ハリー・ポッターシリーズの映画三作目までおもしろかったが、四作目の「炎のゴブレット」の最後のところで、とうとう犠牲者が出て楽しい映画ではなくなった。
その後、話についていけなくなり、おもしろく感じないので、せっかくテレビ放映されたが、最後まで見る気にならなかった。
ただ、ハリー・ポッターがなぜ生き延びられたか気になるので、本を読むことにした。
三巻目の最後のところの謎ときで、映画を見てよく理解できなかったところが、本を読むとよくわかった。
四巻目の最後の謎ときは、ほとんど推理小説の謎ときのようだ。映画でよく理解できなかったことが良く理解できた。四巻目の分量は、それまでの倍になっていて、最後の謎ときのために、それだけの記述が必要だったことがわかった。
本を読むと確かにおもしろい。それと、気味が悪いものが出てきても、それを見ずにすむところがありがたい。
2014年5月29日木曜日
2014年5月27日火曜日
刑の一部執行猶予
平成26年2月発行の「論究ジュリスト」を読んで、刑の一部執行猶予制度についての法律が去年の6月に成立していたことを知った。
今までの執行猶予は、刑務所にいかずに済むが、一部執行猶予はまず刑務所に入り、残りの部分が猶予される。三年以下の懲役若しくは禁錮、猶予期間が一年以上五年以下、保護観察を付す場合と付さない場合があるのは一回目の全部執行猶予の場合と同じだ。
刑期が三年以下の場合に限られるが、全部執行猶予、一部執行猶予、実刑のどれにするか選択肢が増え、判断が難しくなった。
全部執行猶予の場合は「情状により~その執行を猶予することができる」となっているが、一部執行猶予の場合は「犯情の軽重及び犯人の境遇その他の情状を考慮して、再び犯罪をすることを防ぐために必要であり、かつ、相当であると認められるときは、~その刑の一部の執行を猶予することができる」となっている。
刑期の長さの決定と、全部執行猶予あるいは一部執行猶予の決定を相互に考慮して決めるのか?今までなら執行猶予にする判断と刑期の長さの判断は関連して決めていたと思う。
刑の一部執行猶予の場合は、全体の刑期と猶予しない期間とはどう分けるのか。改めてそもそも刑期の長さは何を考えて決めるのだろうと思ってしまう。
もともと、単純にやってしまった行為と結果に応じて刑期を決めていたわけではなく、更生に必要な期間も考慮していたと思う。更生に必要な期間は刑務所にこれだけ入っていたら更生するだろうという期間と考えていた。更生するのに一年で充分な場合でも犯罪の内容からして三年の刑期にしなければならないという場合に、三年の刑期で二年間の刑期を保護観察に付さずに猶予するというのは、わかる。もっとも、そういう場合は、弁護人は全部執行猶予を主張するように思う。その場合に検察官が一部執行猶予を主張するかどうかはわからない。
逆に更生するのに五年必要だが、軽い犯罪で二年の刑期の言い渡しがせいぜいと言う場合もある。
この場合、一部執行猶予にし、執行猶予を取り消されたら刑務所行きという恐れによって、再び犯罪をすることを防ぐことを狙っているとも考えられる。この場合は、受刑によって更生させられることは最初からあきらめているともいえる。
もちろん、執行猶予中でなくても犯罪を犯せば刑務所に行くことになるから、刑務所行きを恐れて犯罪を起こさないことを期待するのが、一番のねらいではないのかもしれない。
執行猶予の取り消しは、「保護観察に付せられた者が遵守すべき事項を遵守しなかったとき」にも取り消すことができる。再犯の恐れがある場合に実際に罪を犯す前に刑務所に戻すことができるのが一番のねらいかもしれない。
それから、どういう犯罪で何年の刑期にするかはおのずと幅がある。一部執行猶予制度がない場合は二年の実刑にしていた場合に、一部執行猶予制度ができたために、三年の刑期にして一年猶予して実質二年という判断になるのでは?とも思う。
もちろん刑務所を出てからちゃんとした生活を送っていたら、実際に刑務所に入っている期間に変わりがないか短くなる人もいるのだろうが、刑の一部執行猶予は、再犯の可能性が高そうな人が多くの場合対象になるようなので、結果的に刑務所に入っている期間が長くなる人も多いだろう。
弁護人としては、刑務所に実際に入っても更生できず再犯のおそれがありそうな被告人の場合に、結果的に刑務所に入る期間が多くなりそうな一部執行猶予の主張をするのは、ためらうように思う。それに、法律上刑の全部執行猶予の要件を満たす被告人について一部刑の執行猶予の主張をする場合とは、どんな場合か容易に想像がつかない。それとも検察官が主張するのだろうか。
裁判員裁判では検察官の求刑を超える判決がだされることもあるようだ。裁判員裁判が始まった当初は、裁判員は検察官と弁護人の主張を聞いて、なるほどと説得されたことをもとに結論を出すだけだと思っていた。ところが、実際は、双方の主張を参考にして、「自分で」判断するようだ。私自身は、一部執行猶予については、どういう事情をもとにどういう判断が求められているのか容易に理解できない。いろいろなケースを含んでいそうなのも理解を難しくしていると思う。これに仮釈放を絡めればもっと複雑になる。
仮釈放については、理屈の上では、受刑後の話とわりきるしかないが、現実にどういう結果になるかを考える場合は考えないわけにはいかない。
今までの執行猶予は、刑務所にいかずに済むが、一部執行猶予はまず刑務所に入り、残りの部分が猶予される。三年以下の懲役若しくは禁錮、猶予期間が一年以上五年以下、保護観察を付す場合と付さない場合があるのは一回目の全部執行猶予の場合と同じだ。
刑期が三年以下の場合に限られるが、全部執行猶予、一部執行猶予、実刑のどれにするか選択肢が増え、判断が難しくなった。
全部執行猶予の場合は「情状により~その執行を猶予することができる」となっているが、一部執行猶予の場合は「犯情の軽重及び犯人の境遇その他の情状を考慮して、再び犯罪をすることを防ぐために必要であり、かつ、相当であると認められるときは、~その刑の一部の執行を猶予することができる」となっている。
