つらつら物思いにふけっていたら、「現代っ子」と言う言葉が出てきて、「最近全然聞かないな」と思った。
自分が良く聞いたのは、小学生の頃で、戦前の教育を受けた大人が戦後の教育を受けた子供たちに使っていたという記憶だ。
このころの「現代っ子」のイメージと最近テレビドラマでよく見る問題を抱えた子供のイメージとは、かなりかけ離れている。
もっと完全に死語になっているのが「新人類」だ。職場で共通一次世代が新人として入社してきた頃、その新人をこう読んだ。何年かしたらもはや「新人類」を超える理解不能さで「宇宙人」だ、と言われるようになったと思ったら、すぐに廃れた。
最近よく聞くのが「ゆとり世代」だ。ゆとり教育の内容もよくわからず、どういう特徴がある世代なのかもよくわからない。
ただ、円周率を以前は3.14で教えていたのが、今は3と教えているというのを聞いておどろいた記憶がある。
最近ドラマで、理系女子がお見合い相手の教師が「円周率を3.14で教えるか、3で教えるか悩んでいた」というのを聞いて、「円周率はπだ」と一刀両断で返答したのを聞き、思わず噴き出した。
もちろん、その教師が円周率はπであることを知った上で、「より正しい数値」に近い3.14で教えるか、どうせ近似値なら、無駄に労力を多くさせることなく3で教えるか悩んでいたのだろう。
その教師が「正しい数値」の3.14で教えるか近似値の3で教えるかで悩んでいるように話したのだとしたら、確かに数学的センスに欠けていたかもしれない。
このエピソードで、自分が子供のころ、円周率が正しくは3.14ではなく、その後も割り切れない数値がずっと続くことを知った時に、軽いショックを感じたことを思い出した。
ほかにも年齢の低さからくる理解度に合わせて少し内容を変えて教えられ、後日間違ったことを教えられたのだと知った経験がある。
個人的には子供にその理解に合わせてよいことをしたつもりで間違えたことを教えることには反対だ。
2015年1月29日木曜日
2015年1月28日水曜日
浦和税務署
さいたま市役所・浦和区役所の向かい側にあった浦和税務署が閉鎖され、さいたま新都心に移転された。
所得税の申告書の郵送封筒を見ると住所が合同庁舎1号館になっていて地図を見ると通路に沿って明治安田生命ビルと隣あっている。当然高層ビルの中にはいっているのだろうと思い、申告書の提出に行って驚いた。通路を挟んだ向かい側の四角錐(ピラミッド型)の建物の内側にシートが張られて上の方に浦和税務署の文字が見える。以前は壁が全面透き通って展示などがされていたところだ。入口は階段を降りて月の広場にあった。(もう少し通路の先に行くとエレベーターがあることに後で気づいた)
仮庁舎かと思って聞いてみたら、この場所に本決まりで、もとの税務署跡地の利用は未定だそうだ。
県立浦和図書館は、今年の三月末に閉鎖されるしで、浦和地区は大丈夫なのかと思う。
浦和税務署が入居する前の建物の様子
所得税の申告書の郵送封筒を見ると住所が合同庁舎1号館になっていて地図を見ると通路に沿って明治安田生命ビルと隣あっている。当然高層ビルの中にはいっているのだろうと思い、申告書の提出に行って驚いた。通路を挟んだ向かい側の四角錐(ピラミッド型)の建物の内側にシートが張られて上の方に浦和税務署の文字が見える。以前は壁が全面透き通って展示などがされていたところだ。入口は階段を降りて月の広場にあった。(もう少し通路の先に行くとエレベーターがあることに後で気づいた)
仮庁舎かと思って聞いてみたら、この場所に本決まりで、もとの税務署跡地の利用は未定だそうだ。
県立浦和図書館は、今年の三月末に閉鎖されるしで、浦和地区は大丈夫なのかと思う。
浦和税務署が入居する前の建物の様子
2015年1月25日日曜日
糸のこ
約30年くらい前に、工作用に糸のこを買い、昨年末、初めて使用した。
ベットを捨てることにしたが、90センチ以上になると粗大ゴミになり、市に電話してコンビニでシールを買い、収集日に自分で外にださなければならない。
