2014年3月10日月曜日

クリスティ文庫(31)

 『忘られぬ死』、レストランで会食中に女性が亡くなる。その会食前に被害者の女性が主催者である夫に男性が一人欠席することになったので男女の数を会わせるために、男性を一人追加で招待するように電話する。
 日本では、合コンでもなければ男女同数にこだわることもない。結局、穴は埋められずに、主催者の夫婦に主催者の夫の秘書、主催者の妻の妹と妻の男性の友人と友人夫婦(夫の方が友人)の七名で会食をする。
 男女同数にする意味があるのかと思ったら、ちゃんとあった。食事中にダンスをするが、女性が一人余るので、みんながダンスをしている間に一人で席に残っていることになる。
 一年後に、被害者の夫が事件の再現をしようとする。この時は男女同数で全員がテーブルを離れる時がある。これが重要なトリックになっている。
 トリックのために男女同数を強調したのか、これがイギリスの普通の習慣なのかはわからない。それに既婚の女性が男性の友人と遊び歩くのを夫が非難して止めさせることができないことも普通のことかは不明だ。

2014年3月9日日曜日

ベンチ

 市民の森のベンチが立派なので驚いたが、かなり古い。
 
 ほぼ同じタイプのものを氷川神社の参道で見つけた。こちらの方は、人が座っているので写すチャンスがなかった。
 
 いろいろなデザインのベンチを見るのもおもしろい。
 秋ヶ瀬緑道沿いの木の輪切りのベンチは、最初に見た時は塗料がピカピカしていて、ベンチと気付かずテーブルかと思ったが、最近は塗料も割れて剥がれて、最初の頃より気軽に腰かけやすくなった気がする。
 
 このベンチのそばの桜は早咲きの品種で、秋ヶ瀬緑道沿いでは最初に開花する。

2014年3月8日土曜日

クリスティ文庫(30)

 『死が最後にやってくる』、犯人は正体を現す少し前にわかった。
 最後の最後までわからなかったのは、主人公の女性が二人の男性のどちらかを選ぶかだ。
 どうやら正解を選んだようだが、再婚で判断力が増したおかげらしい。
 クリスティの小説を読むと作者の最初の結婚の失敗がかなり影響しているように思うが、よくある話なので、作者が生涯独身だったとしても、最初の結婚相手と破局しなかったとしても同じだったようにも思う。
 ただ、最初の結婚がなければクリスティという名前の小説家が存在しなかったのは確かだ。別の名前になっていただろう。
 最初の夫がペンネームというプレゼントを残したのは皮肉にも思える。
 

2014年3月7日金曜日

クリスティ文庫(29)

 『春にして君を離れ』、非常におもしろかった。主人公と同じタイプの孤独な人間でないとおもしろくないのではないかと思ったが、そうでもないらしい。
 主人公は他人に好かれない理由や他人にどう思われているかについて自覚がなかったようだが、自覚があってもなかなか自分を変えられるものではない。自覚のない人間に対しては「可哀そうに」というよりは「幸せな人だなぁ」という人のほうが多いと思う。もちろん、かなりの皮肉まじりだが。
 人が殺されたり、盗難事件がおきなくても、「あれはどういうことだったのだろう」とか、「あの人はあの時どう思っていたのだろう」と疑問に思い、真相が知りたいことはたくさんある。
 主人公が真相を導き出すやり方が推理小説の場合と同じなのは、さすがクリスティだ。ただ、人の会話や行動から推理しても、その結論が自分の思いすごしかどうか確認するには証拠が必要だ。真実と証明するためには証拠が必要なのは殺人事件と変わりがない。
 推理小説で証拠が貧弱だと、犯人と対決して犯人の自白を引きだしたりするが、この小説の結末は推理小説とは違う。
 結末を明かさないのが、推理小説の感想を書くときのマナーだとすると、この小説も結末を書くのはマナー違反になるようだ。

2014年3月6日木曜日

クリスティ文庫(28)

 『殺人は容易だ』、犯行の機会と犯人の意外性から途中で犯人について確信を持ったが、動機がわからなかった。
 最初は、町の浄化という考えに取りつかれたのかと思い、次に特定の人間に対する愛情から、その人間に対して酷いことをした人間に対して報復したのかと思った。どっちにしても精神に異常をきたしているのだろうと思った。
 最後の犯行の状況は、自分の考えた動機では説明できないと思ったら、実際違っていた。
 ずいぶんとロマンチックなことを考えていたものだと苦笑する。
 『ゼロ時間へ』、アリバイクくずしのトリックがわかったところで犯人はわかったが、動機がわからない。
 別れた妻が経済的に困窮し、自分からはお金を受取ろうとしないので、遺産を受け取らせてあげようとしたのかと思った。つい、そこまで愛情が深かったのかと思ったら、これもまた大外れ。
 今度もまた、ロマンチックなことを考えてしまった。
 これだから、最近のストーカー事件は、なんだかわけがわからない。
 久しぶりに萩尾望都の『ポーの一族』の短編『はるかな国の花や小鳥』を出して読んでみた。やっぱりこっちの方が好きだ。
 

