2015年5月17日日曜日

秩父往還道

 テレビで秩父往還道を歩きとおすという番組の予告を見てかなり期待して見た。というのは、かねてから秩父の山の中を通って埼玉から山梨に歩いて抜けることが可能か疑問に思っていたからだ。地図を見ると現在ではトンネルを通る自動車道があることがわかるが、このトンネルは歩いて抜けられるようには見えず、登山上級者でない普通の人が歩けるような道路も見当たらないからだ。
 結果、番組ではトンネル内は通りかかった自動車に乗せてもらって通った。放送内の説明では、歩いて越す道はあるが、早朝出発しなければならず、雪がまだ残っていたので、この時の状況では歩いて越すことはやっぱり不可能だったようだ。
 自動車が通るようになったら、宿を利用する人もいなくなり、道も整備されなくなるだろうから、現在歩ける街道はなくなったと考えるしかないようだ。
 科学技術の進歩のせいで、逆に不便になることがあるとかねがね思っていた。
 道路の関係では高速道路の開通のせいで、高速道路と交差する道路が通り抜けられなくなったという点がある。
 見沼代用水東縁から埼玉スタジアムに自転車で行こうとして何度か試行錯誤してしまった。
 ラジオで5月17日に南部領辻獅子舞があると聞き見に行きたかったが、ばら祭りの吉武大地の歌の方を優先してしまった。ラジオで交通機関については、どこどこに問い合わせてくれということで説明がなかった。
 最近自分で近くの見沼自然公園に歩いて行った経験では、日光御成道沿いのバス停で大宮駅行きと東浦和駅行きの路線バスが利用できるのでこれを利用するのがいいように思った。
 ただ、インターネットを見ていたら埼玉高速鉄道を利用して来てくださいとあった。これは、東京方面から来る人を考えているのだろうか。浦和美園駅からもバス路線はあるようだが、歩こうとしたら、どこで高速を超すのか迷いそうだ。
 以前、庚申塔を探して歩いた時、なかなか場所が見つからず、南部領辻獅子舞が各家を回って歩く動画を見ていて場所がわかったことがあった。
 
 
 現在でも庚申塔の場所を知っていると、道を歩く時の目印として役にたつことがある。
 

与野公園バラ祭り

 例年通り吉武大地さんが歌うということで聞きに行った。
 そこで配られたコンサートのチラシを見て、この場所は見たことがあると思ったら、さいたま芸術劇場のガレリアだった。
 ただ、立っているだけなのにカッコイイ。立っている人間がかっこいいのか、来ているチョッキがかっこいいのか、場所がかっこいいのか、その比率の判断は難しい。
 ちなみにその場所を自分で写したことがあるので、それをアップする。
 
 奥に見える人影は無関係の人間で、チラシでは堂々と中央に立っている。
 
 
 


2015年5月11日月曜日

テープレコーダー

 久しぶりにテープレコーダーを使ってみようとしたら、壊れているのに気付いた。
 新しいレコーダーを買う気になれないので、持っているテープでCDで買いかえることができないものがないかチェックしてみた。
 ひとつだけCDを買えそうにないものがあった。ヤン・スギョンの「愛されてセレナーデ」だ。ドラマの主題歌が気にいって買ったものだ。ラジオでもテレビでもこの曲が流れているのを全く聞くことがない。
 試しにネットで検索したらたくさんヒットした。久しぶりに聞いた。ドラマはところどころしか見ていなかったので、今度はドラマの内容が気になった。
 本がないか調べたら市立図書館にちゃんとあったので借りてみることにした。
 どうして、テープレコーダーを使ってみる気になったかといえば、ミュージックフェアーの予告で郷ひろみが「よろしく哀愁」を歌うと聞いたので、録画して、その曲だけテープに録音してエンドレスで聞けるようにしようと思ったからだ。最初に発売した時の歌はCDで聞けるが、自分が聞きたいのは40代の郷ひろみが歌っている歌だ。以前テープに録音したが、暗い所で聞いたので間違えて録音のボタンを押してしまい、途中無音にしてしまった。
 こちらの方もネットで聞けるのではないかと思ったら、最初の発売時の歌以外もヒットした。探してみるものだ。
 水谷豊の「カリフォルニアコレクション」も好きで、若い時の歌と最近の歌と両方CDで持っている。どちらもそれぞれいいが、自分の好みとしては若い時の方が好きだ。
 死んだ人に会えないのは当たり前だが、生きていても若い時のその人にはやっぱり二度と会えない。自分は「同窓会には出ない派」だが、自分の会いたい人にはもう二度と会えないことを実感するのがいやなせいだ。