めんどうなので自分で90センチ未満に切って燃えるごみの日に出すことにした。組み立て式のベットなので、まずバラバラにして木の部分は普通のノコギリを使用した。ところが、マットがたわしみたいな材質の物が鳥の巣のようにしっかりと絡み合っていて、普通のノコギリだと抵抗が大きくて中まで入っていかない。そこで、糸のこを使ってみた。うまくいき無事捨てることができた。
片付けたり整理整頓をするのが大好きなので、テレビで物を片付けることが問題になっていると興味深く見ている。
その方法論で気になるのは、何年使わない物はこれからも使わないから捨てるようにというものだ。これはどうなのか?どうしてこれからも全体使わないと言い切れるのか。
むしろ、捨てた途端使い道ができて後悔することが多いように思う。
必要な時にまた買えるもので、今いらないものは捨てなさい。という方法論もある。こっちの方が参考になるように思う。
ただ、必要な物だけを持っているわけではない。小学校の時の文集など気恥ずかしくて一度も読んだことがなく、これからも絶対読むことがないと思うが、捨てようと思ったことはなく、これからも捨てないだろうと思う。
こういう、必要ないけれど、自分の歴史となるようなものはたくさんあり、取っておくものと捨てるものの基準が難しい。他の人はどうしているのだろうかと思う。
ベットを捨てることにしたが、90センチ以上になると粗大ゴミになり、市に電話してコンビニでシールを買い、収集日に自分で外にださなければならない。
めんどうなので自分で90センチ未満に切って燃えるごみの日に出すことにした。組み立て式のベットなので、まずバラバラにして木の部分は普通のノコギリを使用した。ところが、マットがたわしみたいな材質の物が鳥の巣のようにしっかりと絡み合っていて、普通のノコギリだと抵抗が大きくて中まで入っていかない。そこで、糸のこを使ってみた。うまくいき無事捨てることができた。
片付けたり整理整頓をするのが大好きなので、テレビで物を片付けることが問題になっていると興味深く見ている。
その方法論で気になるのは、何年使わない物はこれからも使わないから捨てるようにというものだ。これはどうなのか?どうしてこれからも全体使わないと言い切れるのか。
むしろ、捨てた途端使い道ができて後悔することが多いように思う。
必要な時にまた買えるもので、今いらないものは捨てなさい。という方法論もある。こっちの方が参考になるように思う。
ただ、必要な物だけを持っているわけではない。小学校の時の文集など気恥ずかしくて一度も読んだことがなく、これからも絶対読むことがないと思うが、捨てようと思ったことはなく、これからも捨てないだろうと思う。
こういう、必要ないけれど、自分の歴史となるようなものはたくさんあり、取っておくものと捨てるものの基準が難しい。他の人はどうしているのだろうかと思う。
2015年1月23日金曜日
意外に気づかない
身内のふりをしてお金をだまし取る詐欺の報道がこれだけされているのに、いまだに詐欺と気づかずにだまされる人がいるのが不思議だった。
最近、報道で詐欺の手口を知っていても、結構自分が今その詐欺にあいそうになっていることに気づかないものだと思うできごとがあった。
有名な都市銀行からメールがあり、それを読むと顧客情報の流出があり、現在ネットの使用をできないようにしたので、改めて登録しなおしてほしいという依頼だった。ネットの使用はしていないし、これを機会に自分の情報が無効になるほうが都合がよさそうだったので、何もしなかった。
丁度その頃有名企業の情報流出ニュースでにぎわっていたので、この件もニュースになっているかと思い、ネットニュースを見たが出ていなかった。
しばらくしても、その情報流出が話題にならないので、その銀行のHPで確かめてみた。そうしたら、詐欺メールの注意が出ていて、文面が自分が受け取ったのと全く同じで、ここで、ようやっと自分の受け取ったメールが、最近ニュースになっている本人が気づかずに口座のお金を盗まれるという詐欺の手段だと気付いた。
銀行のHPを見ると、メール連絡を断っている顧客にも注意喚起のメールを出しているとあるが、自分のところにはメールが来ていないと思い、更に重要なことに気づいた。
そもそも自分は、その銀行に口座を持っていなかった。持っているのはその銀行の系列のクレジットカードだった。
どれだけ、うかつなのかと思う。
