2020年6月17日水曜日

流人道中記

 「流人道中記」を読んだ。面白いが、読んだ後気分が沈む。ネットで紹介文を読み、普通の武士なら、恥を晒して生き続けるよりも切腹してお家の存続を図るところ、切腹を拒否して生き続ける理由が気になった。
 武士の倫理観や価値観としてより以上のものを実現するための選択だと思ったので、何か見かけを偽ってより価値の高いことを実現しようとしているのかと思った。隠密の一種のような。
 が、そもそもの当然の前提であるはずの恥や切腹や家の存続についての武士のありようを否定してのこととは。否定して捨て去るのはいいが、新たに獲得したり建設しようとするものが何もなく、自分で積極的に選んだのではなく、卑劣な人間に卑劣な方法で陥れられた結果を、甘んじて受け入れただけで、悪者はそのままというのも割り切れない。
 世の中割り切れられないことだらけで、下積みで苦しむ人々に温かいまなざしを注ぐ作風の作者だから、主人公が弱い立場の庶民ならそれでもいいが、一応高級旗本の武士だったなら、こうやられっぱなしで、最後達観するみたいなものを読むと読み終わって元気が出ないのも当然だ。そういう作風の作者だから、仕方ないともいえるが。
 時は、桜田門の変が起きた年で、主人公が松前にいる間に函館戦争が起きることになる。司馬遼太郎の「翔ぶが如く」を読んだばかりだが、切腹して家を存続させなかった方が子供のためだったかもしれない。
 このまま、主人公が松前藩の庇護のもと無為徒食して過ごすだけだと思うと精神衛生上よくないので、主人公やその子供たちが幕末、明治維新にどう生きていくのか、あれこれ考えてみる。
 もっとも、主人公は旗本の方ではなく与力のほうなのだろうか。
 

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