2015年5月5日火曜日

抽象的納税義務

 平成26年度の「重要判例解説」の租税法5の結末の「本件判決の上記判示は、抽象的納税義務が成立していない納税義務者に対して遡及的に具体的納税義務を確定させる結果を導くものであり、現行実定租税法規の解釈として、上記租税法学の通説的理解と相容れるものではないことから、首肯することができない。」という解説を読んで、頭を傾げてしまった。
 確かにカッコ書きの理屈はその通りだと思うが、このケースは、賦課期日の時点において抽象的納税義務があるように思えたので、こういう判決の理解でよいのかと思った。
 解説を読むと最高裁の理屈に反対しているだけか、結論にも反対しているのかよくわからない。
 このケースは、平成21年12月7日に新築し、所有権を取得した家屋に対して、平成22年12月1日付で固定資産税が課税されたというものだ。固定資産税の賦課期日(1月1日)の時点で、新築家屋の所有者が登記されておらず、家屋補充課税台帳にも登録されていなかったことが問題となった。
 解説者は、最高裁が、賦課期日に登記登録されていなければ、抽象的納税義務が生じないと判示したと解釈したようだ。そう思って読むと確かにそう書いているようにみえる。
 でも、普通の人なら、賦課期日に家屋を所有していたら抽象的納税義務はあると考えるのではないだろうか。
 たまたま、市の把握が遅れ、もう今年は課税されないだろうと思うころに納税通知書がきたので「なんだ?!」となっただけで、通常の課税時期に納税通知書が出された分で、1月1日の時点で登記登録されていなかった家屋はたくさんあり、それが問題にもされていなかったと思う。
 年末ぎりぎりに完成したら、登記がその年中にできないのは普通だし、役所が年末の休みに入って完成したら1月1日に役所に登庁して台帳に登録することなど考えられない。
 理屈の上では、定期課税の時期に課税しようが、それに遅れて課税しようが同じ話のはずだ。
 このケースは結論は明らかで、どう理屈づけるかの問題だと思うが、その点で、高裁の裁判官が課税を取り消したのは、何を考えていたのか理解できない。
 おかしな高裁判決が先にあったので、最高裁の理屈も変な方に向いたのではないかと思う。最高裁の結論部分だけを読むと当然のことが明瞭に書かれている。
 

 後でジュリスト5月号を読み、同じ判決について書かれていることに気づいた。
 そこでは、課税できない場合の実務上の問題点と結論の弊害が書かれ、最高裁が従来からの課税実務を支持していると締めくくっている。
 結局、法律の作り方がまずいので、理屈で考えるとおかしな結論になるということだろう。
 破産宣告を受けて破産手続き中に発生する法人道民税の均等割についてもすっきりしない問題があった(会社法の制定で事情がかわったようだ)。これは、法律が破産手続き中の会社について何も手当していないせいだと思っていた。
 法人税や所得税の国税の方は、詳しく定めすぎて法律を読んだだけでは内容がよくわからず、地方税の方は定めが簡単でわかりやすいが、法律で対応できない場合が多々発生するという印象だ。
 このように国税の法律は玄人がつくり地方税は素人がつくっているような印象になるのは、国税の方は扱っている行政庁の担当者が税のプロなのに、地方税の方は、地方はともかく国の方の担当は税の担当者ではなく地方行政の担当者だからではないかと、勝手に考えている。これこそ素人の勘違いかもしれないが。
 縦割りの弊害というが、地方税については、この縦の線がすっきり一本になっていない方が問題だ。
 市町村が国法の内容について疑問がある場合は、都道府県の担当者を介して国の担当者に質問することになるが、その時の都道府県の担当者は都道府県の税を担当している人ではなく市町村行政を担当している人になる。仮に都道府県の税の担当者に話をするとしても市町村と都道府県で課税する税目は一致しないので、話を聞ける人がいないことになる。
 市町村と都道府県の税の関係者で同じことを自分の担当として実務をしているのは、国税徴収法に関係することや、課税関係では固定資産税及び不動産取得税の新築家屋の評価や法人の均等割についてなど一部の点だけになる。
 法律を実際に適用しておこる問題を解決するのに役立つように作っていくには、法律を作る人が実務を知っていなければならないが、自ら実務を経験せず、実務を担当している人の声が充分に届かない仕組みのもとで作っているのなら、充分な法律をつくるのは難しいと思う。