最近、報道で詐欺の手口を知っていても、結構自分が今その詐欺にあいそうになっていることに気づかないものだと思うできごとがあった。
有名な都市銀行からメールがあり、それを読むと顧客情報の流出があり、現在ネットの使用をできないようにしたので、改めて登録しなおしてほしいという依頼だった。ネットの使用はしていないし、これを機会に自分の情報が無効になるほうが都合がよさそうだったので、何もしなかった。
丁度その頃有名企業の情報流出ニュースでにぎわっていたので、この件もニュースになっているかと思い、ネットニュースを見たが出ていなかった。
しばらくしても、その情報流出が話題にならないので、その銀行のHPで確かめてみた。そうしたら、詐欺メールの注意が出ていて、文面が自分が受け取ったのと全く同じで、ここで、ようやっと自分の受け取ったメールが、最近ニュースになっている本人が気づかずに口座のお金を盗まれるという詐欺の手段だと気付いた。
銀行のHPを見ると、メール連絡を断っている顧客にも注意喚起のメールを出しているとあるが、自分のところにはメールが来ていないと思い、更に重要なことに気づいた。
そもそも自分は、その銀行に口座を持っていなかった。持っているのはその銀行の系列のクレジットカードだった。
どれだけ、うかつなのかと思う。
2015年1月22日木曜日
捕物(2)
ポワロが真犯人を見逃すのは、「オリエント急行の殺人」だけだったように思う。ほとんどの事件の犯行動機が遺産(金銭)目的で、見逃す事情が全然ないからだろう。
クリスティが書くものは、最後に意外な犯人と犯行トリックで読者を驚かせるのが特徴になっている。
推理小説というものは、そういうものと思っていたが、ホームズを改めて読んでみると、最後の結末に驚かされる作品は数少ない。一番びっくりさせられたのは長編の「恐怖の谷」だった。この作品は二部に分かれているが、前半の部分は、特に意外でもなく、驚かされたのは後半の部分だ。
ホームズの場合は、作者がことさら変わったトリックを考えだしたり、意外な犯人で最後にびっくりさせようとは思っていないようだ。探偵が調査を進めていくにつれて、探偵にも読者にも真相が徐々に明らかになるのがほとんどだ。
日本で最初に書かれた捕物は「半七捕物帳」で、探索を進めるうちに徐々に真相が明らかになり、特に意外な犯人や変わったトリックで読者をびっくりさせようとはしていないのは、ホームズに似ているように思う。
ホームズは、真相を世間に明らかにしないことがある。私人なので、内密にことを済ますことができるが、事件の発生が公になり警察沙汰になると隠しておくことはできないとも言っている。
半七も事が表ざたになっていない場合に、見逃している場合がある。見逃す理由は、江戸時代の刑罰が重すぎて、この程度の事で何人もの命を奪うことはないだろうと思ってのことだ。
「半七捕物帳」は、最後に関係者がどういう処罰を受けたかが書かれている。重い処罰ばかりだが、だいたいがやったことや生かしておくと将来的にやりそうなことに見合っている。
ただ、江戸時代の刑罰は重いばかりと思っていたが、遠島になってもすぐに許されて戻ってきたり、江戸を離れればよいだけだったり、逃亡したらたいていそれっきりになるので、現在より重い一方ではないようだ。
書かれた時代が半七よりも少し新しいのが「銭形平次捕物控」だが、平次は犯人を見逃すことが多い。それから、毎回、銭を投げているわけではない。犯人が見逃されるような事件では、たいてい銭は飛ばない。
クリスティが書くものは、最後に意外な犯人と犯行トリックで読者を驚かせるのが特徴になっている。
推理小説というものは、そういうものと思っていたが、ホームズを改めて読んでみると、最後の結末に驚かされる作品は数少ない。一番びっくりさせられたのは長編の「恐怖の谷」だった。この作品は二部に分かれているが、前半の部分は、特に意外でもなく、驚かされたのは後半の部分だ。
ホームズの場合は、作者がことさら変わったトリックを考えだしたり、意外な犯人で最後にびっくりさせようとは思っていないようだ。探偵が調査を進めていくにつれて、探偵にも読者にも真相が徐々に明らかになるのがほとんどだ。