刑期の長さの決定と、全部執行猶予あるいは一部執行猶予の決定を相互に考慮して決めるのか?今までなら執行猶予にする判断と刑期の長さの判断は関連して決めていたと思う。
刑の一部執行猶予の場合は、全体の刑期と猶予しない期間とはどう分けるのか。改めてそもそも刑期の長さは何を考えて決めるのだろうと思ってしまう。
もともと、単純にやってしまった行為と結果に応じて刑期を決めていたわけではなく、更生に必要な期間も考慮していたと思う。更生に必要な期間は刑務所にこれだけ入っていたら更生するだろうという期間と考えていた。更生するのに一年で充分な場合でも犯罪の内容からして三年の刑期にしなければならないという場合に、三年の刑期で二年間の刑期を保護観察に付さずに猶予するというのは、わかる。もっとも、そういう場合は、弁護人は全部執行猶予を主張するように思う。その場合に検察官が一部執行猶予を主張するかどうかはわからない。
逆に更生するのに五年必要だが、軽い犯罪で二年の刑期の言い渡しがせいぜいと言う場合もある。
この場合、一部執行猶予にし、執行猶予を取り消されたら刑務所行きという恐れによって、再び犯罪をすることを防ぐことを狙っているとも考えられる。この場合は、受刑によって更生させられることは最初からあきらめているともいえる。
もちろん、執行猶予中でなくても犯罪を犯せば刑務所に行くことになるから、刑務所行きを恐れて犯罪を起こさないことを期待するのが、一番のねらいではないのかもしれない。
執行猶予の取り消しは、「保護観察に付せられた者が遵守すべき事項を遵守しなかったとき」にも取り消すことができる。再犯の恐れがある場合に実際に罪を犯す前に刑務所に戻すことができるのが一番のねらいかもしれない。
それから、どういう犯罪で何年の刑期にするかはおのずと幅がある。一部執行猶予制度がない場合は二年の実刑にしていた場合に、一部執行猶予制度ができたために、三年の刑期にして一年猶予して実質二年という判断になるのでは?とも思う。
もちろん刑務所を出てからちゃんとした生活を送っていたら、実際に刑務所に入っている期間に変わりがないか短くなる人もいるのだろうが、刑の一部執行猶予は、再犯の可能性が高そうな人が多くの場合対象になるようなので、結果的に刑務所に入っている期間が長くなる人も多いだろう。
弁護人としては、刑務所に実際に入っても更生できず再犯のおそれがありそうな被告人の場合に、結果的に刑務所に入る期間が多くなりそうな一部執行猶予の主張をするのは、ためらうように思う。それに、法律上刑の全部執行猶予の要件を満たす被告人について一部刑の執行猶予の主張をする場合とは、どんな場合か容易に想像がつかない。それとも検察官が主張するのだろうか。
裁判員裁判では検察官の求刑を超える判決がだされることもあるようだ。裁判員裁判が始まった当初は、裁判員は検察官と弁護人の主張を聞いて、なるほどと説得されたことをもとに結論を出すだけだと思っていた。ところが、実際は、双方の主張を参考にして、「自分で」判断するようだ。私自身は、一部執行猶予については、どういう事情をもとにどういう判断が求められているのか容易に理解できない。いろいろなケースを含んでいそうなのも理解を難しくしていると思う。これに仮釈放を絡めればもっと複雑になる。
仮釈放については、理屈の上では、受刑後の話とわりきるしかないが、現実にどういう結果になるかを考える場合は考えないわけにはいかない。
2014年5月24日土曜日
幸福になる義務
常磐緑道のタチアオイが並んでいるところで、近所の人らしい二、三人が立ち話をしていた。
「また、やられた」とピンクの花がついた茎を手にしている。先日、立て札を見たときは、自宅で花を楽しもうとする人が持ち去ったのかと思っていたが、切ったのを捨てていくらしい。
これなら、嫌がらせ目的か腹いせ目的としか思えない。やられる方だけでなくやっている方も気持ちがいいとは思えない。
最近の犯罪動機についての報道によれば、自分が不幸だと他人も不幸にしたくなる人間がいるらしい。自分が幸せになるために他人を犠牲にする犯罪もある。貧しさゆえに他人の物を盗むとか。困ったことだが、理解可能だ。より不幸になるために犯罪をするのは、自分にとっては理解不能だ。表立っては言えない雰囲気だが、刑事事件で被害者家族に裁判で加害者に対しての気持ちを言わせるのも、被害者家族を更に不幸にさせているようにしか思えず、これを被害者保護だという人の気がしれない。
自分が不幸なせいで社会に迷惑をかける人がいるなら、幸せになるのは権利というより社会に対する義務だと思った方がいいかもしれない。
健康を維持するのも、医療費の社会の負担を抑える点から、権利と言うよりは義務になってきているように思う。
自分が不幸だと他人も不幸にする人は、現在の自分よりもっと不幸な人を思い浮かべればいいように思う。余命半年と宣告された人よりは、たいていの人は自分の方が幸せだと思うのじゃないか。
「社会のためになることをしたい」と抱負を語る若者は多い。結果的には、誰もが、社会に認められるような仕事ができるわけではない。でも、積極的に社会のためになることをしなくても、社会の害になることをしないという形で消極的に社会のためになることはできると思う。
病気による死の宣告を本人にするかどうか問題になるときは、絶望感から自殺することを心配するが、処罰を恐れる必要がなくなったので、重罪犯罪を犯すのではないかと心配する人はいないし、現にどうせもう死ぬからと殺人鬼になったりしたとは聞いたことがない。実は、このことも前から不思議に思っている。世間では、死刑制度が必要だと考える人が多い。これは、死刑になることを恐れずに重罪犯罪を犯し、被害者が増えるのを心配しているのではなく、人間の仕返しがしたいという気持ちを大事にしたいからだろうか。これもまた、自分には理解しがたい。
