭に浮かんだ。「グリーンベレー」からの連想と厳しく指示する口調が結びついて「かっこいい」と感じたのだろう。
このグリーンベルトは正式な名称なのか、埼玉県以外でもやっているのかと思い検索したら、グリーンベルトは一般的には都市の緑地帯を指す。そういえば、札幌にいたときには、幅の広い車道の中央分離帯が緑地になっている場合に、そこをグリーンベルトと言っていた。
2014年2月6日木曜日
クリスティ文庫(12)
短編集『死人の鏡』には、4作納められている。2作目「謎の盗難事件」を読み始めてすぐに読んだことがあると思った。設計図が盗まれるのは同じだが、題名が記憶と違う。最後のところを読むと同じ犯人、同じトリックだ。
2作目を飛ばして3作目を読む。これも読み始めてすぐ「第二のドラ」のようだと思う(早川書房の訳では第二のゴング)。こちらは題名も分量も明らかに違うので、別の作品であることは間違いない。流し読みをして最後の謎ときを読むと、登場人物が少し違っていて、犯人と動機が違うがトリックは同じだ。
4作目の「砂にかかれた三角形」を読む。ポアロの長編のうちの一作を思い出す。保養地の海岸で若い夫婦のうちの夫の方が、女性的魅力にあふれた既婚の女性に惹かれ、夫に構われなくなった妻が周りの人間に憐れまれて、もっとセンスのいいものを身につけるといいのにと思われる。
もし、同じトリックならこの同情されている妻の、気弱な性格は演技だろうと思いながら読む。やっぱりだ。ただ、分量が違いすぎるので、一見すると同じトリックの使用とはいえない。ただ、長編では、最後にその妻の正体がわかってすべてに納得がいく。
何度も読む推理小説はあるので、トリックや犯人がわかっているというだけで、もうその作品を読む価値がなくなるというものでもない。自分はチェスタトンのブラウン神父やアシモフの黒後家蜘蛛の会は何度も読んでいるし、これからも読むと思う。
ただ、読みながら「これは前に読んだことがあったかなかったか」、とか「違う作品だとしたら違う謎ときになっているのだろうか」と思いながら読んだのでは気が散って楽しめない。
「バグダッドの大櫃の謎」と「スペイン櫃の秘密」もほぼ同じ内容になっている。ただ、こちらは一方にヘイスティングズが登場しているが、他方には出てこず、ポアロがヘイスティングズのロマンチックな謎ときが聞けなくて残念と言っている。この違いを楽しむために両方読むという選択もある。
あらかじめ、作品と作品の関係がわかった上で読んだ方がいいと思うが、推理小説の解説や感想は、トリックや犯人を伏せるのがマナーということになっているようだ。自分としては、このマナーは逆に読者に不親切のように思う。
2作目を飛ばして3作目を読む。これも読み始めてすぐ「第二のドラ」のようだと思う(早川書房の訳では第二のゴング)。こちらは題名も分量も明らかに違うので、別の作品であることは間違いない。流し読みをして最後の謎ときを読むと、登場人物が少し違っていて、犯人と動機が違うがトリックは同じだ。
4作目の「砂にかかれた三角形」を読む。ポアロの長編のうちの一作を思い出す。保養地の海岸で若い夫婦のうちの夫の方が、女性的魅力にあふれた既婚の女性に惹かれ、夫に構われなくなった妻が周りの人間に憐れまれて、もっとセンスのいいものを身につけるといいのにと思われる。
もし、同じトリックならこの同情されている妻の、気弱な性格は演技だろうと思いながら読む。やっぱりだ。ただ、分量が違いすぎるので、一見すると同じトリックの使用とはいえない。ただ、長編では、最後にその妻の正体がわかってすべてに納得がいく。
何度も読む推理小説はあるので、トリックや犯人がわかっているというだけで、もうその作品を読む価値がなくなるというものでもない。自分はチェスタトンのブラウン神父やアシモフの黒後家蜘蛛の会は何度も読んでいるし、これからも読むと思う。
ただ、読みながら「これは前に読んだことがあったかなかったか」、とか「違う作品だとしたら違う謎ときになっているのだろうか」と思いながら読んだのでは気が散って楽しめない。
「バグダッドの大櫃の謎」と「スペイン櫃の秘密」もほぼ同じ内容になっている。ただ、こちらは一方にヘイスティングズが登場しているが、他方には出てこず、ポアロがヘイスティングズのロマンチックな謎ときが聞けなくて残念と言っている。この違いを楽しむために両方読むという選択もある。
あらかじめ、作品と作品の関係がわかった上で読んだ方がいいと思うが、推理小説の解説や感想は、トリックや犯人を伏せるのがマナーということになっているようだ。自分としては、このマナーは逆に読者に不親切のように思う。
2014年2月5日水曜日
知らずに法律違反をした?
