2019年6月27日木曜日

サトクリフ「辺境のオオカミ」

 イギリスがローマ帝国の属州だった時代の話。三冊書かれた後、時間を置いて書かれた四作目。
 これは、児童文学の分類でいいのか疑問に思う。子供に理解できる文章としては難しいように思うからだ。文章そのものは前の三作同様平易で、抽象的で形而上的な文章はないが、事情を直接説明する文章がなく、自分で文章のその先を推理しなけければ、意味がわからない箇所がたくさんある。
 主人公が砦の指揮官だったときに、敵が攻めてくる。救援を呼ぶため狼煙は霧のため役にたたない。そこで、使者を三人出すが、三人の死体を敵に見せられる。二体は砦の中に投げ込まれるが、一体は、砦の塀を超えられず塀の外に落ちる。
 救援が来る前に全滅しそうなので外に出て近くの砦に向かおうとするが、副官にこういう場合は、動かず救援を待つ規則になっていると反対される。結局、反対を押して、外に出て、途中で全滅しそうなところに、味方の救援がくる。
 どうして、予想に反して早く救援がきたのか?
 主人公は上官に、殺された三人の顔を確認したか、敵が負傷者か年寄りを一人犠牲にして、勝利しようとしているとは考えなかったのかと聞かれる。
 結局、使者の一人は生きていて、救援を頼めたということだ。しかし、この結論を直接読者に伝える文章はない。でも、どういうことか、じっくり考えるとわかる事実は示されているし、その結論を導き出すのは、そう難しくはない。そして、あっさり結論を示されるより、自分でその結論に達した方が、「そうか、そういうことだったのか、なんと愚かだったか、もっと落ち着いていれば・・・あのまま砦で救援を待ってさえいれば・・・」と主人公が思ったであろうことを読者が自分でしみじみ感じ、考えることだろうと思う。
 その方が余韻がある。
 このように、読者が文章を読み解かなければ意味が分からない文体で進む。
 中盤で子供の読者は理解できているのか心配になってくる。 
 ネットの感想を読むと文章のわかりにくさを翻訳家のせいにしているのを見かけた。
 これは、翻訳のせいではなく原文のせいだと思うが、子供用にわかりやすく翻訳する方法もあったとは思うが、どうだろうか?
 おもしろい児童文学は大人になって読んでもおもしろいが、子供の時に読みたかったと思うときも時々ある。これは、今までとは違う意味で子供の時読んでみたかった。どこまで理解できたか、とても興味がある。
 ただ、題材的にも大人の方が読んでおもしろいのではないか。大人の方が、上司と衝突して自分の考えどおりできず、いろいろ思うことが多い。この状況は、子供が親や先生や友人が求めていることと違うことをしたがるのとは、かなり違う。
 凝った文体になったのは作者が簡単な文章に飽き足らなくなったのか、ストレートに書いてしまうと重みにかけて内容にそぐわないと思ったのか。
 ただ、わかりにくいヒネッタ文章という点では、ディケンズの方がはるかに上をいっているように思う。
 謎解き好きはイギリス人の特徴なのか、ハリー・ポッターもファンタジーやホラーというよりはミステリー小説としておもしろかった。

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