2014年3月5日水曜日

クリスティ文庫(27)

 『殺人は容易だ』の容疑者は、田舎の小さい村の誰かだ。そうは言ってもこれだけでは、まだかなりの人数になる。
 ところが、犯人は犯罪の告発者と同じ階級の人間らしいということで数人に絞られる。登場人物一覧表に載せられる人数だ。
 クリスティの小説には「階級」という言葉が良く出てくる。貴族かどうかの違いではないようなので身分と言うのとも違うようだ。
 日本でいうところの「いいところのお嬢さん、お坊ちゃん」という感じで使うようだ。「育ちがいい」のにも近いのかもしれない。
 「イギリスはいまだに階級社会だ」と聞くこともあるが、十九世紀のフランスやロシアの小説を読んでもイギリスの階級と同じものはないように感じる。
 一般の小説だとイギリスの小説よりフランスやロシアの小説の方が気にいるのは、どうも自分の階級が、イギリスで主人公と対等の人間扱いされる階級より下のような気がするからかもしれない。
 身分違いの恋というのはあっても、階級違いの恋というのはないように思われる。

2014年3月4日火曜日

クリスティ文庫(26)

 『なぜ、エヴァンズに頼まなかったのか?』、題名をみて『九マイルは遠すぎる』を連想した。
 九マイルの方は、この言葉から謎ときをするが、エヴァンズの方はその地方ではありふれた名前だったので手掛かりにならず、最後の方でほとんど謎が解けてからエヴァンズの正体がわかる。
 推理小説の感想で犯人やトリックを書くのはタブーだが、この作品ではエヴァンズの正体をばらすのがタブーだろう。
 クリスティの作品はユーモアがあって笑わせてくれる場合が多いが、この作品で最後に笑いたかったら、エヴァンズの正体を当てようとしない方がいいだろう。自分もまだ推理する手掛かりがないと思って何も考えずに問題の個所を読んだので、とても楽しめた。

2014年3月3日月曜日

山燈籠

 大宮第二公園から市民の森に行く途中で、自然石を利用した燈籠を見かけた。高さ二メートルはある。初めて見たので特別な由来でもあるのかと思い案内板を探したがない。
 
 そのあとで常盤公園でも似たものを見つけた。お寺の庭や石材店の石材置き場や近所の庭でも小型のものを見かけたので、単に燈籠の一種だとわかった。山燈籠と一般的に言うらしい。
 
 歴史的にも民俗学的にも宗教的にも美術的にも特に保存するようなものではないようで、区画整理の工事中に行った時には撤去されていた。
 情緒的にはとても残念だ。

2014年3月2日日曜日

クリスティ文庫(25)

 『未完の肖像』、主人公の母親が、娘が現実の厳しさを知らずに不幸せな結婚をしてしまうのを心配してバルザックを読ませる。
 主人公は結婚してから、お伽噺は結婚して幸せに暮らしましたで終わるが、現実の生活はその後も続くと思う。
 ゾラを読んだらどうだろう。『夢』は現実に主人公が夢に描いたとおりの幸せな結婚をするが、主人公は結婚式当日に死んでしまう。不幸せな結婚生活を経験することはない。『パスカル博士』は好きな人と結婚して一時は経済的に行き詰まるかに思えたが、夫は病死し、残された子供と親子二人で暮らせるだけの財産が残っていることがわかる。結婚生活は短くして終わる。『ボヌール・デ・ダーム百貨店』は幸せな結婚生活を送るが、『ごった煮』に描かれる夫の結婚前の生活は、性道徳が全くないかのようだ。
 幸せな結婚が一番だろうが、結婚して不幸になる危険を冒すのと、結婚せずに特に幸せにも不幸せにもならないのとどちらがよいと思うかは人それぞれだろう。
 

2014年3月1日土曜日

クリスティ文庫(24)

 
 『未完の肖像』51、52頁に、「黄色い絨毯を敷きつめたように一面に桜草が咲き乱れている雑木林」という記述がある。
 前に読んだ短編にも黄色い桜草が出てきた。黄色の桜草は、日本の桜草とはちがう種類だろう。
 黄色の桜草を桜草と訳してよいのかは疑問だ。黄色かったら桜にはちっとも似ていないと思う。
 
 荒川沿いの桜草公園の田島ヶ原サクラソウ自生地の桜草
 
 黄色に見えるのは、ノウルシという別の植物だ。
 彩湖側の公園内にも桜草が咲いているところがある。
 
 荒川沿いの自転車道を走っていて、初めて桜草自生地の看板を見た時は、荒川沿い一帯に咲くのかと思ったが、今わかる範囲では、その看板がある一角と桜草公園と彩湖の横の公園にしか咲いていないようだ。
 それと鉢に植えられているのは、さいたま市内で時々見る。