「また、やられた」とピンクの花がついた茎を手にしている。先日、立て札を見たときは、自宅で花を楽しもうとする人が持ち去ったのかと思っていたが、切ったのを捨てていくらしい。
これなら、嫌がらせ目的か腹いせ目的としか思えない。やられる方だけでなくやっている方も気持ちがいいとは思えない。
最近の犯罪動機についての報道によれば、自分が不幸だと他人も不幸にしたくなる人間がいるらしい。自分が幸せになるために他人を犠牲にする犯罪もある。貧しさゆえに他人の物を盗むとか。困ったことだが、理解可能だ。より不幸になるために犯罪をするのは、自分にとっては理解不能だ。表立っては言えない雰囲気だが、刑事事件で被害者家族に裁判で加害者に対しての気持ちを言わせるのも、被害者家族を更に不幸にさせているようにしか思えず、これを被害者保護だという人の気がしれない。
自分が不幸なせいで社会に迷惑をかける人がいるなら、幸せになるのは権利というより社会に対する義務だと思った方がいいかもしれない。
健康を維持するのも、医療費の社会の負担を抑える点から、権利と言うよりは義務になってきているように思う。
自分が不幸だと他人も不幸にする人は、現在の自分よりもっと不幸な人を思い浮かべればいいように思う。余命半年と宣告された人よりは、たいていの人は自分の方が幸せだと思うのじゃないか。
「社会のためになることをしたい」と抱負を語る若者は多い。結果的には、誰もが、社会に認められるような仕事ができるわけではない。でも、積極的に社会のためになることをしなくても、社会の害になることをしないという形で消極的に社会のためになることはできると思う。
病気による死の宣告を本人にするかどうか問題になるときは、絶望感から自殺することを心配するが、処罰を恐れる必要がなくなったので、重罪犯罪を犯すのではないかと心配する人はいないし、現にどうせもう死ぬからと殺人鬼になったりしたとは聞いたことがない。実は、このことも前から不思議に思っている。世間では、死刑制度が必要だと考える人が多い。これは、死刑になることを恐れずに重罪犯罪を犯し、被害者が増えるのを心配しているのではなく、人間の仕返しがしたいという気持ちを大事にしたいからだろうか。これもまた、自分には理解しがたい。
2014年5月23日金曜日
別所沼のかいぼり(亀)
5月23日、広場はごみ以外はすべて片付けられていた。水はまだもとの水準には戻っていないが、もう釣りをしている人がいる。
水の中の緑のシートはまだ残っていて、上に石が乗っていると思ってよく見たら亀だった。別所沼で亀を初めて見た。
もともといたのか?水を抜いている間もいたのか?よそからきたのか?わからない。近くの鴻沼川で亀を見たことがある。そこから地面を歩いてきたのだとすると見かけた人は驚いただろうと思う。
現地で自分の目で観察しても、わからないことはたくさんあるものだ。
水の中の緑のシートはまだ残っていて、上に石が乗っていると思ってよく見たら亀だった。別所沼で亀を初めて見た。
もともといたのか?水を抜いている間もいたのか?よそからきたのか?わからない。近くの鴻沼川で亀を見たことがある。そこから地面を歩いてきたのだとすると見かけた人は驚いただろうと思う。
現地で自分の目で観察しても、わからないことはたくさんあるものだ。
2014年5月20日火曜日
バラントレイの若殿(4)
若殿は戦争に負けて、海賊船にのってアメリカ大陸に逃れ、そこに海賊の財宝を隠してから、フランスに渡る。
フランスからお金を請求してきていたが、突然本人が家に帰る。読者にはその時点で兄の本性がわかっているので、兄がどういう行動に出て弟からできる限りのものを奪い返していくのか、それまでの話と比べ、行動面では地味で退屈になるにも関わらず、俄然スリリングになる。
大人には派手な肉弾戦より地味な神経戦の方がおもしろい。
海賊の宝が出てきて、『宝島』を思い出す。思い出すといっても、子供の頃一度読んだだけで、覚えているのは冒頭の宿屋の部分だけだ。
子供の頃、世間の評判ほどには、おもしろくないと思った。最初のところは、いったいいつになったら宝探しが始まるのだろうかと退屈した。とはいっても、宿に泊まる船員が生み出すおどろおどろした感じは印象に残り、結局その部分をずっと覚えていたのだから、そこのところは面白かったということになるのだろう。
今、改めて読んでみた。最初のところは、思ったほど長い気はしない。宿屋が襲われるところは、読んだ覚えがしてくるし、今読むとおもしろい。そのあとの部分は、まあまあおもしろいと思うが、完全に忘れていた。
一本足の船員が、ワルだが、善人に見えて最初はみんなだまされる。人間的魅力はあって最後まで憎めない感じだ。
女性は悪い男に惹かれるというが、若殿はまさにそんな感じだ。誠実さはないが、場を楽しませ、その人がいないとつまらないという人間がいるが、若殿はそういうタイプだ。弟にとっては疫病神だったが、どうも憎み切れない。
フランスからお金を請求してきていたが、突然本人が家に帰る。読者にはその時点で兄の本性がわかっているので、兄がどういう行動に出て弟からできる限りのものを奪い返していくのか、それまでの話と比べ、行動面では地味で退屈になるにも関わらず、俄然スリリングになる。
大人には派手な肉弾戦より地味な神経戦の方がおもしろい。
海賊の宝が出てきて、『宝島』を思い出す。思い出すといっても、子供の頃一度読んだだけで、覚えているのは冒頭の宿屋の部分だけだ。
子供の頃、世間の評判ほどには、おもしろくないと思った。最初のところは、いったいいつになったら宝探しが始まるのだろうかと退屈した。とはいっても、宿に泊まる船員が生み出すおどろおどろした感じは印象に残り、結局その部分をずっと覚えていたのだから、そこのところは面白かったということになるのだろう。
今、改めて読んでみた。最初のところは、思ったほど長い気はしない。宿屋が襲われるところは、読んだ覚えがしてくるし、今読むとおもしろい。そのあとの部分は、まあまあおもしろいと思うが、完全に忘れていた。