日本で最初に書かれた捕物は「半七捕物帳」で、探索を進めるうちに徐々に真相が明らかになり、特に意外な犯人や変わったトリックで読者をびっくりさせようとはしていないのは、ホームズに似ているように思う。
ホームズは、真相を世間に明らかにしないことがある。私人なので、内密にことを済ますことができるが、事件の発生が公になり警察沙汰になると隠しておくことはできないとも言っている。
半七も事が表ざたになっていない場合に、見逃している場合がある。見逃す理由は、江戸時代の刑罰が重すぎて、この程度の事で何人もの命を奪うことはないだろうと思ってのことだ。
「半七捕物帳」は、最後に関係者がどういう処罰を受けたかが書かれている。重い処罰ばかりだが、だいたいがやったことや生かしておくと将来的にやりそうなことに見合っている。
ただ、江戸時代の刑罰は重いばかりと思っていたが、遠島になってもすぐに許されて戻ってきたり、江戸を離れればよいだけだったり、逃亡したらたいていそれっきりになるので、現在より重い一方ではないようだ。
書かれた時代が半七よりも少し新しいのが「銭形平次捕物控」だが、平次は犯人を見逃すことが多い。それから、毎回、銭を投げているわけではない。犯人が見逃されるような事件では、たいてい銭は飛ばない。
2015年1月21日水曜日
オリエント急行の殺人
テレビドラマで「オリエント急行殺人事件」を見た。その中で探偵は12人の殺人者を12人の陪審員にみたてている。ドラマでは誘拐事件の犯人は証拠不十分で無罪になったとされている。仮に陪審員に裁かれたならば有罪になったはずだということだろうか(裁判官のみで裁く制度に対する批判か?)。日本なら裁判で12人の陪審員に裁かせるのは法制度上無理だが、原作なら、陪審員に裁かせることは可能だし、ドラマ第一夜は原作どおりのはずなので、不思議に思った。
相当前に原作(日本語訳なので厳密にいうと、これも原作どおりとは限らない)を読んだので、細かいことを覚えていないので、本を取り出して拾い読みした。
創元推理文庫で99頁に「~やつは、ため込んでおいた莫大な金を使い、また、いろいろな人物の秘密を握っていたりしたもんで、証拠不十分として釈放されてしまった。しかし、民衆は承知しなかった。あわや捕えられて、リンチにされるところだった~」とある。
つまり、警察に逮捕されたが、裁判にかけるだけの証拠がないとして釈放されたということだ。誘拐犯は新聞までは買収できなかったようだ。そうでなければ、どうやって世間の人間が真犯人について確信を持てたのかがよくわからない。ドラマはどうして原作どおりにしなかったのか?警察あるいは検察が腐敗していると言いたくなかったのか?それとも「無罪放免」は厳密に法律的な意味で使ったのではなく、単に罪を問われることなく釈放されたという日常用語的な意味だったのだろうか?普段新聞やテレビの報道でも正しい法律用語が使用されていないので、意味がよくわからないことがある。日本でリンチにされそうになることが、ありえなさそうに思ったのか?現在ならそういう感覚だが、当時の日本なら充分ありそうに思う。
それから、309頁でポワロはこう言っている。「~私は、十二人の陪審員が、彼の死刑を評決し、また、事態が緊急を要するので、みずから死刑執行人の役を買って出た~」
ただ、317頁で殺人者(アメリカ人)は「~社会は彼に死刑を宣告しました。私どもはただその判決を執行しただけなのです。」と言っている。
ポワロよりも殺人者の方が陪審裁判を尊重しているように思う。
別の殺人者(イギリス人)は、158頁でポワロに「あなたは、個人的な復讐より、法律に従うほうがよいとお考えなんですな?」と聞かれたのにたいして、「そうですね。あなただって、コルシカ人やマフィア人のように、おたがいに血を流したり刺したりして争うのはおいやでしょう。つまり、陪審裁判がいちばん健全なシステムでしょうな」と言っている。
陪審裁判の本質が被害者が個人的に判断するのではなく、複数の一般の国民に判断を委ねるということなら、ポワロが言うように被害者が裁くのではなく、殺人者の言う民衆の裁きに基づき執行しただけという考えの方が陪審裁判を尊重しているように思う。そういえば、ポワロはベルギー人で大陸法系の人間だった。