公園や道路の屋外に設置されている美術品を写真に撮ってブログにのせてもいいのか気になったので、著作権法をみた。
条文を眺めているうちに、コンビニのコピー機を使ってコピーをすると私的使用でも違法になることに気付いて、思わずぎょっとした。(30条1項1号)
条文の後ろについている判例を見ると企業その他の団体において、内部的に業務上利用するのもアウトらしい。
以前勤めていた時に、同じ職場内の打ち合わせで説明用に書籍の一部をコピーして配ったり、出張先で見るために本の一部をコピーして持っていったことがあったが、それも違法だったらしい。
さっき法律雑誌を見ていたら、今のところ経過措置としてコンビニ設置のコピー機での複製はOKだとわかった。(法附則5条の2)今のところといっても昭和59年に改正されてから30年近くもそれが続いている。
図書館では一人一部までコピーできるが、一人で五人のためにコピーしようとしても拒絶される。アマゾンで中古の本しか手に入れられないような本でもそうだ。どこがどういうふうに著作権の保護になっているのかは理解できない。
大学生の時、生協で他人のノートをコピーしたことがある。昭和59年の改正前のことだ。昭和59年の頃はもう社会人だった。結局すぐには禁止されないにしても、将来禁止される行為になるということが話題になった記憶が全然ない。多分、禁止されるようになったら、コピー機のところに注意書きでものるのだろう。
それにしても、中途半端に条文を読むと全然読まないより害がありそうなのは恐ろしい。六法の条文の末尾に参照条文がつくが、附則については載らないので、注意しなければならないことは知っていたが、改めて「怖いなー」と思う。
条文を眺めているうちに、コンビニのコピー機を使ってコピーをすると私的使用でも違法になることに気付いて、思わずぎょっとした。(30条1項1号)
条文の後ろについている判例を見ると企業その他の団体において、内部的に業務上利用するのもアウトらしい。
以前勤めていた時に、同じ職場内の打ち合わせで説明用に書籍の一部をコピーして配ったり、出張先で見るために本の一部をコピーして持っていったことがあったが、それも違法だったらしい。
さっき法律雑誌を見ていたら、今のところ経過措置としてコンビニ設置のコピー機での複製はOKだとわかった。(法附則5条の2)今のところといっても昭和59年に改正されてから30年近くもそれが続いている。
図書館では一人一部までコピーできるが、一人で五人のためにコピーしようとしても拒絶される。アマゾンで中古の本しか手に入れられないような本でもそうだ。どこがどういうふうに著作権の保護になっているのかは理解できない。
大学生の時、生協で他人のノートをコピーしたことがある。昭和59年の改正前のことだ。昭和59年の頃はもう社会人だった。結局すぐには禁止されないにしても、将来禁止される行為になるということが話題になった記憶が全然ない。多分、禁止されるようになったら、コピー機のところに注意書きでものるのだろう。
それにしても、中途半端に条文を読むと全然読まないより害がありそうなのは恐ろしい。六法の条文の末尾に参照条文がつくが、附則については載らないので、注意しなければならないことは知っていたが、改めて「怖いなー」と思う。
2014年2月4日火曜日
クリスティ文庫(11)
短編集『リスタデール卿の謎』も初めて読むはずだが、どれもこれも読んだことがあるような気がする。これは、早川書房以外から別の名前で出されている短編集があり、それを読んだのだろうと思い、検索してみた。
やはり、創元推理文庫に『クリスチィ短編全集』というのがあった。埼玉県立図書館に1から5まであり、それぞれの収録作品を見ると1が『死の猟犬』で、2が『リスタデール卿の謎』だ。多分、長姉が買ったのを借りて読んだのだろう。記憶している程度と今読んでおもしろいと思う程度はだいだい一致するようだ。
