どうやったら夏に着物を着られるのか、興味があったので群ようこ著『きもの365日』を読んでみることにした。ついでに『きものが欲しい』も図書館から借りた。
『きもの365日』は知らないことが次々に出てきて、自分にとってはよくわからない専門書を読むようなので、先に『きものが欲しい』を読むことにした。
そこで、″三十分、五百万円お買い上げ事件″の真相を読み、なんだか嫌な気分になって、やっぱり『きもの365日』を読むことにした。
そうしたら、139頁でその事件のことについて悪意のある書き込みがされたことが書かれていた。どうもその書き込みは妬みから書かれたものらしい。
自分がいやな気分になったのはうらやましかったからではない。銀行に残高五百万円以上あるから、同じことをしたいと思えば同じことができるし、そもそも同じことがしたいとは全く思わない。
母親にねだられてことわりきれなかった話で、自慢と言うより災難にあった話だ。全然笑えない災難だからいやな気分になったということもある。
自分がいやな気分になったのは、「なんだ、全然貧乏じゃないんだな」と思い、なんだか裏切られたようで、がっかりしたからだ。作家として売れたあとだから、若い時と違うのは当然なのだけれど、貧乏好きの貧乏人が本を買った、そのお金が出所なんだなと思ってしまった。
自分も今は図書館で借りて読んでいるが、森茉莉著『贅沢貧乏』が好きなので、群ようこ著『贅沢貧乏のマリア』を買った。他に『働く女』を買った。
とはいえ、『きものが欲しい』を最後まで読むと、おしゃれ心を刺激され面白かった。きものの趣味はないが、編み物の趣味があるので、読んでいる途中で何回も自分の編んだものを出して眺めてしまった。
今回、もうひとつがっかりしたのは、以前読んだ『衣もろもろ』のなかで洋服の数を絞った話がでていて、その枚数を読んで「すごい」と思ったが、これだけの着物を持っているなら、すごくもなんともなかったということだ。確かに着物も持っているからとは書かれていたが、そのときにはこんなに持っているとは思わなかった。こちらが事情がよくわからず、勝手に勘違いしただけではあるが、改めて、着物がこれだけあって、洋服はこんなに少しということに何の意味があるのだろうと思う、結局どういう話なのだろうと、現在少し頭が混乱している。
2014年9月27日土曜日
2014年9月26日金曜日
足つぼマット
別所沼公園の健康器具のなかに、足のつぼを刺激するコーナーがあったので、どれだけ痛いのか試してみた。
確かに痛いが、足の乗せ方や歩き方の工夫によって違ってくるような気もする。
アメトークでゲストの女優が全く痛がらずにすいすい歩いていた。周りで、「健康だから」と騒いでいたが、それだけの違いとは思えない。
男性と女性の差か。そこでひらめいた。「ハイヒール」だ。ゲストの主演ドラマで、主人公が高さ10センチ以上はありそうなピンヒールをはいて、闊歩したり走ったりするところがある。
足つぼマットの平らの小さい部分だけに体重を乗せて歩いたら、痛くなく歩けるのじゃないか。
明日、この仮説を検証してみようと思う。
9月27日、試してみたが、理屈どおりにはいかない。足の裏の土踏まずのところをなるべくアーチ形にして、突起部分に体重が軽くかかるようにすると痛さが減り、立っているだけならそんなに痛くない。ただ、歩こうとすると突起部分に体重をのせないと歩けず、体重をのせると痛い。
歩き方を練習していたら、後ろに人がいるのに気付き、思わず謝ってどいた。謝る必要はなかったかと思うが、本来の目的と違うことをしていたので、なんとなく後ろめたかったのだろう。
本来の目的と違う使い方という点で、前から気になっていたのが「背のばし」だ。これは、椅子に座って背もたれにもたれて、背中を後ろにそらせて使うらしい。背もたれが半円状になっている。その椅子に座らずに反対側から立ったまま背中をそらせている人がいた。
背中が固くて板のように真直ぐになっている。腕を上に伸ばして、うんうんいっている様子を見ると腹筋運動をしているように見える。実際、後ろにもたれずに背中を起こした姿勢を保とうとしたら、腹筋が鍛えられると思う。
少しして同じ人を見かけたが、今度は前より背中が背もたれにくっついている。よく見ると、膝がまがってだんだん身体が下にさがっている。半円状の背もたれは上は平らに近く、下は垂直に近くなる。その垂直に近い方に背中をあわせてきたので、背中と背もたれがちかくなったのだ。膝をまげて姿勢を保っていたら腿の筋肉が鍛えられるのじゃないかと思う。
