2018年7月12日木曜日

峠の群像

 堺屋太一の「峠の群像」を読み終わった。面白い小説だと思ったが、読後感がよくない。
 赤穂浪士を題材にしているが、仇討以外の道を選び、仇討以上に意義のあることを成し遂げたと思ったら、世間の仇討に加わらなかった人間にたいする評価のせいで、それが無に帰してしまう。史実に基づいているので、この結果は作者のせいではないが、暗い気分にさせられる。
 最初に赤穂浪士を題材にした小説を読んだのは、吉川英治の「新編忠臣蔵」。それぞれがどのような気持ちで仇討を決意したのかについて、吉川英治がどう書くかに興味があった。吉川英治なら、当時の考え方としてあり得る範囲内で、現代人にも共感が感じられるものにするのではないかと思ったのだ。
 大石内蔵助の内心が書かれている。当時の生類憐みの令により、人間が犬以下の存在になっており、武士もまさに犬侍になりはて、武士本来の仕事をするより時の権力者にすりよることばかり考えている。これは、人間の尊厳を取り戻すため、ということになるのだろうか。
 途中で離脱した高田群兵衛の心の内も書かれている。こちらは、仇討以上に意義のある人生を選んだという感じはしない。堀部安兵衛は、仇討が終わった後、祝いの言葉をいう高田に対して、仇討以外の道を選ぶのを否定はしないが、その道を立派にやりとおすべきだと思う。
 ここで、仇討に加わらなかった人間で、立派な生き方をしたと思えるような人がいたのか気になった。
 そこで、井上ひさしの「不忠臣蔵」を読んだ。仇討に加わらなかった人の話だ。こちらも面白い小説だが読後感はよくない。
 仇討には加わらなかったが、陰ながら協力した人、本人の意思によらない事情で参加できなかった人、仇討に参加する気にならなかったもっともな理由があったが、仇討する以上に意義のあることをしたとはいえない人、仇討に加わらなかった人間に対する世間の冷たい風をかわすために卑怯な手を使った人、仇討以上に意義あることをしているといえそうな人が一人いたが、命を惜しんだのではないことを証明するため、毒を飲んで死のうとした(薬がすり替えられていたため死ななかった)。
 世間の偏狭な考えのためにバッシングされてひどい目に合うのは今もよくあることなので、読後感はよくない。
 NHKの大河ドラマを思い出して、「元禄太平記」を読んだ。討ち入りまでの生活の仕方を読み、堀部安兵衛がきらいになった。カモフラージュのために道場と寺子屋を始めるが、繁盛しすぎて人が集まると困るので、のらくらしている。他にも討ち入りまでの間、ちゃんと生きたらどうかと思う人間が多い。
 討ち入りに加わった人間に、禄高が高いものが少なく、下級武士が多いとある。「元禄太平記」では、下級武士の方が、武士道というものに対する思いが純粋だったというような書き方だが、下級武士が商人や農民より上だと思えるのは武士であるということだけだからだろうか。武士であるという誇りだけが頼りなら武士としてはこうあるべきという規範をより大事にするだろう。「峠の群像」を読むと、上士は浪人しても経済的に困窮することもないが、下級武士は経済的に困窮するので、つらい人生を続けるより華々しく人生を終わった方がよいと考えたから討ち入りに参加したのだと思えてくる。捨てる命の軽重の違い、その後の人生の苦楽の違いか。それとも金持ち喧嘩せずか。
 これではがっかりだ。どのように生きるのがよいか、どのように死ぬのがよいのかの答えには全然ならない。
 「峠の群像」では、大石がそれぞれの仇討に関する思いの違いを考えるところが出てくるが、大石自身がどうしたいと思っていたのかはよくわからない。仇討の意義を考え出すと割れるので、その手段の方に集中するように仕向けている。目的を達成することが目的になるように。
 これは、今のサラリーマンにも思い当たるところがあるように思う。自分の仕事の意義が感じられなくても、その仕事を達成するために、知恵を絞ったり、工夫することに仕事の楽しさを感じて、仕事を続けている人はたくさんいるように思う。
 「峠の群像」を読むとこれまで悪役と思われていた人間の別の面が出てくる。吉良は、本人はよかれと思っておせっかいをして、逆に嫌がられ、一言多くて、相手の感情を害してしまう。自分も思い当たるところが多々あり、思わず同情してしまう。
 吉良が浅野に柳沢に対する贈り物について助言するところがある。
 第一部九黄門と側用人のなかで、「この時代の慣例として、幕府の要人に加増や国替え、位階昇給があれば、諸大名はみな高価な祝いを贈ることになっていた」「政治家や行政官に対する贈進物に関する感覚は時と所によって大いに違う。今日の日本では、それが贈収賄や汚職といった悪い印象で見られがちだが」とある。
 幕府の要人を国家公務員、諸大名を地方公務員とすると公務員が公務員に贈進物を贈っても今日でも贈収賄罪にはならないのではないだろうか。「官官接待」が世間で問題視されたのも、この小説が書かれたのよりも大分あとのことだ。今では、不適切な支出として住民訴訟が起こされるだろうが、刑事事件にはならないだろう。
 公務員の経験がないからこういう理解なのかと思ったら、元官僚だった。

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