短編集『リスタデール卿の謎』の方がクリスティらしいように思う。特にその中の「六ペンスのうた」が、クリスティらしい。関係者に話を聞いただけで謎を解き、真実はわかったが証拠はなく、罠をかけてその証拠を得る、最後にちょっとしゃれたことを書いて終わる。
やはり、創元推理文庫に『クリスチィ短編全集』というのがあった。埼玉県立図書館に1から5まであり、それぞれの収録作品を見ると1が『死の猟犬』で、2が『リスタデール卿の謎』だ。多分、長姉が買ったのを借りて読んだのだろう。記憶している程度と今読んでおもしろいと思う程度はだいだい一致するようだ。
短編集『リスタデール卿の謎』の方がクリスティらしいように思う。特にその中の「六ペンスのうた」が、クリスティらしい。関係者に話を聞いただけで謎を解き、真実はわかったが証拠はなく、罠をかけてその証拠を得る、最後にちょっとしゃれたことを書いて終わる。
2014年2月3日月曜日
クリスティ文庫(10)
短編集『死の猟犬』、怪奇的小説が集められている。「検察側の証人」は例外だ。本当に超常現象が起こったというものと、トリックでそう見せかけただけのものがある。
この短編集は初めて読むが、以前に読んだ話もある。多分、父親が買った雑誌「宝石」の中に載っていたのを子供のころに読んだのだと思う。
「ラジオ」は、もう一度読みたいと思いながら、作者も題名もどの本で読んだかも覚えておらず、読めずにいたものだったので、今回、クリスティ文庫を読破することにしてよかったと思う。
どこが、心に残ったかと言えば、度々ラジオから亡くなった夫の声が聞こえ、予告通りその夫が迎えに来るというその夜に、もう病気による死を覚悟しており、幽霊とはいえ自分の夫だから、恐れていないはずだったのに、いざとなったら恐怖を感じ、その恐怖の理由が、夫はもう随分前に亡くなっており、自分にとっては見知らぬ他人になってしまったことに気付いたから、というところだ。
そして、この幽霊の声は何かのトリックで、結局皮肉な結果に終わったことは覚えていた。
夫でも何十年も会わないと見知らぬ他人になるというところが、どういうふうに表現されていたかということと、どういうトリックでどこが失敗したのかを確認したかった。
他に記憶していた短編は、「青い壺の謎」と「最後の降霊会」と「S・O・S」だ。(検索したところ、「青い壺の謎」と「最後の降霊会」は「宝石」で間違いないようだ。)
怪奇的小説にも関わらずユーモア(あるいは皮肉)が感じられるところが、クリスティらしいと思う。
100冊もあるので、人それぞれのベストテンがあると思うが、推理小説やミステリーはトリックやオチに着目してのそれが多いと思う。あるいは、登場人物の魅力に注目する人もいるだろう。自分なら「ユーモア」を基準にして選ぶんじゃないかと思う。
この短編集は初めて読むが、以前に読んだ話もある。多分、父親が買った雑誌「宝石」の中に載っていたのを子供のころに読んだのだと思う。
「ラジオ」は、もう一度読みたいと思いながら、作者も題名もどの本で読んだかも覚えておらず、読めずにいたものだったので、今回、クリスティ文庫を読破することにしてよかったと思う。
どこが、心に残ったかと言えば、度々ラジオから亡くなった夫の声が聞こえ、予告通りその夫が迎えに来るというその夜に、もう病気による死を覚悟しており、幽霊とはいえ自分の夫だから、恐れていないはずだったのに、いざとなったら恐怖を感じ、その恐怖の理由が、夫はもう随分前に亡くなっており、自分にとっては見知らぬ他人になってしまったことに気付いたから、というところだ。