2015年4月29日水曜日

気づいたこと

 いつもの散歩コースと違うところを歩いてみた。
 普通の一軒家の玄関前にゴミが山と積まれていた。ゴミ袋のようなビニール袋、プラスチック衣装ケース、自転車が無秩序に積まれているので、ゴミと判断した。テレビでよく見かけるゴミ屋敷のようだ。ただ、住宅が新しく、空家の荷物を出して片付ける途中のようにも見える。
 家の前に引っ越し用のトラックが止まっていて、ゴミを運び出すところかと思ったら、別の方向から普通の引っ越し用の段ボールを持ってきて積んでいる。たまたま駐車していただけのようだ。
 少し離れたところにある個人商店の前に店主らしい初老の男性が道に立って眺めている。
 ようやっと、ゴミが片付けられると思って、見ているのだろうか。事情がわからず「もやもや」する。
 与野駅東口から伸びている昔からの商店がところどころ残っている道路なので、「さまぁーず」にぶらぶら歩いてもらってかわりに聞いて欲しい。
 与野駅西口の交差点のところで、歩道上に「シェア畑」の広告を見つけた。工事中の場所によく見かけるプラスチックの円錐形のものに、クリアケースに挟んだチラシをてっぺんにかぶせ、チラシを入れた透明の箱を横腹に付けている。
 三週間ぐらい前に近所のゴミ集積所に出現したのと同じものだ。よく見ると、設置期限らしく5/11と書かれている。
 近所のゴミ集積所に置かれたものは、ゴミとして回収されることもなく、だれがどういうつもりで置いたのか不思議に思っていた。
 帰ってきて改めて見ると「4/29」と書かれている。今日だ。明日撤去されているのだろうか。わざわざここに置いたのか、誰かが勝手に動かしたのか気になる。
 それにしても、ゴミ収集の人は、これがゴミとして出されたものではないことが、すぐにわかったのか、よくわかったなぁと思う。
 

2015年4月17日金曜日

布ぞうり

 新都心のけやき広場でおやつを食べてから帰ろうとして、「布ぞうり」を売っているのを見かけた。「2500円」の値がついているのを見て、母親になんだか申し訳ないような気がした。
 というのは、以前母親からわらじの作り方を教えてもらったので、そのやり方で端切れを使ってつくったからと、半強制的にもらったものと同じようなものだったからだ。
 どういうふうに使ったらいいのかよくわからず、少しもてあましていたので、2500円も値がつくような物をもらっていながら、軽んじていて申し訳ない。
 これで外を歩いたら変な目で見られないかとためらっていたが、同じような物が売られているのを見たので、安心して履いて歩けそうだ。

2015年4月14日火曜日

耳袋秘帖

 江戸時代を舞台にした捕物帖が意外に面白く、半七、銭形平次の次に耳袋秘帖を読むことにした。
 こちらは、岡っ引きが主人公ではなく、実在の人物の南町奉行の根岸肥前守が主人公で、二人の若い武士を手足に動かしている。
 三人チームが魅力かと思ったら、シリーズを読んでいるうちに元老中の松平定信の人物の方が面白くなってきた。
 逆に、シリーズ十段くらいからつまらなくなってきた傾向もある。最近のストーカー、いじめ、ブラック企業を思わせるような出来事がはいってきた点だ。
 同じ人間だから江戸時代にも似たようなことは、あったかもしれない。とはいえ、現実世界のニュースでいやな気持になるだけでもたくさんなのに、楽しみで読む小説でも同じようにいやな気持にさせられるのは勘弁と思う。