テレビドラマ第二夜は、ところどころしか見ていないが、殺人者の一人が標的が本当に誘拐犯だったのかどうかを、誘拐被害者の屋敷の様子を知らないと言っていたのに、よく知っていることを示す言葉だけで、決めつけるところがあった。でも、この判断には疑問を感じる。自分が疑われていると思ったら、行ったことがあっても行かないというのは自然な事だ。
それから、殺人計画をゲームを遂行するように楽しんでやっている様子についていけなかった。脚本家は、喜劇に向いているが、この内容は喜劇には向かないように思う。殺人事件の犯人当てはゲーム感覚で楽しめるが、殺人計画の実行はゲーム感覚では楽しめない。犯行計画の実行をゲーム感覚で楽しめるのは、詐欺とか窃盗とかを人を殺傷しないで実行する場合ぐらいのように思う。
二日通して見通しておもしろかった人はどのくらいいるのだろうか。
相当前に原作(日本語訳なので厳密にいうと、これも原作どおりとは限らない)を読んだので、細かいことを覚えていないので、本を取り出して拾い読みした。
創元推理文庫で99頁に「~やつは、ため込んでおいた莫大な金を使い、また、いろいろな人物の秘密を握っていたりしたもんで、証拠不十分として釈放されてしまった。しかし、民衆は承知しなかった。あわや捕えられて、リンチにされるところだった~」とある。
つまり、警察に逮捕されたが、裁判にかけるだけの証拠がないとして釈放されたということだ。誘拐犯は新聞までは買収できなかったようだ。そうでなければ、どうやって世間の人間が真犯人について確信を持てたのかがよくわからない。ドラマはどうして原作どおりにしなかったのか?警察あるいは検察が腐敗していると言いたくなかったのか?それとも「無罪放免」は厳密に法律的な意味で使ったのではなく、単に罪を問われることなく釈放されたという日常用語的な意味だったのだろうか?普段新聞やテレビの報道でも正しい法律用語が使用されていないので、意味がよくわからないことがある。日本でリンチにされそうになることが、ありえなさそうに思ったのか?現在ならそういう感覚だが、当時の日本なら充分ありそうに思う。
それから、309頁でポワロはこう言っている。「~私は、十二人の陪審員が、彼の死刑を評決し、また、事態が緊急を要するので、みずから死刑執行人の役を買って出た~」
ただ、317頁で殺人者(アメリカ人)は「~社会は彼に死刑を宣告しました。私どもはただその判決を執行しただけなのです。」と言っている。
ポワロよりも殺人者の方が陪審裁判を尊重しているように思う。
別の殺人者(イギリス人)は、158頁でポワロに「あなたは、個人的な復讐より、法律に従うほうがよいとお考えなんですな?」と聞かれたのにたいして、「そうですね。あなただって、コルシカ人やマフィア人のように、おたがいに血を流したり刺したりして争うのはおいやでしょう。つまり、陪審裁判がいちばん健全なシステムでしょうな」と言っている。
陪審裁判の本質が被害者が個人的に判断するのではなく、複数の一般の国民に判断を委ねるということなら、ポワロが言うように被害者が裁くのではなく、殺人者の言う民衆の裁きに基づき執行しただけという考えの方が陪審裁判を尊重しているように思う。そういえば、ポワロはベルギー人で大陸法系の人間だった。
テレビドラマ第二夜は、ところどころしか見ていないが、殺人者の一人が標的が本当に誘拐犯だったのかどうかを、誘拐被害者の屋敷の様子を知らないと言っていたのに、よく知っていることを示す言葉だけで、決めつけるところがあった。でも、この判断には疑問を感じる。自分が疑われていると思ったら、行ったことがあっても行かないというのは自然な事だ。
それから、殺人計画をゲームを遂行するように楽しんでやっている様子についていけなかった。脚本家は、喜劇に向いているが、この内容は喜劇には向かないように思う。殺人事件の犯人当てはゲーム感覚で楽しめるが、殺人計画の実行はゲーム感覚では楽しめない。犯行計画の実行をゲーム感覚で楽しめるのは、詐欺とか窃盗とかを人を殺傷しないで実行する場合ぐらいのように思う。
二日通して見通しておもしろかった人はどのくらいいるのだろうか。
2015年1月20日火曜日
靴下
長袖のカーディガンをほどいて靴下を編んだ。