そして、この幽霊の声は何かのトリックで、結局皮肉な結果に終わったことは覚えていた。
夫でも何十年も会わないと見知らぬ他人になるというところが、どういうふうに表現されていたかということと、どういうトリックでどこが失敗したのかを確認したかった。
他に記憶していた短編は、「青い壺の謎」と「最後の降霊会」と「S・O・S」だ。(検索したところ、「青い壺の謎」と「最後の降霊会」は「宝石」で間違いないようだ。)
怪奇的小説にも関わらずユーモア(あるいは皮肉)が感じられるところが、クリスティらしいと思う。
100冊もあるので、人それぞれのベストテンがあると思うが、推理小説やミステリーはトリックやオチに着目してのそれが多いと思う。あるいは、登場人物の魅力に注目する人もいるだろう。自分なら「ユーモア」を基準にして選ぶんじゃないかと思う。
2014年2月2日日曜日
別所沼公園
散歩コースの一つに常盤緑道を通り別所沼公園に入り沼の周りを一周して帰るというのがある。このコースの利用が一番多い。

(常盤緑道)

(常盤緑道から別所沼公園に入る)
別所沼の周りを半周し、歩道橋に近づいたところで、歩道橋の先の建物の屋上に赤い鳥居があることに気付いた。
鳥居の奥に祠もある。新しい建物ではないので、前からあったが気付かなかっただけだろう。約五年もの間気付かなかったことになる。

(横断歩道橋を振り返って)
公園を出て常盤緑道に入るところに横断歩道がある。狭い道路の割に交通量が多い。最近信号がついたが、ボタンを押さないと赤信号のままだ。ボタンを押すことに気付かずに待っている人がたまにいる。
公園を出ようとして、横断歩道の手前に男性が一人立っているのに気付いたが、念のためにボタンを押しているかどうか見てみると押していない。その男性は、携帯電話の操作に熱中している。
自分でボタンを押して渡り、少し歩いてから振り向いて見たら、まだ渡らずに立っていて、信号はもう赤に変わっている。あるいは、信号待ちではなく携帯を見るために立っていただけかと思ったが、もう携帯の方は見ていないようだ。気になったので、振り返りながら歩く。車道に向かってずっと立ったままだ。道路を渡るつもりで、まだボタンを押すことに気づいていないとしたら、大丈夫だろうかと思う。

(別所沼公園を振り返ったところ、ただし、信号機の設置前)
常盤緑道を横切って武蔵野貨物線が通っている。線路はコンクリートで覆われていて、その上を越す階段がある。階段の途中で向かい側から、ジャージ姿の男性が一人歩いてきた。別所沼公園に散歩に行く途中なのだろう。この男性が横断歩道を渡るときに、さっきの男性も救われるだろうと思う。
階段を降りたところの緑道に、茶色のソフトクリーム状の糞があった。また糞を片付けない不心得者がいると思い、それとも猫かもしれないと思う。そのあたりでよく猫を見かける。ノラなのか、飼いネコかはわからない。

(武蔵野貨物線を超える階段)
この散歩コースはストレスが溜まりそうだから、別のコースを開拓しようかと思ったが、ストレスを感じるのは自分の性格のせいだろう。
細かいことが気にならない人が、本当にうらやましい。
(常盤緑道)
(常盤緑道から別所沼公園に入る)
別所沼の周りを半周し、歩道橋に近づいたところで、歩道橋の先の建物の屋上に赤い鳥居があることに気付いた。
鳥居の奥に祠もある。新しい建物ではないので、前からあったが気付かなかっただけだろう。約五年もの間気付かなかったことになる。
(横断歩道橋を振り返って)
公園を出て常盤緑道に入るところに横断歩道がある。狭い道路の割に交通量が多い。最近信号がついたが、ボタンを押さないと赤信号のままだ。ボタンを押すことに気付かずに待っている人がたまにいる。
