吉川英治の「新書太閤記」を読んだ。
明智光秀が織田信長を殺した事情は、今風に言うと「上司のパワハラにより精神的に追い詰められ正常な判断ができなくなったから」だと思う。
つい、赤穂浪士を連想した。
もともと殺人動機としては、恨みによるのが普通で、自己や他人の利をはかったり、世の中のためを思ったりする場合のほうが少ないように思う。
ただ、この当時は、政治的な動機で戦争をするのが通常だし、もともと頭がよく理性的な人間が、後先考えず感情的に行動したとは考えづらく、つい、深読みしてしまうようだ。
でも、最近のニュースなどをみると、「パワハラによるストレスのため」というのは実に説得的だ。
さすがは、吉川英治だと思う。作品が時代遅れにならない。
主人公が秀吉だが、晩年の朝鮮出兵の前で作品が終わっている。三国志も諸葛孔明が死んだところで終り、最後のあまりおもしろくないところは割愛しているので、単純に秀吉のしたことが面白くなくなったから終わったのだとは思うが、日本の植民地政策との関係で時代的に難しい点があった影響もあったのではないだろうか。
光秀の重臣の斎藤利三の娘が後の春日野局(家光の乳母)だということを知った。「光」といえば光秀の「光」、いとこの名も「光」がついている。明智家で代々つける字だとするとなにか因縁を感じる。どうして誰が「光」の字を選んだのだろう。
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