一本足の船員が、ワルだが、善人に見えて最初はみんなだまされる。人間的魅力はあって最後まで憎めない感じだ。
女性は悪い男に惹かれるというが、若殿はまさにそんな感じだ。誠実さはないが、場を楽しませ、その人がいないとつまらないという人間がいるが、若殿はそういうタイプだ。弟にとっては疫病神だったが、どうも憎み切れない。
2014年5月19日月曜日
バラントレイの若殿(3)
若殿(兄)は戦死したと思われたので、弟が領地と称号の継承者になった。
領地は抵当に入り、領地経営はうまくいっていない。弟は兄の婚約者と結婚し、妻の財産で領地を維持する。
弟が兄の婚約者と結婚した後で、フランスに逃れていた兄から使者を介してお金の要求がある。
兄は生きていたものの、戦争は現王の勝利に終わったので、反逆者となった兄がイギリスに戻れなくなった点は変わらないので、兄の地位は復活しない。
兄は遠慮せずに弟にお金を要求するが、もともと自分がすべてを相続するはずだったという思いがあるためらしい。
とはいえ、実は弟の結婚相手のお金であり、弟が領地経営に従事した結果のお金なので、「本来自分のもの」とは言えないだろう。
ここで、「かまどの灰まで」という言葉を思い出す。日本も戦前の長子単独相続の時代なら、兄は弟に対して全部自分のものだという気持ちだったのかもしれない。
兄は、その後も、何度も弟にお金の要求をしてくる。現在でも、兄が家を出て、家業を継いだ弟に、失敗するたびにお金を要求して、弟が縁を切ることもできずに苦しむというテーマの小説はあり得る。
ただ、背景に同じ兄弟でも兄だけが領地も称号(名誉)も受け継ぐという制度がなければ、弟がまるで悪魔にとりつかれるように兄に苦しめられるという状況にはならないように思える。
領地は抵当に入り、領地経営はうまくいっていない。弟は兄の婚約者と結婚し、妻の財産で領地を維持する。
弟が兄の婚約者と結婚した後で、フランスに逃れていた兄から使者を介してお金の要求がある。
兄は生きていたものの、戦争は現王の勝利に終わったので、反逆者となった兄がイギリスに戻れなくなった点は変わらないので、兄の地位は復活しない。
兄は遠慮せずに弟にお金を要求するが、もともと自分がすべてを相続するはずだったという思いがあるためらしい。
とはいえ、実は弟の結婚相手のお金であり、弟が領地経営に従事した結果のお金なので、「本来自分のもの」とは言えないだろう。
ここで、「かまどの灰まで」という言葉を思い出す。日本も戦前の長子単独相続の時代なら、兄は弟に対して全部自分のものだという気持ちだったのかもしれない。
兄は、その後も、何度も弟にお金の要求をしてくる。現在でも、兄が家を出て、家業を継いだ弟に、失敗するたびにお金を要求して、弟が縁を切ることもできずに苦しむというテーマの小説はあり得る。
ただ、背景に同じ兄弟でも兄だけが領地も称号(名誉)も受け継ぐという制度がなければ、弟がまるで悪魔にとりつかれるように兄に苦しめられるという状況にはならないように思える。
2014年5月18日日曜日
別所沼のかいぼり(柵撤去)
2014年5月17日土曜日
バラントレイの若殿(2)
ジャコバイトは、『誘拐されて』で知ったが、『バラントレイの若殿』でも出てくる。
ジャコバン党なら聞いたことがあると思ったが、それならフランス革命でフランスの話になるので、無関係だ。
ジャコバイトの乱は簡単に言うと、「1745年、名誉革命でイギリスを追われたジェイムズ二世の孫のチャーリー王子が王位継承を主張し、亡命先のフランスからイギリスに攻め込み、その際にスコットランドが王位を奪おうとする方に味方した」ということになる。ジェイムズ王(王位を奪おうとする方)対ジョージ王(現王)の対立だ。
『誘拐されて』を読んだ時には、登場人物がどちらの側の人間か混乱してしまった。王対謀反人や王対革命軍ならどっち側かわかりやすいが王対王なのが混乱の原因のように思う。
スコットランドの領主であるデューリー家は、兄弟のうち一人がチャーリー王子の側に参戦し、他方が家に残ることにする。
当主、兄の婚約者、弟は、弟が参戦し、兄が家に残るものと考えたが、兄が我を通して戦争に行く。
日本人には、薔薇戦争(『黒い矢』はこの時代)でもジャコバイトの乱でも誰対誰の争いで、それぞれ味方したのは誰かについてはなじみがない。そのなじみのなさがスティーヴンソンの小説の理解を妨げる。
ただ、イギリス人なら読んですぐに理解できるのかどうかは不明だ。
王対王という点では、日本で言うと南北朝時代のようなものだろうか。どっちが勝ったか思い出せない。結局、足利尊氏にもっていかれたという理解だ。
豊臣家対徳川家も、武将の名を聞いてもどっちの側の人間かは、よくわからない。勝ちそうな方に寝返ったものもいたから余計わからない。状況に合わせて味方する側を変更したところは薔薇戦争も同様のようだ。
ジャコバン党なら聞いたことがあると思ったが、それならフランス革命でフランスの話になるので、無関係だ。
ジャコバイトの乱は簡単に言うと、「1745年、名誉革命でイギリスを追われたジェイムズ二世の孫のチャーリー王子が王位継承を主張し、亡命先のフランスからイギリスに攻め込み、その際にスコットランドが王位を奪おうとする方に味方した」ということになる。ジェイムズ王(王位を奪おうとする方)対ジョージ王(現王)の対立だ。
『誘拐されて』を読んだ時には、登場人物がどちらの側の人間か混乱してしまった。王対謀反人や王対革命軍ならどっち側かわかりやすいが王対王なのが混乱の原因のように思う。
スコットランドの領主であるデューリー家は、兄弟のうち一人がチャーリー王子の側に参戦し、他方が家に残ることにする。
当主、兄の婚約者、弟は、弟が参戦し、兄が家に残るものと考えたが、兄が我を通して戦争に行く。
日本人には、薔薇戦争(『黒い矢』はこの時代)でもジャコバイトの乱でも誰対誰の争いで、それぞれ味方したのは誰かについてはなじみがない。そのなじみのなさがスティーヴンソンの小説の理解を妨げる。