公園を出ようとして、横断歩道の手前に男性が一人立っているのに気付いたが、念のためにボタンを押しているかどうか見てみると押していない。その男性は、携帯電話の操作に熱中している。
自分でボタンを押して渡り、少し歩いてから振り向いて見たら、まだ渡らずに立っていて、信号はもう赤に変わっている。あるいは、信号待ちではなく携帯を見るために立っていただけかと思ったが、もう携帯の方は見ていないようだ。気になったので、振り返りながら歩く。車道に向かってずっと立ったままだ。道路を渡るつもりで、まだボタンを押すことに気づいていないとしたら、大丈夫だろうかと思う。
(別所沼公園を振り返ったところ、ただし、信号機の設置前)
常盤緑道を横切って武蔵野貨物線が通っている。線路はコンクリートで覆われていて、その上を越す階段がある。階段の途中で向かい側から、ジャージ姿の男性が一人歩いてきた。別所沼公園に散歩に行く途中なのだろう。この男性が横断歩道を渡るときに、さっきの男性も救われるだろうと思う。
階段を降りたところの緑道に、茶色のソフトクリーム状の糞があった。また糞を片付けない不心得者がいると思い、それとも猫かもしれないと思う。そのあたりでよく猫を見かける。ノラなのか、飼いネコかはわからない。
(武蔵野貨物線を超える階段)
この散歩コースはストレスが溜まりそうだから、別のコースを開拓しようかと思ったが、ストレスを感じるのは自分の性格のせいだろう。
細かいことが気にならない人が、本当にうらやましい。
2014年2月1日土曜日
クリスティ文庫(9)
ミス・マープルがどうして多くの殺人事件に関われるのか不思議だった。
ポアロも探偵業を引退してから多くの事件に関わるので、やっぱり不思議だ。
ただ、ポアロの方は引退してからの方が依頼人に報酬を払ってもらうという問題がなくなるので、逆に多彩な事件に関われるようになったとも言える。
この問題は、小説の中の出来事が現実に起こり得ることかどうかに拘るから問題になる。
作者がどんなに工夫しても、現実にはこれほどの偶然は起こり得ないと思う。
『謎のクィン氏』は、その正体が最後まで謎で、なぜ解決すべき事件に毎度丁度よく現れるのかの現実的な説明は、完全に放棄されている。こんな方法もあったかと思う。
もともと、小説はフィクション、現実と違っていても問題ないはずだ。というか、大人なら現実が小説のとおりではないことは、充分承知している。
ただ、最近のテレビドラマは、ドラマはドラマ、現実は現実、所詮別物という考えは、通用しないらしい。
それから、自分が子供のころは夜10時台のドラマは大人が見るもので子供が見るものではなかったと思うが、今は違うようだ。
ポアロも探偵業を引退してから多くの事件に関わるので、やっぱり不思議だ。
ただ、ポアロの方は引退してからの方が依頼人に報酬を払ってもらうという問題がなくなるので、逆に多彩な事件に関われるようになったとも言える。
この問題は、小説の中の出来事が現実に起こり得ることかどうかに拘るから問題になる。
作者がどんなに工夫しても、現実にはこれほどの偶然は起こり得ないと思う。
『謎のクィン氏』は、その正体が最後まで謎で、なぜ解決すべき事件に毎度丁度よく現れるのかの現実的な説明は、完全に放棄されている。こんな方法もあったかと思う。
もともと、小説はフィクション、現実と違っていても問題ないはずだ。というか、大人なら現実が小説のとおりではないことは、充分承知している。
ただ、最近のテレビドラマは、ドラマはドラマ、現実は現実、所詮別物という考えは、通用しないらしい。
それから、自分が子供のころは夜10時台のドラマは大人が見るもので子供が見るものではなかったと思うが、今は違うようだ。
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