ふなっしーの正体

 エレベーターに乗っていたら、乗り合わせた男性が連れの女性に「月光仮面の歌知ってる?」と突然聞いた。
 返事がないので、自分で思いだして言っている。「どこのだれかは知らないけれど」次が「だれもがみんな知っている」「どっちなんだ。と思って、あれは不思議だったな。」と一人で言っている。
 自分も子供のころは、好きでよく歌っていたが、なんの疑問も感じていなかった。改めて歌詞を思い出してみた。
 歌詞の続きは「月光仮面のおじさんは正義の味方だ。よい人だ。はやてのように現れて、はやてのように去っていく」だ。
 つまり月光仮面は知っているが、その正体は知らないということだ。今でいえば、ふなっしーは知っているが、着ぐるみの中に入っている人のことは知らないようなものだ。それとも、もう知れていて自分が知らないだけなのか。
 試しに検索して見た。それでいうと知られていない設定になっているのは確かなようだが、つきとめたと思っている人はいた。

2015年4月10日金曜日

粛々と

 買いたい本があり、ネットで見ると4月10日発売とあったので、買いに行った。
 国道17号線沿いの埼京線北与野駅隣の書楽に行くと、売り場の3階が閉鎖されて1階と2階だけになっていた。去年発売の本はあったが今年発売の本がなかった。新都心のコクーン内にある紀伊国屋に行くことにした。
 浦和の県立図書館も閉鎖され、人文関係の専門的な本は、また距離が遠くなったが、仕方がない粛々と新都心に行くだけだ。と思ったところで、「粛々と」なんて普段使わない言葉がつい思い浮かんだのは、最近ニュースで「粛々と進める」という言い方を「上から目線」と言うのを聞いて、「意味がわからない、この言い方がどうして上から目線なのか?」と疑問に感じたせいだと気付いた。
 そこで、自分が「粛々と」と言う言葉を使った心境を考えてみた。
 これは、余計なことを考えて文句を言ったり不平を言ったりせずに、淡々とすることをする、とでもいったつもりで使っていた。ここから、「粛々と進める」とは、作業を止めて話し合ったりせず、また、周囲の苦情を聞いてそれにとらわれたりせずに、自分だけでどんどん進めますよ、という意味になると気付いた。
 弱い立場の人間が使えば、むしろ忍従的態度なのに、立場が強い人間が使えば、「上から目線」ないい方になりそうだ。
 問題の本は紀伊国屋に行ってもなかった。家に帰ってから気づいたが、今日が11日のつもりでいたが、10日だった。扱いを止めたのではなく入荷前だったのだろう。
 とはいえ、午前中とはいえ発売日当日に買えないのは、やっぱり東京に近いとはいえ、さいたま市は田舎なのだろうかと思う。
 

2015年4月3日金曜日

八五郎のおばさん

 銭形平次の子分の八五郎は、おばさんの住む長屋の二階に居候をしている。このおばさんは、八五郎の母親の姉か妹のようだが、「叔母さん」となっている話と「伯母さん」となっている話があり、母親の姉なのか妹なのかはっきりしない。
 ハリー・ポッターもおばさんの家にいたが、訳が「伯母さん」になっている話と「叔母さん」になっている話がある。
 ハリー・ポッターの場合は、どっちが姉で妹かによって違いが出てくるのは、二人の子供の時の話が出てくる第六巻の「謎のプリンス」からだ。英語の原文だと第六巻までどっちかに決める必要がないのに、日本語だと第一巻からどっちかに決めざるを得ないので、途中から設定変更になったのは、原作者と翻訳者の責任ともいえないだろう。
 八五郎の場合は、最初に「叔母さん」だったのが、最後の方で「伯母さん」に変わったように思うが、書かれた順に全部読んでいないので、いつから変わったのか、一度だけ変わったのかよくわからない。
 河出書房の全集第21巻に載っている「八五郎売り出す」が八五郎が25歳で平次の子分になった時の話だと知ったので、もしかしたらここで設定が変わるような出来事でも出てくるのか気になった。
 長く読んでいると平次よりもむしろ八五郎ファンになってくる。八五郎のことがもっと知りたくなり、都立多摩図書館に読みに行った。
 結果、「伯母さん」でも「叔母さん」でもどっちでも話に影響しないように思った。こっちの「おばさん」問題は未解決だ。