ただ、イギリス人なら読んですぐに理解できるのかどうかは不明だ。
王対王という点では、日本で言うと南北朝時代のようなものだろうか。どっちが勝ったか思い出せない。結局、足利尊氏にもっていかれたという理解だ。
豊臣家対徳川家も、武将の名を聞いてもどっちの側の人間かは、よくわからない。勝ちそうな方に寝返ったものもいたから余計わからない。状況に合わせて味方する側を変更したところは薔薇戦争も同様のようだ。
2014年5月16日金曜日
バラントレイの若殿
スティーヴンソン作、題名から想像する内容にいい意味で裏切られる。
主人公がバラントレイの若殿で、さわやかで魅力的な人物が活躍する話の予感がする。
確かに魅力的な人物だが、まじめな善人が退屈でつまらない人間と思われるのと裏返しの魅力だ。
戦死したと思われた兄が突然帰ってくる。既に弟が兄の婚約者と結婚した後だ。
この兄がこれからどうするのか、先の展開に期待が高まる。
文学作品としておもしろく、作者の代表作になっていないのが不思議だ。
主人公がバラントレイの若殿で、さわやかで魅力的な人物が活躍する話の予感がする。
確かに魅力的な人物だが、まじめな善人が退屈でつまらない人間と思われるのと裏返しの魅力だ。
戦死したと思われた兄が突然帰ってくる。既に弟が兄の婚約者と結婚した後だ。
この兄がこれからどうするのか、先の展開に期待が高まる。
文学作品としておもしろく、作者の代表作になっていないのが不思議だ。
2014年5月14日水曜日
別所沼のかいぼり(魚の放流)
5月14日、青いシートの上に白いシートが重ねられている。魚が入った箱の壁の上に網をもった男性が数人いる。
網で魚をすくって、水を張ったタライに入れ、台車でタライをシートの脇まで運び、待機していた人が手で魚をつかんでシートの上に滑らせると、二、三度跳ね上がりながら魚が沼に飛び込んでいく。
手で魚を持った時に「ハイ、フナ。ハイ、フナ」と言うのを横で書きとめている人がいる。二、三十センチくらいの魚はフナが多いようだ。捕まえているときにフナも見たのかもしれないが、鯉のぼりのせいか、フナよりコイの方を先に思いつく。
少し離れて見物人によく見えるようにタライがいくつか置かれている。見ると錦鯉がいた。ほかにもフナでもコイでもないらしい魚がいる。
珍しいのを取り分けておいて、最後にどうするのかはわからない。
網で魚をすくって、水を張ったタライに入れ、台車でタライをシートの脇まで運び、待機していた人が手で魚をつかんでシートの上に滑らせると、二、三度跳ね上がりながら魚が沼に飛び込んでいく。
手で魚を持った時に「ハイ、フナ。ハイ、フナ」と言うのを横で書きとめている人がいる。二、三十センチくらいの魚はフナが多いようだ。捕まえているときにフナも見たのかもしれないが、鯉のぼりのせいか、フナよりコイの方を先に思いつく。
少し離れて見物人によく見えるようにタライがいくつか置かれている。見ると錦鯉がいた。ほかにもフナでもコイでもないらしい魚がいる。
珍しいのを取り分けておいて、最後にどうするのかはわからない。
2014年5月13日火曜日
別所沼のかいぼり(魚の放流予定)
5月13日、魚飼育施設を囲む塀に魚放流予定日が書かれた紙が貼ってあった。
5月14日から5月16日、予定より早く終わることもあるらしい。時間は9:00から16:00。
水位は元の位置まで戻ってはいないが、このまま水を注いで終了するようだ。
橋の方も床板を一部はがしていたが、元に戻されている。
岸から水面に向けて、幅2メートルほどの青いシートで滑り台のようなものが設置されている。多分この上に魚を流して沼に戻すのだろう。
5月14日から5月16日、予定より早く終わることもあるらしい。時間は9:00から16:00。
水位は元の位置まで戻ってはいないが、このまま水を注いで終了するようだ。
橋の方も床板を一部はがしていたが、元に戻されている。
岸から水面に向けて、幅2メートルほどの青いシートで滑り台のようなものが設置されている。多分この上に魚を流して沼に戻すのだろう。
2014年5月9日金曜日
太陽の帝国(5)
366頁にアメリカ軍が飛行機で投下した箱の中身が書かれている。
豚肉やミルクなどのはいった「スパム」「クリム」「ネスカフェ」といった缶詰、棒チョコレート、セロファンにつつまれた「ラッキー・ストライク」や「チェスター・フィールド」などの煙草の箱、さらには『リーダーズ・ダイジェスト』や『ライフ』といった雑誌、『タイムズ』や『サタディ・イブニング・ポスト』などの新聞の束もある。
スパムでスパムメールを思い浮かべたが、検索してみて、スパムの缶詰がスパムメールの語源だとわかった。
クリムの方はヒットしなかったが、ミルクの粉末が入った缶詰だと思う。クリームから名付けられたのだろう。ネスカフェがコーヒーなのは、他の記述を読んだり調べたりするまでもなく、すぐにわかった。
野菜の缶詰はなかったのかと思う。今の感覚だとあまり健康によくないように思う。
豚肉やミルクなどのはいった「スパム」「クリム」「ネスカフェ」といった缶詰、棒チョコレート、セロファンにつつまれた「ラッキー・ストライク」や「チェスター・フィールド」などの煙草の箱、さらには『リーダーズ・ダイジェスト』や『ライフ』といった雑誌、『タイムズ』や『サタディ・イブニング・ポスト』などの新聞の束もある。
スパムでスパムメールを思い浮かべたが、検索してみて、スパムの缶詰がスパムメールの語源だとわかった。
クリムの方はヒットしなかったが、ミルクの粉末が入った缶詰だと思う。クリームから名付けられたのだろう。ネスカフェがコーヒーなのは、他の記述を読んだり調べたりするまでもなく、すぐにわかった。
野菜の缶詰はなかったのかと思う。今の感覚だとあまり健康によくないように思う。
2014年5月8日木曜日
花盗人