だんだん、何を鍛えるためのものかわからなくなる。
確かに痛いが、足の乗せ方や歩き方の工夫によって違ってくるような気もする。
アメトークでゲストの女優が全く痛がらずにすいすい歩いていた。周りで、「健康だから」と騒いでいたが、それだけの違いとは思えない。
男性と女性の差か。そこでひらめいた。「ハイヒール」だ。ゲストの主演ドラマで、主人公が高さ10センチ以上はありそうなピンヒールをはいて、闊歩したり走ったりするところがある。
足つぼマットの平らの小さい部分だけに体重を乗せて歩いたら、痛くなく歩けるのじゃないか。
明日、この仮説を検証してみようと思う。
9月27日、試してみたが、理屈どおりにはいかない。足の裏の土踏まずのところをなるべくアーチ形にして、突起部分に体重が軽くかかるようにすると痛さが減り、立っているだけならそんなに痛くない。ただ、歩こうとすると突起部分に体重をのせないと歩けず、体重をのせると痛い。
歩き方を練習していたら、後ろに人がいるのに気付き、思わず謝ってどいた。謝る必要はなかったかと思うが、本来の目的と違うことをしていたので、なんとなく後ろめたかったのだろう。
本来の目的と違う使い方という点で、前から気になっていたのが「背のばし」だ。これは、椅子に座って背もたれにもたれて、背中を後ろにそらせて使うらしい。背もたれが半円状になっている。その椅子に座らずに反対側から立ったまま背中をそらせている人がいた。
背中が固くて板のように真直ぐになっている。腕を上に伸ばして、うんうんいっている様子を見ると腹筋運動をしているように見える。実際、後ろにもたれずに背中を起こした姿勢を保とうとしたら、腹筋が鍛えられると思う。
少しして同じ人を見かけたが、今度は前より背中が背もたれにくっついている。よく見ると、膝がまがってだんだん身体が下にさがっている。半円状の背もたれは上は平らに近く、下は垂直に近くなる。その垂直に近い方に背中をあわせてきたので、背中と背もたれがちかくなったのだ。膝をまげて姿勢を保っていたら腿の筋肉が鍛えられるのじゃないかと思う。
だんだん、何を鍛えるためのものかわからなくなる。
2014年9月10日水曜日
長谷川かな
別所沼公園で俳句が書かれた石碑を見つけた。沼の周囲を歩く道から外れていたので最近気付いた。
「野球少年 あつまり丘を うかせけり」と読めた。少年が集まって野球をしているのか。最後の五文字の意味がわからない。「う」で始まるので球を打つのと関係があるのか。変体仮名を見誤っているのか。広場で野球をするのならわかるが、丘で野球をするのは無理がある。それにどこに丘があるのだろうと思って気付いた。公園の東側がすこし高くなっている。公園から二列目の住宅は一列目の住宅より一階分くらい高いところに建っている。家が建つ前は丘に見えただろう。
そこで、前の方に案内板があるのに気付いた。出だしは「曼珠沙華」だった。石碑の方は達筆で見誤ったのだ。作者は長谷川かな、といっても知らない人だった。
最近、鰻を食べさせるお店の「別所」が取り壊されて空き地になり、公園内の道から後ろの住宅が見えている。コンクリートの擁壁の上に目隠しの塀の裏側が見える。芝居の書き割を後ろから見るようだ。もともと丘だったのが一目瞭然だ。
跡地がどうなるか気になる。以前からランニングコース沿いに空き地になっているところが二区画ある。一つは市が管理しているようでそれなりに手入れされているが、隣の方は雑草が茂り荒れている。崖下で利用制限でもかかっているのだろうか。『秘密の花園』を連想する。
俳句の方は、曼珠沙華が丘一面に咲いていて、その赤い色で丘を浮き上がらせているという意味だろう。
9月14日朝、南東角の最近季節の花が植えられているところで、曼珠沙華が咲いているのを見かけた。
10月23日、空き地横を歩いていて気付いたが、その空き地は自動車が通れる道路と接していない。これでは、物理的にも建物を建てるのは無理だなと思う。
「野球少年 あつまり丘を うかせけり」と読めた。少年が集まって野球をしているのか。最後の五文字の意味がわからない。「う」で始まるので球を打つのと関係があるのか。変体仮名を見誤っているのか。広場で野球をするのならわかるが、丘で野球をするのは無理がある。それにどこに丘があるのだろうと思って気付いた。公園の東側がすこし高くなっている。公園から二列目の住宅は一列目の住宅より一階分くらい高いところに建っている。家が建つ前は丘に見えただろう。