編み直してみると、思ったよりも糸が傷んで細くなっている。全部で5足編めたが、糸が細くて足が透けて見えるので2枚重ねにして家の中で履いていたら、すぐに踵の所が破けてしまった。
破けたのは捨てていったが、最後に一枚残ったのはどうしたものかと思う。
そう思ったら、最近読んだ「まほろ駅前狂想曲」に出てきた不思議な出来事に少し説明がついた。
主人公が、子供を預かることになり、使っていない電気炊飯器の蓋を開けると、中に靴下が5つ入っている。5足ではなく靴下の片方が5つだ。読んだ時には、どうしてそういう状況になるかさっぱり見当がつかなかったが、片方が物理的に使用不能になって捨てたが、残りの使用可能な方を捨てる踏ん切りがつかず、そうかと言って不揃いの靴下を履くほど困窮していないが将来的にはどうなるかわからないとでもいった事情だったかと思いつく。
編み直してみると、思ったよりも糸が傷んで細くなっている。全部で5足編めたが、糸が細くて足が透けて見えるので2枚重ねにして家の中で履いていたら、すぐに踵の所が破けてしまった。
破けたのは捨てていったが、最後に一枚残ったのはどうしたものかと思う。
そう思ったら、最近読んだ「まほろ駅前狂想曲」に出てきた不思議な出来事に少し説明がついた。
主人公が、子供を預かることになり、使っていない電気炊飯器の蓋を開けると、中に靴下が5つ入っている。5足ではなく靴下の片方が5つだ。読んだ時には、どうしてそういう状況になるかさっぱり見当がつかなかったが、片方が物理的に使用不能になって捨てたが、残りの使用可能な方を捨てる踏ん切りがつかず、そうかと言って不揃いの靴下を履くほど困窮していないが将来的にはどうなるかわからないとでもいった事情だったかと思いつく。
2015年1月19日月曜日
捕物
シャーロック・ホームズの人形劇を見ていて、原作が気になった。けっこう読んだはずなのに、原作の内容がはっきり思い出せるのは、赤毛の話くらいだ。
改めて読んでみると、解説で岡本綺堂の「半七捕物帳」の半七が江戸のシャーロック・ホームズと書かれている。
以前「女か虎か」をもう一度読もうと探していた時に、岡本綺堂が編集した短編集に載っているのを知ったので、あの岡本綺堂が書いたものかと興味を持ち、「半七捕物帳」を読んで見た。面白かった。時間をおいてもう一度読みたいと思った。
捕物が意外に面白いことが分かり、他にも読んでみようと思い、一番有名だと思う「銭形平次捕物控」を読むことにした。まだ、読んでいる途中だが、全篇載っているらしい全集は、さいたま市の図書館にはなく、県立図書館にはその一部だけがあるらしいことがわかった。市の図書館で読めるのは文庫で15冊約150編だが、これで全体の半分くらいだ。
久しぶりに県立図書館のHPを見たら、浦和図書館が平成27年の3月いっぱいで閉鎖されることを知った。実に残念だ。
最初の話に戻り、現在、日曜日の夕方5時半からシャーロック・ホームズの人形劇が放送されているが、ほとんど原作とは違った話だと思って見る方がいいようだ。
改めて読んでみると、解説で岡本綺堂の「半七捕物帳」の半七が江戸のシャーロック・ホームズと書かれている。
以前「女か虎か」をもう一度読もうと探していた時に、岡本綺堂が編集した短編集に載っているのを知ったので、あの岡本綺堂が書いたものかと興味を持ち、「半七捕物帳」を読んで見た。面白かった。時間をおいてもう一度読みたいと思った。
捕物が意外に面白いことが分かり、他にも読んでみようと思い、一番有名だと思う「銭形平次捕物控」を読むことにした。まだ、読んでいる途中だが、全篇載っているらしい全集は、さいたま市の図書館にはなく、県立図書館にはその一部だけがあるらしいことがわかった。市の図書館で読めるのは文庫で15冊約150編だが、これで全体の半分くらいだ。
久しぶりに県立図書館のHPを見たら、浦和図書館が平成27年の3月いっぱいで閉鎖されることを知った。実に残念だ。
最初の話に戻り、現在、日曜日の夕方5時半からシャーロック・ホームズの人形劇が放送されているが、ほとんど原作とは違った話だと思って見る方がいいようだ。
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