子供の頃「花盗人は罪にならない」と聞いた。風流の範囲内なら許されるのだろうが、他人の花壇や公園の花壇の花なら、ダメなのははっきりしていると思う。迷うのは道端の雑草だ。
子供の頃タンポポやシロツメクサで花の冠を作ったが、花の命を縮めるということ以外に悪いことだという意識は全くなかった。
雑草といっても花の美しさで劣るわけではない。ありふれているか、人の手をかけているかで決まるように思う。札幌に住んでいた時にタンポポがあまりに大輪で、ガーベラより豪華なので、近くの空き地に咲いているのを持ってきたことがある。持ってきたらだめなものとは思わなかったが、花屋に払うお金を惜しんでいるように思われそうで、人目のない早朝にもってこようとしたら、犬を散歩させる人で昼間より人の目が多く、更に早朝に出なおした。
常盤緑道にタチアオイが綺麗に咲くところがある。今(5月8日)は蕾がたくさんできている。その場所に注意書きがあった。もうすぐ花がきれいに咲くので、いじめないでね、という内容だ。葉をちぎったり茎を折って踏みにじったりして荒す人がいるものだろうか、と思ったら、花めをもっていかないでという注意書きもあり、家に飾るために持って行くのだと気付いた。よく見ると先っぽがない茎もあり、切り口が綺麗なので、手でちぎったのではなくハサミで切ったものだろう。まさに咲いているのを目にして衝動的に折ったのではなく、計画的犯行だ。それをした人は道端の雑草の感覚だったのかもしれない。
田島緑地の桜草は、持っていったらダメなのははっきりしている。もっとも、江戸時代なら微妙だ。
見沼代用水路沿いのヤブカンゾウも、だめだろう。平安時代ならわからない。ヒメジョン(ハルジオンかもしれない)は、持っていってもいいような気がする。用水路脇の案内板を見ると外来種でむしろ悪者扱いになっている。
子供の頃タンポポやシロツメクサで花の冠を作ったが、花の命を縮めるということ以外に悪いことだという意識は全くなかった。
雑草といっても花の美しさで劣るわけではない。ありふれているか、人の手をかけているかで決まるように思う。札幌に住んでいた時にタンポポがあまりに大輪で、ガーベラより豪華なので、近くの空き地に咲いているのを持ってきたことがある。持ってきたらだめなものとは思わなかったが、花屋に払うお金を惜しんでいるように思われそうで、人目のない早朝にもってこようとしたら、犬を散歩させる人で昼間より人の目が多く、更に早朝に出なおした。
常盤緑道にタチアオイが綺麗に咲くところがある。今(5月8日)は蕾がたくさんできている。その場所に注意書きがあった。もうすぐ花がきれいに咲くので、いじめないでね、という内容だ。葉をちぎったり茎を折って踏みにじったりして荒す人がいるものだろうか、と思ったら、花めをもっていかないでという注意書きもあり、家に飾るために持って行くのだと気付いた。よく見ると先っぽがない茎もあり、切り口が綺麗なので、手でちぎったのではなくハサミで切ったものだろう。まさに咲いているのを目にして衝動的に折ったのではなく、計画的犯行だ。それをした人は道端の雑草の感覚だったのかもしれない。
田島緑地の桜草は、持っていったらダメなのははっきりしている。もっとも、江戸時代なら微妙だ。
見沼代用水路沿いのヤブカンゾウも、だめだろう。平安時代ならわからない。ヒメジョン(ハルジオンかもしれない)は、持っていってもいいような気がする。用水路脇の案内板を見ると外来種でむしろ悪者扱いになっている。
2014年5月6日火曜日
太陽の帝国(4)
CDには反戦映画と紹介されている。子供の頃、第二次世界大戦の時の厳しい食料事情や生活水準の低下を描くと、またそういう経験をしたくないと思わせることで、戦争が起こることを防ぐのに効果があると思っていた。最近は、そのことについて疑問を感じている。今、戦争が起きたとしても、その戦争によって第二次世界大戦時において経験した苦難と同じ苦難が起こるのか疑問に思うからだ。
捕虜収容所の生活は、「脚気とマラリヤで死ぬ」(231頁)、「粗びきの小麦とサツマイモのはいったバケツから湯気が立ち上り」(232頁)、「収容所内の池から汲んできた少しばかり塩気のある水を煮沸」「骨を折って湯を沸かすよりも、慢性の下痢に罹っている方を選んだ」(212頁)というようなものだ。
この貧しさが戦争の結果であるかは疑問だ。アガサ・クリスティの自伝を読むと第二次世界大戦が終わって軍務から戻った夫と再会した時には、二人とも戦争前よりも太っていたとある。アメリカとイギリスが豊かで中国と日本が貧しかったということではないのか。貧しさは戦争の結果ではなく原因だったのだと思う。戦争が終わってアメリカ軍が飛行機で食料を落とす。脂肪たっぷりのミルクの粉末、缶詰に入ったハム、チョコレート、戦争は相手がなければできない。アメリカも四年間戦争していたはずだ。
豊かになるために戦争を始めたのだとしたら、戦争に負けたにも関わらず豊さを実現したように思う。戦争せずに戦争の目的は実現できたことになる。
今は、むしろ貧しくて戦争を始めた方の側の失敗ではなく、他国より経済的に優位にたっていて戦争を回避できなかった国の失敗に学んだ方がよいように思う。
本を読んでも映画を見ても、思うのは戦争の悲惨さよりもイギリスとアメリカに対して、どうしてこうも中国は貧しいのかということ。
小説のはじめと終りに川を流れる棺が出てくる。以下が小説の最後の文章。
「アメリカの巡洋艦の水兵たちを乗せた揚陸艇の立てる波に洗われて、紙の花が揺れて散らばる。それは波にたゆたいながら、花環のように棺を取り囲んだ。その棺はこれから揚子江の河口までの長い旅路に出るのだが、自然と内陸にはいってくる潮流によって、埠頭や干潟へと戻ってくるだけなのだ。この恐るべき都市の川岸へ再び押し返されるだけなのだ。」
これが、バラードの世界だ。
捕虜収容所の生活は、「脚気とマラリヤで死ぬ」(231頁)、「粗びきの小麦とサツマイモのはいったバケツから湯気が立ち上り」(232頁)、「収容所内の池から汲んできた少しばかり塩気のある水を煮沸」「骨を折って湯を沸かすよりも、慢性の下痢に罹っている方を選んだ」(212頁)というようなものだ。