そこで、前の方に案内板があるのに気付いた。出だしは「曼珠沙華」だった。石碑の方は達筆で見誤ったのだ。作者は長谷川かな、といっても知らない人だった。
最近、鰻を食べさせるお店の「別所」が取り壊されて空き地になり、公園内の道から後ろの住宅が見えている。コンクリートの擁壁の上に目隠しの塀の裏側が見える。芝居の書き割を後ろから見るようだ。もともと丘だったのが一目瞭然だ。
跡地がどうなるか気になる。以前からランニングコース沿いに空き地になっているところが二区画ある。一つは市が管理しているようでそれなりに手入れされているが、隣の方は雑草が茂り荒れている。崖下で利用制限でもかかっているのだろうか。『秘密の花園』を連想する。
俳句の方は、曼珠沙華が丘一面に咲いていて、その赤い色で丘を浮き上がらせているという意味だろう。
9月14日朝、南東角の最近季節の花が植えられているところで、曼珠沙華が咲いているのを見かけた。
10月23日、空き地横を歩いていて気付いたが、その空き地は自動車が通れる道路と接していない。これでは、物理的にも建物を建てるのは無理だなと思う。
2014年9月7日日曜日
避暑地
いつものように住宅地の中を散歩していて、ふと視線を上げたら、「森の中の別荘みたい」なものを見つけた。
三階建の住宅の屋上が平らになっていて、その真ん中に木のテーブルとそれを囲んだ椅子があり、周りの四隅の柱の上に、ヨットのような三角の布が張られて日差しを遮っている。壁がないので風通しもよさそうだ。その背後に樹木が広がっている。近くで見ると一軒おいた隣の家の庭の木だ。「随分と得しているな」と思う。
三階建の住宅の屋上が平らになっていて、その真ん中に木のテーブルとそれを囲んだ椅子があり、周りの四隅の柱の上に、ヨットのような三角の布が張られて日差しを遮っている。壁がないので風通しもよさそうだ。その背後に樹木が広がっている。近くで見ると一軒おいた隣の家の庭の木だ。「随分と得しているな」と思う。
2014年9月2日火曜日
別所沼のかいぼり(あぶく)
別所沼の南側沿いを歩いていたら、水中からあぶくが出ていた。かいぼり後に時々みかける。
水をかき混ぜると空気の泡がたくさんできるが、水の動きは全くない。
泡が出る場所が移動していて、亀が泳いでいるところを見たことがあるので、亀の吐く息が原因なのだろうか。かいぼり前に一度も泡が出ているのに気づかなかった理由はわからない。
「よどみに浮かぶうたかたは、」を初めて聞いた時には、どうして泡ができるのか、全く不思議に思わなかった。流れている川しか見たことがなかったせいもあるだろう。
ただ、「よどみ」とあるから水の動きでできたとは思えず、鴨長明の見た泡はどうやってできたのだろうと思う。
やっぱり亀なのか、方丈記の研究で、今まで問題にされたことはないのだろうか。
9月2日、久しぶりに晴天で気温が上がっている。水面に以前と同じように茶色くなっているところがある。
水をかき混ぜると空気の泡がたくさんできるが、水の動きは全くない。
泡が出る場所が移動していて、亀が泳いでいるところを見たことがあるので、亀の吐く息が原因なのだろうか。かいぼり前に一度も泡が出ているのに気づかなかった理由はわからない。
「よどみに浮かぶうたかたは、」を初めて聞いた時には、どうして泡ができるのか、全く不思議に思わなかった。流れている川しか見たことがなかったせいもあるだろう。
ただ、「よどみ」とあるから水の動きでできたとは思えず、鴨長明の見た泡はどうやってできたのだろうと思う。
やっぱり亀なのか、方丈記の研究で、今まで問題にされたことはないのだろうか。
9月2日、久しぶりに晴天で気温が上がっている。水面に以前と同じように茶色くなっているところがある。
白く見えるのが泡
9月3日、亀が水面近くを泳いでいた。ずっと見ていたら、口元から泡が出ていた。亀は水中でも呼吸できるらしい。水中の酸素が不足しているのだろうか。かいぼりで大型の魚が大量に減ったので、以前より酸素が足りないというのも変な話だ。かいぼり前には亀を見かけたことがないので、そもそも以前からいたのかも不明だ。
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