この貧しさが戦争の結果であるかは疑問だ。アガサ・クリスティの自伝を読むと第二次世界大戦が終わって軍務から戻った夫と再会した時には、二人とも戦争前よりも太っていたとある。アメリカとイギリスが豊かで中国と日本が貧しかったということではないのか。貧しさは戦争の結果ではなく原因だったのだと思う。戦争が終わってアメリカ軍が飛行機で食料を落とす。脂肪たっぷりのミルクの粉末、缶詰に入ったハム、チョコレート、戦争は相手がなければできない。アメリカも四年間戦争していたはずだ。
豊かになるために戦争を始めたのだとしたら、戦争に負けたにも関わらず豊さを実現したように思う。戦争せずに戦争の目的は実現できたことになる。
今は、むしろ貧しくて戦争を始めた方の側の失敗ではなく、他国より経済的に優位にたっていて戦争を回避できなかった国の失敗に学んだ方がよいように思う。
本を読んでも映画を見ても、思うのは戦争の悲惨さよりもイギリスとアメリカに対して、どうしてこうも中国は貧しいのかということ。
小説のはじめと終りに川を流れる棺が出てくる。以下が小説の最後の文章。
「アメリカの巡洋艦の水兵たちを乗せた揚陸艇の立てる波に洗われて、紙の花が揺れて散らばる。それは波にたゆたいながら、花環のように棺を取り囲んだ。その棺はこれから揚子江の河口までの長い旅路に出るのだが、自然と内陸にはいってくる潮流によって、埠頭や干潟へと戻ってくるだけなのだ。この恐るべき都市の川岸へ再び押し返されるだけなのだ。」
これが、バラードの世界だ。
2014年5月5日月曜日
太陽の帝国(3)
スピルバーグ監督映画の割には知名度が低いように思う。主演の少年が大人になって俳優として成功したか気になってネットでみたら、有名な俳優のようだ。役作りのために肉体を変化させることが話題になっているようだが、この作品でも食料事情のせいで最後はかなりやつれ、最初と最後とで演じている少年が交代したのかと思ったくらいの変わりようだ。
あまり有名な作品にならなかったのは、原作者のバラードに原因があるように思う。バラードがつくりだす世界と映画を見る人間の期待との間にずれがあるのだろう。
映画を見る人は、日本人もイギリス人も同じ人間だから敵味方を超えたなんらかの温かい心の交流というヒューマニズムを期待したり、あるいは、日本軍に対抗して捕虜同志助け合うとか知恵と勇気を発揮して苦難を乗り越えるなどの冒険やスリルやヒーローの活躍などを期待するだろう。または、戦争の悲惨さや残酷さで心を痛めたいのかもしれない。
しかし、バロウズの小説には特別な悪人も善人も出てこないし、特別な悪行も善行もなされない。現実の世界に生きている普通の人の普通の行為しかない。「太平洋戦争時の上海と上海近郊の日本軍の捕虜収容所」という特異な設定から生じる特別なこと以外に特別なことは起こらない。
作られたストーリーの面白さや退屈な現実生活で味わえないような感情を期待するとがっかりするだろう。
そういう意味では通俗的なものやセンチメンタルなものが嫌いな人向けだ。
映画の中の日本人の少年(後に少年兵)との心の交流や劇的で皮肉な少年兵の死は原作にはない(マンゴーをもらうところや少年兵の死はある)。空腹のときにへたに少し食べると余計にお腹が減るが、こういう映画にありがちなエピソードのおかげで、この路線でもっと感動的なものが見られるのではと期待させて肩すかしに終わっている。何を描きたい映画か見る者を惑わせるだけのように思う。原作の雰囲気が好きな人には、余計な脚色だろう。
あまり有名な作品にならなかったのは、原作者のバラードに原因があるように思う。バラードがつくりだす世界と映画を見る人間の期待との間にずれがあるのだろう。
映画を見る人は、日本人もイギリス人も同じ人間だから敵味方を超えたなんらかの温かい心の交流というヒューマニズムを期待したり、あるいは、日本軍に対抗して捕虜同志助け合うとか知恵と勇気を発揮して苦難を乗り越えるなどの冒険やスリルやヒーローの活躍などを期待するだろう。または、戦争の悲惨さや残酷さで心を痛めたいのかもしれない。
しかし、バロウズの小説には特別な悪人も善人も出てこないし、特別な悪行も善行もなされない。現実の世界に生きている普通の人の普通の行為しかない。「太平洋戦争時の上海と上海近郊の日本軍の捕虜収容所」という特異な設定から生じる特別なこと以外に特別なことは起こらない。
作られたストーリーの面白さや退屈な現実生活で味わえないような感情を期待するとがっかりするだろう。
そういう意味では通俗的なものやセンチメンタルなものが嫌いな人向けだ。
映画の中の日本人の少年(後に少年兵)との心の交流や劇的で皮肉な少年兵の死は原作にはない(マンゴーをもらうところや少年兵の死はある)。空腹のときにへたに少し食べると余計にお腹が減るが、こういう映画にありがちなエピソードのおかげで、この路線でもっと感動的なものが見られるのではと期待させて肩すかしに終わっている。何を描きたい映画か見る者を惑わせるだけのように思う。原作の雰囲気が好きな人には、余計な脚色だろう。
2014年5月4日日曜日
太陽の帝国(2)
監督が有名なのにも関わらず、映画が上映された当時の記憶が全くなかった。
CDを見て、一番印象的な絵が、主人公が自宅に戻った時に、宿舎として使用していた日本兵が家から出てきたところだ。
小説でいうと132頁「そのとき人影がふたつ、玄関のポーチから歩み寄ってきた。白い衣を着て、腕から長い袖をたなびかせている。ジムは家に戻ってきていた母親が、客のひとりを見送っているところに違いないと思った。」「そして人影は、軍用キモノをはおった非番の日本軍兵士であることがわかった。」「キモノ姿の日本人が、風呂上がりを襲われた女性の一団のごとく、家から駆け出てくる。」
中から出てきた人間の白くて薄い衣の後ろから光が射して身体が透けて見える。ナイトガウンをまとった女性と思った瞬間、身体が男性で坊主頭であることに気付き、どきっとすると同時にぎょっとした。
主人公はアメリカ人の男性二人とトラックできていたが、家の中から出てきた白いキモノを着た大勢の男性に襲われる。長い袖をたなびかせてトラックを襲う姿も異様だ。
後からだんだんとその光景を見たことがあるような気がしてきた。テレビで映画のCMを流すが、それで見たのではないかと思う。確認することができないのが残念だ。
主人公は中国人に襲われ、助けてもらったアメリカ人にも邪魔にされ、生きていくには日本軍の庇護を受けるしかないと思い、日本軍に降伏して両親が収容されているはずの捕虜収容所に送られることを望んでいたのが、ここでようやっと願いがかなう。
CDを見て、一番印象的な絵が、主人公が自宅に戻った時に、宿舎として使用していた日本兵が家から出てきたところだ。
小説でいうと132頁「そのとき人影がふたつ、玄関のポーチから歩み寄ってきた。白い衣を着て、腕から長い袖をたなびかせている。ジムは家に戻ってきていた母親が、客のひとりを見送っているところに違いないと思った。」「そして人影は、軍用キモノをはおった非番の日本軍兵士であることがわかった。」「キモノ姿の日本人が、風呂上がりを襲われた女性の一団のごとく、家から駆け出てくる。」
中から出てきた人間の白くて薄い衣の後ろから光が射して身体が透けて見える。ナイトガウンをまとった女性と思った瞬間、身体が男性で坊主頭であることに気付き、どきっとすると同時にぎょっとした。
主人公はアメリカ人の男性二人とトラックできていたが、家の中から出てきた白いキモノを着た大勢の男性に襲われる。長い袖をたなびかせてトラックを襲う姿も異様だ。
後からだんだんとその光景を見たことがあるような気がしてきた。テレビで映画のCMを流すが、それで見たのではないかと思う。確認することができないのが残念だ。
主人公は中国人に襲われ、助けてもらったアメリカ人にも邪魔にされ、生きていくには日本軍の庇護を受けるしかないと思い、日本軍に降伏して両親が収容されているはずの捕虜収容所に送られることを望んでいたのが、ここでようやっと願いがかなう。
2014年5月3日土曜日
太陽の帝国
バラード作、SF作家として有名だと思っていたが、『太陽の帝国』はSFではない。スピルバーグ監督の映画があるのを知り、映画のCDと原作を両方借りた。
映画と小説、どちらを先に読むか迷う。小説を読んでいる途中で映画を見る。小説は11歳の少年の視点から書かれているので、主人公の少年にわからないことは読者にもわからない。
主人公は上海に住むイギリス人の少年だ。父親は裕福で中国人の使用人を使い、プールのある家に住んでいる。
主人公は、上海市内のホテルに泊まっていて、早朝、日本軍の軍艦がイギリス軍の軍艦に攻撃を仕掛けるのを見る。自宅があるのにホテルに泊まっている理由がわからない。映画を見て、事情がわかる。
太平洋戦争でのハワイの真珠湾攻撃は知っていたが、同時期に他の場所で日本軍による攻撃があっても不思議ではないのに、そのことについて何も知らなかったことに気付いた。
日本の軍艦は最初にアメリカの軍艦に呼びかける。
47頁「日本軍の将校もその水しぶきには構わず、メガホンを通してウェイク号に何か呼びかけた。
ジムは窓ガラスに手のひらを叩きつけては、ひとりで大笑いをした。上海の人間なら誰でも知っていることだが、アメリカ軍の将校は誰ひとりウェイク号には乗っていないのだ。全員パーク・ホテルの各自の部屋でぐっすり眠りこけているだろう。案の定、船首楼から出て来たのは下着姿の中国人の乗組員だった。」
日本軍の戦艦は、「イギリスで建造され、日露戦争のさなか一九〇五年に日本に売り渡される前はイギリス海軍で使われていた」46頁。
イギリス軍の将校はホテルではなく船に寝泊まりしている。やっぱりこのころはもうイギリスよりアメリカの方が金持ちなんだなぁと思う。そして日本はイギリスのお古を使い、中国人は自国で他国の使用人になっている。最初の数頁で各国の力関係がよくわかる。
映画と小説、どちらを先に読むか迷う。小説を読んでいる途中で映画を見る。小説は11歳の少年の視点から書かれているので、主人公の少年にわからないことは読者にもわからない。
主人公は上海に住むイギリス人の少年だ。父親は裕福で中国人の使用人を使い、プールのある家に住んでいる。
主人公は、上海市内のホテルに泊まっていて、早朝、日本軍の軍艦がイギリス軍の軍艦に攻撃を仕掛けるのを見る。自宅があるのにホテルに泊まっている理由がわからない。映画を見て、事情がわかる。
太平洋戦争でのハワイの真珠湾攻撃は知っていたが、同時期に他の場所で日本軍による攻撃があっても不思議ではないのに、そのことについて何も知らなかったことに気付いた。
日本の軍艦は最初にアメリカの軍艦に呼びかける。
47頁「日本軍の将校もその水しぶきには構わず、メガホンを通してウェイク号に何か呼びかけた。
ジムは窓ガラスに手のひらを叩きつけては、ひとりで大笑いをした。上海の人間なら誰でも知っていることだが、アメリカ軍の将校は誰ひとりウェイク号には乗っていないのだ。全員パーク・ホテルの各自の部屋でぐっすり眠りこけているだろう。案の定、船首楼から出て来たのは下着姿の中国人の乗組員だった。」
日本軍の戦艦は、「イギリスで建造され、日露戦争のさなか一九〇五年に日本に売り渡される前はイギリス海軍で使われていた」46頁。
イギリス軍の将校はホテルではなく船に寝泊まりしている。やっぱりこのころはもうイギリスよりアメリカの方が金持ちなんだなぁと思う。そして日本はイギリスのお古を使い、中国人は自国で他国の使用人になっている。最初の数頁で各国の力関係がよくわかる。
2014年5月2日金曜日
別所沼のかいぼり(水面)
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